【コロナ事態の中、社会運動や文化活動をどうするか】ー自粛要請の「自己責任論」を乗り越えるために

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【コロナ事態の中、社会運動や文化活動をどうするか】

3/25以降、コロナで首都圏が戒厳令化し、全国にも波及している。まずは苦しむ仲間たち全てに連帯を送りたい。
①もはやコロナ疾患は誰もが身近で、対策は不可欠。検査数が少ないため、若年層も含めて潜在的感染者は多数。
②だがそうなったのは政府の「人災」であり、今は災害時の不安を利用して支配を強める『ショックドクトリン』をされている、とはっきりさせたい。

この①と②の両方で、市民運動や文化活動が真にやれない状態に追い込まれている(感染恐怖、外出自粛、会場封鎖、バッシング等)。
それはなぜか、どうすればよいか、国やメディアは論じない。人間と民主主義に欠かせないこの点を、運動を行ってきた立場からはっきりさせたい。

●なぜ「政府の人災」か?ポイントは何か?
①日本は五輪開催や観光誘致を優先するために、初動に失敗した(クルーズ船対応など)

②挽回するための「突然・現場丸投げ」の一斉休校で、社会を弱者から順に混乱・疲弊のどん底に落としている。

③補償をしない外出自粛要請を続け、大不況を招いている。また日本独特の自粛要請は、新自由主義的な「自己責任論」を蔓延させた(ここ重要。後述)。

東京五輪を延期した途端に、首都圏の患者数発表を激増させた。つまり五輪にこだわって感染を放置した期間に、首都圏の患者は爆発的に増えている。この事を小池、安倍、五輪委員会は一切反省も責任も取っていない。五輪延期の翌日から突然出てきた小池は、延期の悔しさを自粛の強権で晴らしたい幼稚な独裁者そのもの。患者激増と封鎖を突然上から聞かされたら誰もがパニックになるし、まさにショックドクトリン。
大阪維新も、都構想やカジノの推進か、自粛の強権を振るうかで迷っている。どちらも人命救済や生活補償は頭に無い。

⑤国の新自由主義政策で、医療費とくに感染予防対策予算などを長年削り続けた。その結果、私達も医療現場も無検査と医療崩壊二重危機に襲われている。自分で自分の状態がわからないから私達は不安になる。私達は何よりも状態を知る権利がある。

パンデミックの頻発は、原発や気候変動と同じく、日本や大国が進めてきた新自由主義・資本主義が原因。

それは1:森林伐採・開発で人間と離れていた野生動物が人間のいる場所へ出てこざるをえなくなり、異なる動物に留まっていたウイルスが人間に触れて変異し毒性を発揮したこと。

2:「先進国」の過剰消費により、第3世界の食の生態系が変化した。欧米の大量漁獲により魚から肉食中心に変わらざるをえず、都市の周りの巨大な工業的飼育場に依存する「家畜革命」が起きた。その飼育場がウイルス発生や伝播の温床になっている。

3:コロナ被害は、何がこの世界に必要な仕事かをはっきりさせた。全てを経済効率で判断し、そうでないものは切り捨てるのが資本主義。医療・福祉・教育を削減し、金融業・軍隊、軍事産業・巨大インフラ開発を優先してきた。でも前者の人々こそこの世界には必要不可欠だ。後者はカネの投資や引き上げを自分勝手に繰り返すことで世界恐慌の原因を作り、戦争で人命を奪う。まさに不必要であり害悪だ。

つまり私達の世界観と世界の仕組みを変える時。新自由主義・資本主義をやめて、持続可能な社会に転換させる時。また転換をせず、この事態への責任も取らない安倍政権や仲間たちに、緊急事態宣言というより強大な権限を与えてはいけない。

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●自粛要請とは、文化活動・社会運動・利権と無縁な仕事への「自己責任論攻撃」

日本政府は現在もリーマンショック時も、世界恐慌を作った責任者である投資家・株式市場・大企業の救済しかしていない。昼の仕事と満員電車は解消させようとしない。
新自由主義の先駆者・英サッチャーの有名な発言に「社会など存在しない。個人があるだけだ」がある。
つまり国家=上下関係や市場=利害関係とは異なる、人と人との助け合い、文化表現、異議申し立てはいらないと言い、「自己責任」で切り捨てる政策をしたのだ。

日本が真っ先に「補償をしないイベント・外出自粛要請」をしたこと。これは多くの労働者を苦しめると同時に、ライブハウスなどの文化産業や夜の仕事をまるで「無駄で順位の低いもの」と狙い撃ちした。また市民のつながりに欠かせない「公」民館や「公共」図書館を上から一気に封鎖した。これこそ新自由主義に忠実な政策だ。
欧米では大学生が一人暮らしの老人を助けに行ったり、労働組合が戸別訪問で悩みを聞いている。だがそうしたつながりが弱い日本では、今、老人・シングルマザー・子ども・障がい者・外国人などが孤立に苦しみ、見捨てられている。

