園良太のブログ(3/11原発事故避難者/人民新聞/2002年から社会運動

更新再開。1981年東京生まれ・関西在住。社会変革を目指し続ける原発事故避難者です。

連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第2回 自分の目覚めと00年代と「9.11」

 予告編&第1回:https://x.gd/fdig7

1、準ひきこもりが歴史や社会運動と出会う

僕は一番多感な10代後半に人間関係から遠ざかっていたため、社会問題に関心を持った。9.11以降の運動に参加し、世界を獲得していった。

81年6月に東京で生まれた。中学2年(95年)の初夏に、小学時代から仲良く遊んでいた先輩達に突然暴力を振るわれ続け、ショックでそれ以降ずっと人と話ができなくなった。学校には行くが完全に一人、外出できるが誰とも話さず、孤独に浮遊し続けた。

勉強にも乗れず、97年に高校は工業高校に入った。そこでも一人で、また横並びの校則が厳しかったため、環境に疑問を持った。なぜこんなに自分は辛いのか?横並びさせられるのか?学校とは?なぜこうなった? それが自分を責めるよりも周囲=社会の成り立ち=戦後史などに関心を向けさせた。親が持っていた何でも体制や流行を批判する雑誌『噂の真相』や、自分で探した本など読み始めた。

2学期からすぐに都内の定時制高校に移り、誰とも話せず読書や町歩きを続けた。援助交際~少年犯罪など同時代で身近だった。一方小林よしのりの『戦争論』が、「戦後日本は平和ゆえのミーイズムが蔓延してそれらに行き着いた。戦前戦中の滅私奉公に戻り、誇りを取り戻せ」などと叫んで時代をつかんだとき、体験や読書経験などからそれは嘘だと思った。

一方小林よしのりの『戦争論』が、「戦後日本は民主主義と平和ゆえのミーイズムが蔓延してそれらに行き着いた。戦前戦中の滅私奉公に戻り、誇りを取り戻せ」などと叫んで時代をつかんだとき、体験や読書経験などからそれは嘘だと思った。


理由は、高度成長以降、日米安保の元で企業戦士と消費社会を作る事に専念し、家庭も学校も地域もそのために作られた。だが冷戦とバブル崩壊後にその画一性が矛盾を極めたからで、根本的な平和主義や民主主義を達成していないことこそ問題で、目指すべき方向性だからだ。

そうして僕は戦争反対・反権力の思いは固まっていった。こうして90年代以降、生きづらさをきっかけに社会運動に来る人が増えたのは偶然じゃないだろう。

99年後半から、ため込んだ思いを図書室の会報に書き始めた。それを機に徐々に人と話せるようになっていった。01年春、社会学を学びたくて夜間大学に入学。その年9月11日に、米国ニューヨークのwTCビルにハイジャックされた飛行機が突っ込む「9.11事件」が起きる(写真1)。世界は激動し、僕の目は世界に開かれ行動したいと思い、その半年後にアフガニスタンへの報復攻撃反対の「ピースウォーク」に初参加していく。

言いたいのは、今もコミュニケーションや自己不全に悩む多くの人たちに、社会運動を通して原因を社会化し、自分を解放する道がある。特に閉塞を極める日本では皆がそうしてほしいという事だ。

 

2.9.11は世界をどう変えたか

10代の僕が日本の政治や戦争に反対し始めた先には、世界の長年の南北格差があった。パレスチナ問題、北側先進国による南側の植民地化、今も続く経済的搾取。

ソ連が解体して米国は90年代に一人勝ちし、マックやマイクロソフトなど米発のグローバル企業が世界を覆った。世界中の紛争に介入し、引き起こし、軍事覇権も欲しいままにした。

「9.11」の実行犯は、南側のアフガンのイスラム教徒らの怒りから生まれた「アル・カイーダ」だった。北側世界の中心・米国NYを突き刺した。

激怒した米ブッシュ政権は、「対テロ戦争」と称してアフガンを大規模空爆した(写真2、3)。冷戦までの国家対国家戦争ではなく、敵は対象も場所も不明確な「テロリスト」だと規定し、延々と攻撃を続ける。軍事力が圧倒的に上でも続ける「非対象戦争」の中で、社会も恒常的な戦時体制にしていく。これが米国、欧州、日本に急速に広まった。経済のグローバリズムは世界中への非対称戦争と一体になった。軍需産業民間軍事会社や監視社会化はますます増長し、正当化された。

ここで日本が憲法9条を主張していたら違っただろう。だが自民党が政権復帰していた。小渕、森の不人気を挽回するため登場した小泉純一郎政権は、即座に米国を支持した。「テロ対策特措法」をほぼ全会一致で成立させ、自衛隊の艦隊をインド洋に派兵し、支援(写真4)。マスコミも「テロを許さない」の大合唱。テロ扱いすれば何でも悪、はここから始まったのだ。そして米軍も自衛隊も、仮想敵=ソ連が消えても「テロリスト」を作ることで延命し続けた。

これに対し日本の市民・平和運動は、「テロにも報復攻撃にも反対」を掲げて大きなデモや集会を始めた(テロにも~と言うか言わないかは議論になり、分かれた)。世界の反グローバリズム運動も、99年に続く01年のイタリア・ジェノバwTO会議で反対運動を爆発させた後、対テロ戦争への反対を世界規模で展開した。

アナキスト学生運動も行動を開始。また90年代から地球規模の環境問題に市民が対応するnGO阪神大震災で始まったnPOが広がっており、アフガン攻撃に対しても彼らは反対に立ち上がった(ピースウォーク)。これらが絡み合いながら、巨大なイラク反戦運動へと結実していく。(続く)