連載「Will you?」第2回:「戦争」――2000年代の振り返りとこれから

第1回「さびしさの帝国」は http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20091218/1261078735

あらためて、今年もよろしくお願いしまっす★★ このことに関係する今年の予定、イベント。一緒に行きましょう:
★1月4日(月)18時半〜「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」防衛省正門前 毎月の防衛省抗議行動場所 @市ヶ谷・防衛省前(これは多分行けない…。)http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html
★1月10日(日):
「忘れないで!パレスチナ〜映画と岡真理さんのお話の会・千歳烏山」(これは行けるかわからない)http://www.labornetjp.org/labornet/EventItem/1260362516737staff01
★1月30日(土)14:00開会、16:00デモ行進
日比谷公園・野外音楽堂
普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」http://www.labornetjp.org/labornet/EventItem/1261967027608staff01
(手作りサウンドデモにしたり色んな道具持ち寄ったりして、デモを勝手に盛り上げよう!)

1:9.11からアフガン・イラク攻撃へ――グローバルに開ける空、戦争と反戦

2000年代が終わった。2001年に小泉政権とブッシュの9.11が起こり、ネグリの言う<帝国>――グローバリズムの覇権と暴力性が誰の目にも明らかになってきた。そしてオバマの「核なき世界へ」というかけ声と日本の「政権交代」で09年は幕を閉じた。だが足元の問題は変わらないまま変革が語られてしまい、その危険性が見えてきた今だからこそ、この10年間に何があったのかを明らかにすることが必要だ。それは僕の20代そのものでもあった。

僕は去年の年明けに編集の会社が倒産したにも関わらず、活動しすぎて失業保険も貯金も切れ、職を探さないと本当にマズイ身だ。それでもどれだけ活動していくかは、ぼくらが生きるこの世界と日本がどうなっていくかに左右されるだろう。……きっとみんなそうだろう。何もできず何も話せなかった10年前の僕の姿は、時代の変化とともに変わってきた。多くの仲間もできた。運動は高揚期と停滞期を経験し、楽しさと苦しさを両方経験し、学生〜フリーター〜編集と変わってきた。人は年を取るし、時代も世代も確実に変わる。近い過去を整理しながら、次へ踏み出していきたい。
 

★2001年
対テロ戦争」と南北格差
2001年:ブッシュ政権誕生。「9.11」事件とアフガニスタン攻撃
2003年:米英軍のイラク攻撃、「有事法制」成立、自衛隊イラク派兵
2004年:イラク泥沼化、イラクファルージャへ総攻撃、イラク日本人人質事件
2006年:イスラエルレバノン侵攻。陸自イラクから撤退。
2009年:オバマ政権がイラクからの撤退とアフガンへの集中を表明。イスラエルパレスチナ総攻撃。自衛隊ソマリアへ派兵。

僕が運動へ踏み出したきっかけは2001年の9.11事件だった。国内の少年犯罪や戦争問題にばかり関心を持っていた僕は、南北格差にダ評されるあの事件の背景を理解する知識がなかったのだ。それが心残りになり、半年後の2002年春から、アフガンへの報復攻撃反対の渋谷を中心としたアクションに関わっていった。その中で日本も「有事法制」を準備していることを知り、戦争体制へ組み込まれていることを知っていった。
「CHANCE!東京」
http://worldpeace.s29.coreserver.jp/www.give-peace-a-chance.jp/2002fall/

 89年に「東西冷戦」が西側の資本主義諸国の勝利で終わってから、ソ連という仮想的は消え去った。多国籍企業が金儲けをするためのグローバル経済は「東側」に着実に広がり始め、あとは未開の地である中東へ踏み出したい。アメリカは90年代のクリントン政権時代から、中東への介入のチャンスを狙っていた。

そして9.11事件。アメリカは「テロとの戦い」を宣言し、アフガンを、返す刀でイラクを壊滅させた。そして両国は石油会社とインフラ会社と民間軍事会社がビジネスチャンスを狙い続々と入り込む場所になってしまった。だからこそ世界中の反グローバリズム運動は同時行動を起こしたのだ。そして東京でも03年3月に最大5万人が集まった。
「WORLD PEACE NOW」http://www.worldpeacenow.jp/indexsub.html#118

 僕は反戦運動に関われたため、戦争の実態と進める論理、それに反対する意義を知ることができた。それは大学生だった自分の成長過程と重なり、この社会へ踏み出していくにはこうした現状を無視することはできないといつも思うようになったのだ。

