街頭から官邸前から安倍政権を包囲し、倒そう!未来を変えよう!集団的自衛権反対の闘いをふりかえる(後編)



(写真は全てレイバーネットhttp://www.labornetjp.org/news/2014/0630shasin などからお借りしています。)


前編はこちら:http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20140709/1404809935

●3:7月1日、閣議決定阻止の闘い


ついに7月1日、安倍が夕方から集団的自衛権決定の臨時閣議を狙う日の朝を迎えた。朝から抗議行動が始まり、前日を教訓にした警察は参加者を鉄柵で包囲しようとしたため、怒った主催と参加者がそれを押し返して撤去させた。そしてびっしり並んだ人々が「今日の閣議決定を許さない!」と声を上げ、主催者は「安倍は昨日の抗議に恐れをなして臨時閣議を昼に早める可能性がある。そこで私達も夕方の官邸前抗議を15時からに早めます!」と宣言した。


そこで私も仲間と官邸前抗議行動を続け、午後にはさらなる仲間の抗議行動も続いた。そして15時に大規模抗議が再開され、臨時閣議阻止へ人が増え続けた。


だが警察は朝から車道に鉄柵を並べ始め、官邸前に近い地下鉄出口を封鎖し、絶対に車道解放をさせない戦略が満々だった。私は「麻生邸リアリティツアー国賠訴訟」の裁判のため昼から現場を離れたが、裁判に来た仲間たちと何ができるか話し合った。そして前日の解放状態を作り出すため官邸前右側歩道に集団で登場して抗議することをみんなで決めた。警察に補足されないよう徒歩とタクシーに分かれて現場に着き、トラメガで抗議開始。


だが即座に警察が暴力排除を始め、20M以上も押し倒された。その中には偶然通りかかった山本太郎さんも含まれていたので、彼を中心に暴力へ抗議しもと居た場所に戻すことを要求し続けた。そして官邸前右側歩道に戻させ、大量の警察・公安・鉄柵に包囲されながらも抗議を再開した。また30日も1日も、衆議院第2議員会館前で「火炎瓶テツと仲間たち」の抗議行動も行われ、警察に封鎖されながらも粘り強く続いた。


そして17時過ぎに閣議決定したとの報が入り、抗議全体が激しい怒りに包まれた。安倍の閣議決定はまさに警察の暴力排除により行われたのだ。私たちは前日の熱気を再現しさらに超えるべく、官邸前左側の人々とともに怒りのコールを続けた。排除のたびに山本さんも抗議し、警察の責任者の「暴力はしていない」との大嘘にも抗議し、私たちは地面に座り込んで抵抗した。地下鉄出口に行き人を流そうとしたが警察に阻止され、少数行動が続いたが、ネットの中継を多くの人が見た。


そして左側は怒りの参加者が増え続け、溢れた人は壁に登って旗を振り回し続けた。私たちは22時半まで粘り続け、左側とお互いの姿が見えるようになり大きくエールを交わしあった。それを最も避けたかった警察がその瞬間に逮捕前提の警告を出し始めたため、私たちは引き上げたのだった。次に向けては抗議行動の最初から鉄柵を外させ、警察の誘導をやめさせ、包囲されても外から見える高いのぼりなどを予め用意しておく事が大事だと学んだ。


そして6月30日に車道を占拠した時点で路上に座り込んで、翌日まで座り込みと熱を維持すれば、閣議決定を止められたかもしれない。夜に帰れば政権は安心し、翌日警察が対策を取る時間を与えてしまう。世界各国の国会前で民衆の座り込み抗議集会が行われている。それができる体制を作っておくのも今後の課題だ。


2日間の抗議には両日とも約1万人も参加した。特に多くの若者が来て、「安倍は辞めろ、ファシズムやめろ」とストレートな主張を続けていた。彼らにあるのは安倍政権への怒りと自分たちの未来への不安だ。それがドラムに乗って30日の大規模抗議と車道解放を生み出した。安倍が戦争の未来を全面的に作ろうとしている今、さらに必要なのは私たちの側の新しい世界と新しい連帯を創り出すことだ。


