3.11、今、そしてこれから(その1)

地震津波の災害にみまわれた地域と、原発による災害地域との間には、明らかな違いがある。「悲しみ」と「怒り」という違いが…。”
HxRxPx N 9.11原発やめろデモへの声明文より http://hrp-diymusic.blogspot.com/

今、僕らはどこにいるのか

『ボクが東電前に立ったわけ』という本を書き上げた。3.11以降の自分と仲間の行動をまとめあげたものだ。あれから半年弱。僕らはもうそれ以前には戻れない。国家と社会の基盤も、私たちの日常生活も、運動の深度や規模も。
あれから何が変わっただろうか。僕やみなさんは何をしてきただろうか。今どこにいて、これから何をしていくだろうか。
首相が野田に変わった。原発推進増税新自由主義、超タカ派の最悪首相であり、3.11からわずか数ヵ月後にこんな首相が選ばれることに世界の人々は驚愕するだろう。
そして放射能汚染が果てしなく広がり、私たちは日常生活の全てに緊張を強いられている。原発推進勢力が息を吹き返し、再稼働を始めている。この2つの問題は今後果てしなく悪化する。今、全体像をきちんと描き出すことが必要だ。僕は3.11直後から動き始め、仲間と共にその時々の状況の中で必死に考え、話し合い、動いてきた。そこから見えるものを伝えたい。

1:3.11からの全体状況 

3.11直後に浮上したのは、一言で言えば「政府主導の国難ムード」だった。「がんばろう日本」のナショナリズム、自粛ムード、計画停電の「非常事態」ムード、米軍や自衛隊の全面化、原発作業員の英雄化。その全てが日本政府と東電の事故の責任逃れになっていた。地震への衝撃、何とか原発事故が収束してほしいという多くの人の素朴な思いと無力感がそこにマッチしてしまった。戦時中と同じだ、と強い危機感を持った僕は仲間と東電前で抗議を始めたのだ。

 3月末から日本中で反原発デモや集会が広がった。これは多くの人が原発放射能への怒りと恐怖を声に出し始めたということだった。家でテレビの前に閉じこめられ収束を願う状態から、収束なんてしない、むしろ野菜や飲み水から放射能が出ている、東電は許せないという思いが高まった。東電の株価は下がり、週刊誌、新聞、テレビも事故の責任を徐々に追及し始めた。

 そうして5月6日、首相菅は浜岡原発の停止を指示し、「脱原発」を口にし始めた。また保守派・右派すらも一部が「脱原発」を主張し始めた。大きな流れが作られ、6.11の脱原発100万人アクションで結実したかに思えた。しかし内部被ばくは拡大し、原発再稼働もすぐに浮上した。問題は長期化し、先が見えにくくなり、疲れもたまっている。そこで問われたのは、「首相や右派という体制側すら“脱原発“を主張し始めた状況では、”脱原発“と言うだけでは何も主張したことにはならないんじゃないか」ということだと思う。

 私たちに倒されなかった権力と資本は、悪の道を先へ先へと進んでいる。経団連が相も変わらず被災地への「復興特区」構想をぶちあげる。福島原発廃炉作業や再生可能エネルギーが巨大ビジネスとなり、東芝を始め今まで原発を推進してきた責任者企業がそれを担ってしまう。そして事故がなかったかのように原発を再稼働すらさせてしまうのだ。まさにあり得ない事態、世界最悪レベルの国家だ。

 一方私たちは内部被ばくの対処に追われている。何を飲み食いできるのか、どの街がどれだけ汚染されているのか、子どもはどうすればいいのか、自分の体調不良が被曝と関係あるのか――そもそも福島はすでに避難必須の被ばくの極限状態だ。放射能は五感に感じ取れず、被害が後から出てくるため、重圧と緊張に耐えきれず多くの人は表面的に無関心にならざるをえない。福島の怒りと日本全体が切り離されていることも大きく影響している。

 政府は情報を隠して責任逃れと補償逃れを狙っている。原爆や水俣病は当初被害が隠され続けることで、のちに被害が発覚しても因果関係が不明確だと補償対象から外されたのだ。政府は今も忠実にそれを繰り返そうとして問題を長期化させている。そのために福島の人々を閉じ込め、まともな補償も情報公開もせず、見かけだけの平穏を演出しているのだ。これは棄民政策どころか殺人政策である。

 その分私たちは必至の対処に追われているが、大本が変わらない中の個別対応には限度がある。今後は私たちの幅広い連帯と構想力が必要だ。それこそが未来の希望になる。それを個別テーマごとに書いていきたい。