だが閉ざされた島国・日本は、どれだけ自国が戦争を支持し派兵をしても、自分たちだけの見方で物事を判断してしまう。日本ではイラク開戦前から「北朝鮮に攻められたらアメリカに守ってもらうしかない、だからイラク戦争にも協力するしかない」と一部で言われていたが、ブッシュが「終戦」を宣言した03年5月からそれは大手を振ってまかり通っていった。
また2003年にイラク派兵の審議時、小泉は「どこが戦闘地域か私に分かる訳がない」「自衛隊の行く所が非戦闘地域だ」と言った。そして憲法の前文をひっくり返した解釈で派兵を正当化した。自衛隊の官舎にチラシを配った人は逮捕され、イラク撤退を正面から掲げたサウンドデモは何度も弾圧された。
「渋谷ストリート・レイヴ=サウンド・デモSTREET RAVE at SHIBUYA 7.19」http://www.mkimpo.com/diary/2003/rave_03-07-19.html

この時期、日本は間違いなく「戦時下」だった。そして事態が深刻化するのに広がる無関心に、ぼくらは無力感におそわれながらたたかっていた――。

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2:忘れたくない、動きたい。――「対テロ戦争」のこの世界で

そして2004年、米軍はイラク中部のファルージャへ総攻撃を仕掛けた。大量虐殺だ。現地の人々がその中止を求めてイラク人質事件を起こす。だが彼らを「テロリスト集団」視するどころか、人質の日本人の活動も「自己責任」と大バッシングされた。当時ぼくは就職活動真っ盛りで、でもこの事件を無視することなんて出来ないと思い、国会前の緊急アクションに行き、フリーペーパーを作って渋谷でばらまいた。僕と同世代の京都の稲荷明子さんも当時をこう語っている。


“私は2002年後半のイラク反戦運動の高まりのなかで、デモやイベントに参加し始めたんだけど、ピークのときはすごく人が集まっていましたよね。でも、やがて開戦の失望からか、どんどん人は減っていきます。
 そのころから私はデモに行きながら就職活動をやり始めたんだけど、面接で隣の女の子が「私は愛社精神が大事だと思います」とか言ってるのを聞いてげんなりしたり、会社説明会で地の果てまで並ぶ学生をみて「あぁ、これだけの人がデモに来たら一発で法案はひっくり返るなー」とか思って身が入らない(笑)。「しんどくてやってられない」と感じ始めた2004年の春先、イラクの人質事件が起きたんです。

 とにかくできることをしようと自衛隊撤退の申し入れに行ったり、自民党京都府連の前で布団をしいて野宿抗議に参加したり、デモや街頭宣伝に参加したり…。そのとき、なにかこういう事件が起きたときに、こうして動いてしまう私に、就職はできないかなと思った。「うわー」って気持ちが動いて、言いたいことを言いたくなるし、それを我慢してまで生活はできない。あのころは毎日いろんなことが起きて、価値観が変わっていく時期でした。「明日の自分のこともわからないのに、卒業後のことを今決めることなんてできない」。それが、卒業後すぐに就職しなかった一番大きな理由でしょうね。“
(『さよなら下流社会ポプラ社、P179)


そして04年秋には、僕とほぼ同世代だった香田証生くん(「生きる証」!)が殺害される。
 その後若者を中心に「格差と貧困」が大きく問題にされていくし、運動も盛り上がっていくが、それは次回詳しく書く。国内問題に目が行くと同時に国外の侵略が忘れ去られていったとも言えるからだ。

 そこでは何が起きていたか。「対テロ戦争」の中で、アメリカは徹底して兵器を高性能化していった。無人戦闘機、精密誘導爆撃、クラスター爆弾劣化ウラン弾…。自国側の被害を最小限に抑えながら相手に最大限の被害を与えるやり方が進んだ。そこで大量に殺されているのは逃げ惑うことしかできない民間人だ。
貧困に苦しむ日本が毎年莫大な費用を使いながら、イージス艦をインド洋に派遣していたのはなぜか。それは米軍機が飛び立つための拠点になる給油活動が必要だったからであり、その先でその戦闘機は一方的に民間人を爆撃しているからだ。