それは個別バラバラにされた民衆が連帯し、国家権力を解体し、戦争のない世界を創るために、30日に実現した空間と抗議をさらに推し進めることだ。そのためには自らと他者の行動に規制を設けず、希望の中を生きる、未知の可能性に賭ける事が必要だ。抗議の声と音を鳴らし続け、肩を組んで警察の規制を押し返している時、私たちは確かに力強く連帯し、未来に向けて前進していた。官邸前抗議も街頭デモもこれからも続く。この感覚と教訓をさらに活かし、全国から安倍政権を倒し、世界を変えよう!



●4:新しい反戦を、今とは違う世界を!


★政権打倒を最初から掲げる必要性
今振り返るなら、昨年末に秘密保護法が強行採決された時点で、今の政治状況では安倍政権がやると決めたことを止める手立てがない事ははっきりした。国会を数の力で支配し、メディアを操作し、人々が問題に気づく前に押し切ってしまうからだ。

ならば集団的自衛権反対運動は、安倍政権打倒の主張と最初からセットであるべきだった。安倍は原発再稼働、労働法制の大改悪や福祉の削減、教育現場の完全統制と全分野で最悪の政治を進めている。課題別に共闘する市民運動の枠を超えて、私たちは政権を倒すための大きな動きを作り続けていきたい。

そして、どちらかといえば民主主義・立憲主義からの反対運動が盛り上がり、具体的な反戦の言葉や行動はまだまだ足りないと思う。この問題は日本の戦前と戦後の歴史と未来が根本から問われている。私たちは<戦争に反対する根拠>を作り直さなければいけない

憲法9条は日本に二度と侵略戦争をさせないために作られた。「戦争はもうコリゴリだ」という人びとの被害体験がそれを支えてきた。だが戦後69年、戦争体験者は僅かになり、今の10代は祖父母すら戦争経験がない人が多い。33歳の私の祖父母もすでに他界して久しい。

戦争とは何か、今何が起きているのかを見ることから「戦争反対」を再構築しなければ、「9条9条と言われても、現実に日本は隣国やテロの脅威に囲まれているじゃないか」という多くの世論と政治を変えることはできないだろう。そのメッセージを浴び続けて育つ若者たちに言葉を届けることはできないだろう。9条維持と戦争への恐怖の先に、私たちがどんな未来と世界を望むのかを語り行動していく時だ。


その核心は3つあると思う。

1:今も続く日本の植民地支配と侵略戦争の未精算
この20年の日本は常に隣国への脅威を煽ることであらゆる軍事作戦を正当化してきた。日本政府が朝鮮や中国を敵視し続けるのは、戦前日本による支配と侵略の過去を隠したいからだ。被害者などいない、責任を追及する方が悪いのだと人々に思わせたいからだ。「ヘイトスピーチ」が無くならない根っこもここにある。反戦と9条実現は、日本のアジア侵略の歴史と現在のアジア敵視の事実を知り、変えることから始まる。そして天皇制、靖国神社が侵略の歴史そのものだと知り、無くしていこう。


2:沖縄の米軍基地問題
秘密法〜集団的自衛権改憲は、沖縄への基地建設と常に密接に同時進行している。昨年も秘密法成立直後に仲井真沖縄県知事辺野古移設受け入れを表明させた。その後も刑特法の適用や工事の開始時期などが常に報道されている。日本の戦争協力の実態は沖縄の米軍基地と海兵隊派兵に表れている。だが反戦運動や反安倍の運動が沖縄の運動と充分結びついたとはいえない。デモや集会での発言も少なかった。


安倍は集団的自衛権閣議決定と同じ7月1日、何と辺野古沿岸の「臨時制限区域」も閣議決定し、防衛大臣名で官報告示した。辺野古新基地建設に向けて、キャンプ・シュワブ沿岸提供水域の第 1 区域(常時立ち入り制限区域)を現行の「沿岸から 50m」から「同 2000m」へと大幅拡大する。「工事完了の日まで」臨時制限区域の設定をすることで、市民・県民の当然の権利である抗議行動を徹底排除しようというものである。さらに、飛行場建設予定敷地内の兵舎などの解体作業も始まった。


