2017-01-01から1年間の記事一覧

【シェア歓迎:総選挙声明】「直接行動」「左翼」「3.11反被ばく」を取り戻そう!

総選挙の結果が出始め、安倍与党の大勝が見えてきた。不意打ち身勝手解散が理由でり、絶対に許されない。選挙中は改憲を隠しながら、開票と同時に「改憲勢力勝利」「改憲論議が促進」と騒ぐ自民やメディアも許されない。台風直撃なら延期もアリのはずだ。そ…

東電が回答「被曝の影響は誰にも一切ない」/9月8日『松平耕一さんを追悼し、東京電力に抗議する集会』へ参加を

雑誌『新文学』を主宰し、国会前抗議、反ヘイトスピーチ、『福島原発事故による健康被害者の会』、弾圧の救援会など様々な運動に参加していた東京都府中市の松平耕一さんが、8月に39歳の若さで亡くなりました。15年末に末期大腸がんが発覚したからでした。彼…

8.18「松平耕一さんの追悼・抗議集会」で東電へ渡した公開質問状(9月1日までに文書回答すると確約。9月8日19時半〜月命日の東電前追悼・抗議集会

【拡散希望】『松平耕一耕一さんを追悼し、東京電力に抗議する集会』松平耕一さんの月命日の9月8日に開催します。 9月8日(金)19時30分〜20時30分東電本店前 (JR新橋駅徒歩5分)キャンドルやプラカードなど持参を。呼掛け 友人有志 集会の概要は http://d.hate…

放射能被ばくで大腸がんの松平耕一さん死去。17、18日夜に東電前で追悼・抗議集会を開催。参加を。そして皆さんへ被ばく被害の声を上げ、避難準備を始めることの呼びかけ

雑誌『新文学』を主宰し、国会前抗議、反ヘイトスピーチ、『福島原発事故による健康被害者の会』、弾圧の救援会など様々な運動に参加していた東京都府中市の松平耕一さんが、39歳の若さで亡くなりました。心から冥福を祈るとともに、悔しさがたくさんありま…

友人の末期大腸がんの松平君が死去しました。追悼文です。通夜と告別式行きます。国と東電を許さない声を

末期大腸がんで都内に入院していた友人の松平耕一さんが、8日朝、亡くなりました。39歳でした。心から冥福を祈ります。ぼくも通夜と告別式に行きます(日時・場所の詳細を知りたい方は連絡下さい)。多くの人に賑やかに見送ってほしいと本人は話していたそう…

友人の末期大腸がん、東電と原発を許さない

【シェアお願いします】園です。「原発事故の影響だ」と明言する、末期大腸がんで入院する松平君のことで、追伸です。 今日面会に行った友人から連絡があり、松平君本人から、彼の意思で今後は睡眠し続ける状態になるため、起きて話せない、面会は無理ですと…

私たちの被ばく病気経験、権力の大虐殺政策、東日本の今と避難の呼びかけ:前編

これは今年一番力を入れた、また勇気を使った呼びかけです。 僕は2002年から東京で社会運動を続けてきた、35歳の者です。2015年に心臓の不整脈で何回も倒れ込み、放射能の影響だと思い、生まれ育った東京から昨年末に大阪へ避難しました。関西で「Go West, C…

共謀罪反対の中で、語られていないこと――「仲間を見捨てない文化」を

仕事先の『人民新聞』で連載を書き始めます。自分や仲間の大変な経験を、共謀罪の反対と結びつけます。ぜひ、話し合っていきましょう。==================連載・共謀罪と「弾圧」「救援」の経験共有第一回 共謀罪反対の中で、語られていな…

【近況報告です】

東京で35年生まれ育った。今も家族や大多数の友人が残ってる。地元に、新宿に、渋谷に、官邸前や国会前に、思い出が詰まってる。でも「放射能でもう住めない、戻れない」。だから僕は大阪に来た。しかも残っている友人に病者が続出だ。自分自身と「あなた」…

みんな、東日本からの避難を!

東京の友人が末期大腸がんで死に向かっていると公言している。38歳の若さで、最後まで苦しみ抜いて。本人は外食を続けた結果の被曝が大きな理由だと言い、僕もそう思う。関東も限界だ。誰も死なせたくない。放射能からは最大限離れるしかない。皆、西へ逃げ…

阪神大震災と3.11

大阪生活三週間目。阪神淡路大震災22周年。まず神戸市長なども挨拶した三ノ宮の追悼集会に参加した 東日本大震災とその後の原発被害の経験者としても行かなきゃと思った 1995 光 1,17と並べ た竹筒の中にキャンドルを並べ、朝日早くから大勢が参加してた。熊…

<ごあいさつ:年明けから大阪に移住しました>

みなさま。生まれ育った東京を離れて、1月頭から大阪に移住しました。 大阪・関西で仕事と運動を続けながら、運動で一番大事な時には東京にも戻ります。 1月6日、大阪で挨拶をしました。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/355013 の44分30秒〜15年間…

大阪移住日記:1

12月28日:東京から離れる大阪行く準備しながら、世話になった色んな人に会ってます。寂しさも時に伴いながら。もう以前には戻らない空気と景色。そう、『原発事故さえなければ』なんだ。このままじゃ終わらせない、生きて必ずやり返そう12月30日:出発です…