そして、それがなぜ実感できず、忘れ去られていくのか。90年代以降、ネグリが<帝国>と呼んだ戦争行為では、軍事の警察化・警察の軍事化が起きており、明確な宣戦布告がなくても、「何かを懲らしめる」「紛争を解決する」という名目で自国の人々に開戦を説得しようとする。だが実際には戦争級の大攻撃をしかけるようになっている。イスラエル攻撃での「ハマスのロケット弾への対抗」がまさにそうだ。

いわゆる先進国のマスメディアは、パレスチナでなくイスラエルに留まり報道する。イスラエル政府もパレスチナから外国人ジャーナリストを追い出したことで、イスラエルアメリカや日本の人々に「イメージの貧困」をつくりだしている。

こうして、このセカイから隔絶された空間で一方的に殺され続ける人たちに生まれる「絶望感」は、想像を絶するものがあるだろう。だからこそ抵抗も生まれる。必要なのは何よりもその隔絶、アメリカの場合はイラクやアフガンからの撤退を、イスラエルの場合はパレスチナの「占領」をまずやめることであり、私たちは自分らの「イメージの貧困」を突き破らなければならないんだ。
そこにこそ日本の矛盾が集約されている。それを変えたいという思いが「反戦」に僕を駆り立てていた最大のエネルギーであり絶望感だ。

 そしてイラク派兵以降、日米軍事再編も本格化した。米軍の極東の軍事司令部を神奈川県厚木市に持ってきて、有事の際により迅速に動けるようにしてしまう。そして自衛隊を完全に米軍に組み込み、共同演習を行う。それにより米軍の東アジアでのプレゼンスが確立されてしまうと同時に、自衛隊が米軍の後を追いどこにでも行ける体制が出来てしまう。それは小泉が進めた対米追従の極限状態だった。

今問題になっている沖縄の普天間基地移設問題は、この米軍再編の最前線であり、沖縄からはイラクやアフガンへ何度も戦闘機が飛び立っている。

その後の安部政権はより保守主義憲法改悪を進めていくが、この時始めた「憲法カフェ」はまた後で書きたい。その問題性がハッキリしてきて、自民党は崩壊した。その前には戦争を忘れるな、責任を問えということで、『反戦と抵抗の祭<フェスタ>08』のテーマは「責任者出て来い。これはヤツらの戦争だ」にしたんだ。
http://a.sanpal.co.jp/r-festa/2008/
そして、イラク戦争時に一緒に動いた人たちが「イラク戦争なんだったの!?」というムーブメントを始めている。http://isnn.tumblr.com/

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3:他者の声が聴こえる、「豊かでいるための派兵」を終わらせるために


そうして迎えた新政権。民主党核密約問題や沖縄の普天間基地移設で、アメリカとある程度やりあうことで、一定の対米自立と軍隊駐留を減らした日米安保を目指していると言われている。 

 じゃあ、それで安心できるだろうか。その先には何が待っているだろうか。ここで、自民党政権の最末期にソマリア自衛隊が派兵され、民主党がそれに大きく反対した訳じゃないことに注意しよう。

 これからのぼくらは、対米追従だけを批判している状態から抜け出す必要がある。今も続くソマリア派兵はそれだけが目的ではなく、日本がグローバル資本主義の中で生き残るという目的を明確に持って派兵し始めたからだ。

ソマリアでは、先進国の都合で引き起こされた内戦に乗じて、欧米や日本の船が「密猟」をしてきた。そこで採ったエビやマグロが、ぼくらが家やお店で食べているものだ。また先進各国の船は違法な廃棄物の投棄も繰り返し、ソマリアの海の環境は破壊されてきた。ぼくらが自分の貧困に対して声を上げ始めたように、収入源や生活の土壌を奪われたソマリアの漁民が生きのびるためにふたたび海に出てきたのだった。
それを抑え込むために自衛隊を派兵し、世界各国の軍隊と協力する。それは資源確保と軍事プレゼンスのため、つまり日本が「先進国」で居続けるための派兵と武力行使だ。

それは相変わらず「テロ」や「犯罪」扱いされ、根本的な原因を無視し、抵抗の手段でもあることを無視したまま、派兵が正当化される。現地への無関心が続いていく。そうした現状では、かつて北朝鮮イラク攻撃支持を天秤にかけたように、日本が先進国として他者を犠牲にし続ける姿勢は変わらないままなのだ。そうしてずっと続いてきた世界の根本的な「格差」は固定されていく。今日も地球の裏側で人の命を踏み台にし続けていく。