沖縄の海と人々の生活を破壊しながら具体的に進む戦争参加を止めることで、集団的自衛権改憲が何を意味するのかも多くの人に伝えられ、ともに動けるはずだ。何より沖縄は辺野古のテントや普天間基地前で、果敢な座り込みや直接阻止行動が行われている。その闘いに学ぶことで私たちも戦争を具体的に止めて政権を倒す闘いができるようになるだろう。そして沖縄と全国に米軍基地を押し付け続ける日米安保を無くそう。


3:今回最も考えるべきは自衛隊の海外派兵と目的、そこから見えるこの世界の仕組みだ。


安倍は山場と言えた5月の記者会見で、集団的自衛権は在外邦人保護のために必要だと宣言した。これは従来言われた「日本列島が襲われた場合に必要」とも「国際貢献に必要」とも異なる、とても正直な説明だ。なぜ世界中に日本人がいるのか。多くはビジネス目的の大企業社員とその家族だ。グローバル経済で企業の国際競争が激化し、世界中で日本企業が活動している。だがグローバル企業の実態は、その地域で農業や漁業を営んでいた人たちの土地を壊し、大企業のための工場・農場・漁地に作り替え、仕事を失った人たちをそこに雇い、低賃金で酷使することだ。


世界中の大企業がそれによって中国、東南アジア、アフリカ、中南米などで大儲けをしている。また私たちが買う安い食材、100円ショップ、ユニクロやH&Mの服はほとんどそうして輸入されている。PCやスマートフォンに使われるレアメタルを奪うために世界中で民族対立・紛争が引き起こされている。「安くて良いモノ」「便利で快適な資源」は世界中の人々を搾取して作られているのだ。
イラク戦争が石油資源目当てで行われ、自衛隊もそのために派兵されたことはよく言われている。


いま自衛隊がいるのは東アフリカのソマリアのと、史上初の自衛隊の海外基地を作りあげたジブチだ。「ソマリアの海賊が各国の船を襲うから派兵した」と言うが、それはまさに日・米・欧・中・韓の大企業に漁場を荒らされた地元の人々のことだ。


現代の自衛隊派兵は大企業の搾取に対する地元の反発を軍事力で抑えこむことで、集団的自衛権はそれを世界中に拡大し、殺戮武器で鎮圧できるようにすることだ。また海外派兵は現地を必ず軍事植民地にする。ジブチ自衛隊は犯罪を犯しても何とジブチの裁判所には裁く権利がなく、自衛隊日米安保以上の不平等をジブチに強いている。


つまり集団的自衛権への反対とは、私達がこれ以上世界の人々を犠牲にしながら経済成長と豊かな生活を求め続けるのか否かという未来の選択そのものなのだ。

なかまユニオン第17回大会特別決議
閣議決定は9条破壊のクーデター〜安倍内閣は、退陣せよ!」より

http://nakamaunion.jugem.jp/?eid=541#sequel
 “閣議決定後のインタビューで安保法制懇メンバーの元外務官僚・岡崎久彦が「これで日本の生命線たるシーレーンのすべてを自衛隊がパトロールできる」(7/1テレビ朝日報道ステーション」)と明確に解説したように、今回の閣議決定の狙いは、シーレーン防衛などグローバル資本の海外権益を守るために、いつでもどこへでも自衛隊を派遣し、他国に武力行使ができるようにすることです。
かつて日本帝国主義は「満蒙は日本の生命線」として中国侵略戦争を行いました。


今グローバル資本と政府は、「シーレーンは日本の生命線」として同じ侵略の道を進もうとしているのです。安倍首相は「湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と言いますが、閣議決定憲法を変える政権が、情勢が変わったということを口実にして参戦することは容易に想像できます。


