★はじめに★
今の閉塞感の原因を話しているので、ぜひ読んで下さい。
酒井さんは「近年を総括する言説や議論が無さすぎる」と言います。
そして、「園君も同時代の運動経験を総括してほしい、貴重なものになる」と言われました。
また20代前半の友人達に「不調で現場に行けないなら、公開文章を書くのがいい」「90年代以降の運動資料が全然ない」と言われました。
そこで、2000年代と10年代(3.11以降、写真1)の運動経験と全体状況を振り返る連載を始めます。
主な視座は、
②10年代、3.11以降の反原発の街頭での運動爆発。第2次安倍政権と戦争法案への反対。そこからなぜ真の社会変革や路上占拠などに行かなかったか、成功・対立・自他の失敗の総括(これがメイン)。
④それらの結果今どのように閉塞しているか、流れを変えるにはどうしたらいいか。
タイトルは<来るべきその時(革命)のために>。
運動の爆発も革命情勢も必ず来る。いつ、どう来るかは誰にもわからない。でもそれに備えることはできるし最も大事な事だから、近い過去の経験から今をたたかう人々の備えに役立てる。
まずはお知らせします。不調でもやれることをやりたい!
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連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第1回 前史としての1990年代
世界は冷戦崩壊後、日本は冷戦&バブル崩壊後の1990年代に大きく変わった。1回目は前史としての90年代と現在とのつながりをたどる。僕は10代なので運動経験ではない。
・先立つ80年代後半、中曽根政権が国鉄をJRに、電電公社をNTTに民営可した。日本の新自由主義の始まりだ。それで中曽根は日本最強の国鉄労働組合を解体し、社会党系ナショナルセンターの「総評」も解体。日本の社会運動は、今に至るまで労組の組織的参加やストライキが激減し、韓国のキャンドルデモに見られるような規模やパワーが奪われた。
・90年前後の社会主義圏の崩壊で、米国は世界の軍事と経済の一極支配を狙った。日本に自衛隊海外派兵の協力を求め始めた。まず91年イラクに湾岸戦争を仕掛け、日本を「金しか出さない」と批判。慌てた海部政権は92年に「PKO法」を成立させ、戦後初の戦争後の海外派兵を可能に。PKO法への反対は、90年代最大の反戦運動や国会での抵抗を生んだ(写真2、3)。
総じて、90年代前半は様々な地角変動が起きていた。
・だが96年頭に橋本龍太郎政権が成立、自民党が政権復帰。前年、沖縄少女暴行事件に対し、沖縄の怒りが爆発(写真4)。それへの対処と称して、沖縄普天間基地を辺野古に移設するSACO合意を米国と結ぶ。また97年に日米新ガイドラインを決定。PKOに続く軍事化を進めた。
そして、住専や山一証券の破綻を利用し「構造改革」を開始。新自由主義・金融資本主義・グローバリズムを一気に進めた。消費税も5%に上げた。これによりリストラや倒産が激増、98年には自殺者が初めて3万人を突破した。自民党は新自由主義政党に変わり始め、新たな時代も支配し始めた。
「お気楽なフリーター」ではなく、不安定な働き方が急拡大した。今も運動に40~50代が少ないのは、長年不安定雇用にさらされ、身も心も疲れきっていることが大きい。
・さて、社会と文化の変化だ。バブル経済は90年末に終わり、93、94年に就職氷河期が到来。僕が社会問題に目覚めた社会不安の深刻化――95年阪神大震災とオウム真理教事件、96年女子高生援助交際、97年少年犯罪とサカキバラ事件、ひきこもりや不登校などなど。戦後の若者運動からここに至る流れを、僕は大学の卒論で書いた。https://ryota1981.hatenadiary.org/entries/2009/12/30)
・それに遅れて、文化表現もどんどん内容が暗くなる(今の90年代ブームは、わざと暗くなる前に限定している)。今に至る「失われた30年」の始まりだ。これらを縦に貫く戦後史への構造的視点の無さにより、いつも「今」しか見えず、私達がどこから来て、どこにいるのかを見えなくしている。いつまでも人々を政治から遠ざけて、閉塞させている。