“しかし、やはり指摘しなければいけないのは、所詮EUもまた「一つの帝国」であり、それをモデルにする小沢構想もまた「もう一つの帝国」構想だということだ。
それは「国連重視」と称してそして各国の足並みが揃えば、ユーゴでやったような「人権のための戦争」をやる「帝国」であり、ソマリアやアフガンに兵士を送っているように地球の裏側までも「秩序のために」と軍事力を行使する「世界警察」だということだ。その実権をアメリカ一国だけに任せるわけにはいかない、というのがEUアメリカの確執のすべてといっていいだろう。

それはもちろん多国籍企業の安定したグローバルな展開のための「環境整備活動」でしかない。多国籍企業のために、世界のどこの国においても労働条件や環境汚染などの規制は緩和する。環境破壊が問題となるなら、それは企業の営利活動の支障にならないように「帝国」が小国をコントロールする。そういう、ますます民主主義を形式化させ、形骸化させる「帝国」への道が、小沢路線なのだろうと思っている。”
(ああさんのmixi日記:『小沢一郎が目指す「もう一つの帝国』http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20091220/1261241641


 

“ここでふまえるべきは、1960年の日米安保改定から前政権までのパワーエリートが、米国からの圧力を利用することによって自衛隊の海外派兵を既成事実化することそれ自体に腐心してきたのに対して、新政権下で予想される海外派兵は、国連主義を基礎としつつ、紛争への介入の「手続き」「内容」「予想される効果」を基準に<事業仕分け>され実施される点にある。”
(『週刊読書人』09年12月25日号、石原俊「論調 2009年回顧」)


これは、寺島実郎伊勢崎賢治といったリベラル派(国連重視)と見られていた人々が民主党の安保政策のお抱えになっている現状を絶対に批判的しなければいけないということだ。「国益」すら越えて「グローバル資本益」を守るために軍事力を使い、そうした行動を世界へ誇示する列強の仲間入りをするための動きが始まってしまっている。
 石原氏は続けて言う。

自衛隊=日本軍が、拡大の一途をたどる(潜在的)失業者の組織的な受け皿となりつつある。……これは、ポスト冷戦的状況がもたらす紛争の前線領域において、日本を拠点とする多国籍資本の活動や天然資源・農産物確保の条件を整備するために、貧困層が殺し/殺される場に投げ出されることを意味している。それゆえ、今後の日本における反戦・反派兵論が見据えるべきは<反貧困=反派兵>という地平であり、その課題のひとつは<潜在的失業者=潜在的自衛官>との応接になるだろう。”

反戦と抵抗の祭<フェスタ>09』では、ソマリアと同じく無視され続けるアフガニスタンで今何が起きているのかを話してもらい、また日本の自衛隊が今どうなっているのかをディスカッションした。http://a.sanpal.co.jp/r-festa/

そして僕は『フリーター労組の生存ハンドブック』のラストにもこう書いた。取り組みはまだまだ不十分だけれど、これこそ転換期にある反貧困運動も向かうべき方向性であり、今年みんなと一緒にやっていきたいことの一つさ! それこそが今日も僕を駆り立てていく、あなたと語りたいと思いながら。

“確かにぼくらには余裕がない。それでもこうした海外の戦争や搾取に無関心になったり認めてしまっては、「自分たち」と「それ以外」に線を引き差別しているだけになる。ぼくらが貧しく余裕がなくなると同時に、より戦争への動きも激しくなるのは、今の経済グローバリズムが、先進国の内部の貧困と、より貧しい国への戦争や収奪を同時に広げていく仕組みだからだ。

……2009年はじめ、ヨーロッパの若者は、自分たちの貧困に反対するゼネストをやりながら、イスラエルパレスチナ攻撃にも反対してデモや大学占拠を行った。
アラブ系移民が身近でもある彼らは、自分たちが日々感じる不正義や不公正に、パレスチナの人々の悲惨な状況を重ねあわせたのだ。

 人は自由で平等でありたいと願う。それができない現状に対し、ぼくらは新しい仕事や生活やつながりを求めてきた。それは国境の「内」も「外」も関係なく、人間社会の普遍的な思いだ。だから「私はここにいるんだ」「人殺しはやめろ」という意思表示を広げよう。表現から運動まで、できることは無限にある。いま・ここから出発して、貧困と戦争を終わらせるためにつながり、話し合い、行動しよう。”
清水直子・園良太編著『フリーター労組の生存ハンドブック』P207〜208、大月書店)