他国に武力行使をするということは、他国民を殺戮するということを意味する一方で、国内的には、国家体制を戦争体制に改造し、軍事費の増大によって、福祉・教育・医療を圧迫し、市民生活を犠牲にすることを意味します。秘密保護法の下、戦争関連情報は完全に秘密にされ、公安警察が市民生活全般を調査・管理します。これが安倍首相の目指すものです。

 資本主義の競争はもう限界に来ている。大企業はいわゆる「先進国」内の労働者も徹底搾取しなければならず、私達の多くは過労と貧困に苦しめられている。だから「安くて良いモノ」「気が紛れるサービス」を買わざるをえないという構造がある。マスメディアと情報産業だけが発達し、東京一極集中が進みながら、人と人との実際のつながりはバラバラにされている。


この状況で人は政治に対し徹底的に無関心になるか、現実に根ざさずに苛立ちを弱者や隣国にぶつけられるネット右翼的主張を持ちやすくなる。安倍政権はその両方を利用して支持率を高め、自衛隊に勧誘し、やりたい放題で戦争に向かっている。


つまり私達は世界の人々を搾取しながら生きることを認めてきたため、今度は自分たち自身も搾取され、それでも生きるためにより世界中に搾取と戦争を仕掛ける状態に追いやられている。


この2重の搾取はもういやだ!こんな世界で生きたくない!と声を上げることが、新しい戦争反対の言葉と論理ではないだろうか。侵略戦争を禁じた憲法9条を現代にも活かすことではないだろうか。そしてそのためには、自分たちのライフスタイルと資本主義そのものを変革するしかない。これは持続可能な世界のための<革命>だ。私たちはライフスタイルから変わらなければいけない。集団的自衛権改憲への反対、安倍政権を倒すたたかいを、反グローバリズムのたたかいにつなげて、<革命>へと一緒に高めていこう!
 

新自由主義グローバリゼーションとは、つまるところ世界市場のうちに人々の生を統合し、そこから可能なかぎり搾取しようとする動きであり、それは個人に必要なものを共同体を媒介せずにグローバル市場から直接手に入れようとする人々の欲望によって支えられている。そしてTPPなどの新自由主義的政策により、都市はますます国内の地方農村に依存することをやめ、グローバル市場から必要品を購入することが可能になるように信じられている。こうして、かつて『メガロポリス』と呼ばれた都市の時代は過ぎ去り、現在の『グローバルシティ』は情報、エネルギー、商品、ヒト、カネの巨大なネットワークの結び目として再編成されると同時に、さらなる消費をおこなうために、国内外のローカルな貧しい地域の人々や自然環境、資源の収奪を加速させている。


 もはや地球環境破壊が取り返しのつかない状況になり、エネルギーや食糧不足が懸念されるようになった現在にあって、なおエネルギーと食料と資源を際限なく消費しようとするグローバルシティ(園注:舛添都知事の「東京世界一」とはこの事だ)を支える文化は、明らかに幼児的にならざるをえない。つまり、都市の外部や国外に起こるさまざまな不都合な問題――フクシマ原発事故の影響、地方の過疎、都市労働者の貧困、地球環境破壊など――を「見ない」ことによって、消費の自己充足的快楽を維持しつづけようとするのだ。


 ・・・・・・現在において抵抗しなければならない対象は、「父」や「権威」ではなく自分自身なのだ。つまり、麻薬のような都市生活と消費社会を求める欲求に抵抗することであり、面倒な他者とかかわらずに自分だけで充足したいという個人主義的欲求に抵抗することであり、未来の子孫のために世界を食いつぶしても自己充足しようとする自身の幼児的欲求に抵抗することである。

……それは次の世代の人々の世界を守るためであり、自分の生の意味を未来の人々と世界へとつなげるための抵抗なのだから。別の言葉で言えば、それは私たちが市場に売り飛ばしてしまった未来の世界と価値を、ふたたび私たちの手に取り戻すことである。そのような抵抗が現実社会において広がるとき、私たちは新自由主義と真の意味で手を切ることができ、別の世界が可能になるのだから。”
インパクション』195号「新自由主義におけるサブカルチャー、思想、政治」村澤真保呂