さらに日本らしいのが、「善意の市民」も文化やナイトワークや寄り合いや社会運動の開催を、snsなどで「バッシング」していることだ。これは新自由主義とセットの「自己責任論」が今も心身に深く浸透している結果だといえないだろうか。

利害とは別の文化活動は人間の心の安定に欠かせないため、自由や補償が不可欠なこと。でも文化産業や零細のナイトワークは政権や大企業の利権と無関係なため標的にされ、そこの労働者や利用者が押しつぶされていること。そして異議申し立てや助け合いをする社会運動は、社会を良くするために欠かせないこと。

この構図を見えなくさせている自粛要請は、国家と資本主義が責任を回避・転嫁するための「攻撃」だ。そして「自己責任論」が文化や運動-ひいては私たちみんなを追い詰めている。国家頼みのロックダウンか、市場頼みの無検査放置か、の2択に追い込まれている。だがこの2択から意図的に除外された文化や運動が現状を変えると小倉利丸さんは言う。https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/

コロナ対策は不可欠だが、対策資源を豊富に持つ国家がそれをサボり、わずかしか持たない中小零細・表現者・社会運動に国家と同等の責任や対策が問われてしまっている。それができないから中止に追い込まれる。これは3.11後の避難者バッシングと同じく、「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」ように権力者側が仕掛けたものだ。(ブルーハーツhttps://www.youtube.com/watch?v=I68t-vJZinc

私たちはこうした攻撃から、一度冷静に距離を取らなければいけない。

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●では、社会運動や表現はどうすればいいのか
社会運動や表現活動は、医療や福祉と同じくこうした時こそ必要だ。
とはいえコロナ疾患の不安や生活苦が迫る。また行動の際も疾患対策は欠かせない。

★まず、運動や文化の優先順位の整理。

1:政府・大企業は悪政を何も「自粛」していない。沖縄・辺野古の米軍基地建設や南西諸島の自衛隊配備が代表例だ。辺野古は今も毎日座り込みしている。それと連帯する行動も継続が必要だろう。コロナ解雇が吹き荒れる中での年に1度のメーデーや、原発再稼動や汚染水放出時の抗議や裁判も同様だ。

2:コロナ被害の経済的補償や医療現場への保障が無さすぎる。それを求める行動、いま世界中に広がる労働者ストライキなどは不可欠。「今すぐ生活・医療補償の拡大を!」を統一スローガンにすること。4月6日、大阪市役所と交渉します。
呼びかけと要求:https://ryota1981.hatenadiary.org/archive/2020/04/03

補償のために新型コロナ特措法の「緊急事態宣言」を求める声も高まっているが、宣言は補償を何も義務づけておらず、無関係。また運動や外出への法的規制力もない(ない方がいい)。
解説:https://news.yahoo.co.jp/byline/tarobando/20200327-00169975/
安倍政権の宣言は補償ではなく、モリ・カケ・サクラのようなやりたい放題の独裁にしか使わず、上述の「自己責任論」がさらに強化されると断言できる。参考:「京大の藤原辰史:パンデミックを生きる指針」https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic
また、宣言を出さなくてもすでに自粛ムードが相当広がったので、「宣言」は実質出されているのと同じ。よって安倍は日本の国際的評価・株価を下げないために出さないだけだと思う。運動・民衆側が宣言を求めるのは、無意味かつ自殺行為。

3:この危機から地域社会を再生すること。身近で助け合える関係性がないと災害時に人は終わる。権力任せにせず、相互扶助の関係を作ること。その実践に国から金を出させること。

4:世界的な視野を持つこと。世界中で毎年、「南側」の国々で50万人から多い時は100万人から150万人ぐらいの人がマラリア病で死んでいる。それを「北側」は本気で救おうとはしてこなかった。新型コロナが世界を揺るがしたのは、豊かな「北側」に住む私達にも被害が及んだから。世界の不平等と無関心の表れ。自分や一国だけの解決はありえず、弱者や搾取された国々の立場に立った解決を今度こそ行なうこと。
参考:インドから声明「人民に焦点を当てたグローバル・パンデミック対策」を要求する」
http://www.labornetjp.org/news/2020/1585299810928staff01

★次に、運動と自分自身のコロナ対策。
この危機とウイルスはしばらく収束せず、共存していかざるをえない。原発放射能は空間にばらまかれるので抑えようが無く、またすぐに距離を取れば被ばくを防げるが、人から人へ移るウイルスの場合、人が完全に一人で生きることは不可能なので、移り方を止める工夫が大事)。
そこで上記のような優先順位(僕の考えですが)で、開催の可否を決める。
そしてマスクをつけ、マイクには消毒する。デモや街宣は人と人との距離を取って行なう。屋内より野外。
ネットを最大限活用する。不安な人、体調がよくない人は休み、自分がやりたことをやって免疫力を高める。
個々の立場を尊重し、ケンカ別れをしないこと。
ただし、人は孤立や孤独でも死ぬ。家にこもればDVも増える。今後そのストレスは益々増える。地域の寄り合いは不可欠。ネットでも励ましあう。そして抗議・要請行動を求める流れも必ずまた来る。

以上です。また書きます。協力して難局を乗り切っていきましょう!