園良太のブログ(3/11原発事故避難者/人民新聞/2002年から社会運動

更新再開。1981年東京生まれ・関西在住。社会変革を目指し続ける原発事故避難者です。

連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」予告編と第1回

★はじめに★

昨年著書『賢人と奴隷とバカ』を出版した思想家の酒井隆史さんに、2010年代の社会運動と思想の総括を人民新聞でインタビューしました。
今の閉塞感の原因を話しているので、ぜひ読んで下さい。
 
酒井さんは「近年を総括する言説や議論が無さすぎる」と言います。
そして、「園君も同時代の運動経験を総括してほしい、貴重なものになる」と言われました。
また20代前半の友人達に「不調で現場に行けないなら、公開文章を書くのがいい」「90年代以降の運動資料が全然ない」と言われました。
そこで、2000年代と10年代(3.11以降、写真1)の運動経験と全体状況を振り返る連載を始めます。
主な視座は、
①運動になぜ行き始めたか、00年代のアフガン・イラク反戦運動小泉政権、反貧困/フリーター運動と政権交代、反差別の振り返り
②10年代、3.11以降の反原発の街頭での運動爆発。第2次安倍政権と戦争法案への反対。そこからなぜ真の社会変革や路上占拠などに行かなかったか、成功・対立・自他の失敗の総括(これがメイン)。
③反原発から反ヒバク、放射能からの避難へ全体が行かなかった総括と、今までの自分や人々の被害実態
④それらの結果今どのように閉塞しているか、流れを変えるにはどうしたらいいか。
 
タイトルは<来るべきその時(革命)のために>。
運動の爆発も革命情勢も必ず来る。いつ、どう来るかは誰にもわからない。でもそれに備えることはできるし最も大事な事だから、近い過去の経験から今をたたかう人々の備えに役立てる。 
まずはお知らせします。不調でもやれることをやりたい!
 
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連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第1回 前史としての1990年代
 
世界は冷戦崩壊後、日本は冷戦&バブル崩壊後の1990年代に大きく変わった。1回目は前史としての90年代と現在とのつながりをたどる。僕は10代なので運動経験ではない。
・先立つ80年代後半、中曽根政権が国鉄をJRに、電電公社をNTTに民営可した。日本の新自由主義の始まりだ。それで中曽根は日本最強の国鉄労働組合を解体し、社会党ナショナルセンターの「総評」も解体。日本の社会運動は、今に至るまで労組の組織的参加やストライキが激減し、韓国のキャンドルデモに見られるような規模やパワーが奪われた。
「市民」と「個人」の運動がますます強まり、良さもあったが、チェルノブイリ事故後の反原発運動の高揚は90年代に入ると収束した。「日本の原発は大丈夫だ」と増え続けた。
 
・90年前後の社会主義圏の崩壊で、米国は世界の軍事と経済の一極支配を狙った。日本に自衛隊海外派兵の協力を求め始めた。まず91年イラク湾岸戦争を仕掛け、日本を「金しか出さない」と批判。慌てた海部政権は92年に「PKO法」を成立させ、戦後初の戦争後の海外派兵を可能に。PKO法への反対は、90年代最大の反戦運動や国会での抵抗を生んだ(写真2、3)。
 
新自由主義、海外派兵、金権腐敗政治の混乱は、93年に非自民党の細川連立政権を生んだ(1955年体制の終わり、裏に小沢一郎)。94年には初の社会党村山連立政権が成立。同時に社会党は安保・自衛隊天皇制を認め、96年には社民党に変わり大幅縮小した。
またアジアの民主化などで、日本軍「慰安婦」の被害者が次々名乗り上げ、日本政府は戦争責任に一定の謝罪や賠償に応じざるをえなくなった(河野談話村山談話)。
総じて、90年代前半は様々な地角変動が起きていた。
 
・だが96年頭に橋本龍太郎政権が成立、自民党が政権復帰。前年、沖縄少女暴行事件に対し、沖縄の怒りが爆発(写真4)。それへの対処と称して、沖縄普天間基地辺野古に移設するSACO合意を米国と結ぶ。また97年に日米新ガイドラインを決定。PKOに続く軍事化を進めた。
そして、住専山一証券の破綻を利用し「構造改革」を開始。新自由主義・金融資本主義・グローバリズムを一気に進めた。消費税も5%に上げた。これによりリストラや倒産が激増、98年には自殺者が初めて3万人を突破した。自民党新自由主義政党に変わり始め、新たな時代も支配し始めた。
「お気楽なフリーター」ではなく、不安定な働き方が急拡大した。今も運動に40~50代が少ないのは、長年不安定雇用にさらされ、身も心も疲れきっていることが大きい。
 
・90年代前半に抗して、戦争責任、日本軍「慰安婦」、フェミニズムを否定するバックラッシュが一斉に始まった。「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりらが97年に「新しい歴史教科書を作る会」を結成。98年に『戦争論』出版。侵略戦争サブカルで美化し、今に至る流れを作った。政界では安倍晋三日本会議が同じ主張と組織化を強めた。
・小渕、森と自民党政権は継続。日の丸君が代を国旗国家にする、更なる海外派兵法、盗聴法による監視社会化など着々と進めた。
 
・さて、社会と文化の変化だ。バブル経済は90年末に終わり、93、94年に就職氷河期が到来。僕が社会問題に目覚めた社会不安の深刻化――95年阪神大震災オウム真理教事件、96年女子高生援助交際、97年少年犯罪とサカキバラ事件、ひきこもりや不登校などなど。戦後の若者運動からここに至る流れを、僕は大学の卒論で書いた。https://ryota1981.hatenadiary.org/entries/2009/12/30
 
・それに遅れて、文化表現もどんどん内容が暗くなる(今の90年代ブームは、わざと暗くなる前に限定している)。今に至る「失われた30年」の始まりだ。これらを縦に貫く戦後史への構造的視点の無さにより、いつも「今」しか見えず、私達がどこから来て、どこにいるのかを見えなくしている。いつまでも人々を政治から遠ざけて、閉塞させている。
 
・1970年生まれの知人から、「90年代の運動が一番盛り上がりに欠けて辛かった」と聞いたことがある。国内は停滞し、国際連帯も見え辛かったからだろう。大学の運動は縮小し続け、90年代末には各大学の寮や学生会館が潰されていき、小奇麗で自治ができない○○タワーに建て替えられた。こうした自治つぶしと監視の強化は社会全体で進んだ。
 
・だが世界では、99年にシアトルWTOへの反乱で反グローバリズム運動が始まり、00年代には巨大なうねりを作っていく(写真5)。ネグり=ハートも『帝国―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』を刊行。そして、「9.11」と国内外の新たな反戦運動を控えていた。僕も大学に入り動き出していく。(続く)