友人の末期大腸がんの松平君が死去しました。追悼文です。通夜と告別式行きます。国と東電を許さない声を

末期大腸がんで都内に入院していた友人の松平耕一さんが、8日朝、亡くなりました。39歳でした。心から冥福を祈ります。ぼくも通夜と告別式に行きます(日時・場所の詳細を知りたい方は連絡下さい)。多くの人に賑やかに見送ってほしいと本人は話していたそうです。ぜひ参加をお願いします。自分も大阪から行きます。彼への思い、私たちの今の気持ちを共有しましょう。

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【追悼文】

『自分がもし病気になったら、原発事故と関連があるんじゃないかと想像してほしいし、そう主張してほしいし、主張する人がいたら手伝ってあげてほしいと思います。』

覚悟していたが、その時が来てしまった。無念さ、悔しさ、悲しみ、原発への怒りと恐怖でいっぱいだ。

松平君は多くの人とつながりを持っていた。僕は社会運動で出会った友人だった。僕が彼の病気と原発問題のつながりを強調するのは、お互いの苦しみの交差点だったからだ。反原発反戦デモなど色んな現場で一緒だった。顔の骨格や体型が似ており、「デモで公安に園さんと間違われたんですよ」と笑って話されたこともあった。また彼は弾圧問題に関心が高く、僕の「2.9竪川弾圧」の裁判に何回も来てくれた。大腸がんと発覚する直前の2015年11月19日も来てくれた。僕は彼の容態がわからなかった。

そして、2013年12月の「秘密保護法靴投げ弾圧」の救援会で初めて一緒にやった(全く運動経験のなかった人が、秘密法の強行採決に激怒し、採決の瞬間に国会傍聴席から靴を投げ、逮捕・3ヶ月勾留・有罪にされた)。あの大変な救援で、彼は常に的確に動き、弾圧当事者が最もピンチの時に、自分の経験を生かしてアドバイスと病院への付き添いをしてくれた。大事な仲間だった。

運動経験のあった彼は、末期がんで倒れた時、被曝が原因だと思い、勇気を出してそう主張し始めた。彼の力になりたかった。また僕も同じ2016年初頭、不整脈で倒れ続けていた。このままでは家で寝込んだまま黙らされると思い、被曝も原因だと主張し始めた。僕はまだ動けたため、避難を決意した。だが諸事情で延期された。望んだ引っ越しとは違う。悔いが残る。それは関東に仲間も家族も皆いて、事故5年目、健康被害が続発していた。なのに被曝被害や避難の話ができなくなっていたからだ。自分だけが助かりたいのではない。この状況を変えたかった。そこで彼や、被曝被害に苦しむ仲間に声をかけ、ともに4月に『福島原発による健康被害者の会』を立ち上げた。

彼の精神力は、すごいものだった。闘病方針を自ら選び取り、ネットで公表し続けた。末期がんの体でも3回の集会に自ら出向き、横たわりながら発言した。「因果関係が云々」を恐れず、「原発被曝のせいだ」と言い続けた。それは確実に3.11事故後の初めてで最大の声だ。誰にそんなことができただろうか? 敬服する。広げるのは友人の責務だと思った。

僕は艱難辛苦の経験の上に、東京離脱を決め、自分のことで次第に精一杯になった。活動をともに出来ないことも増えた。申し訳ない気持ちもあった。彼の原発放射能への怒りは、僕の声だった。彼の最大の願いは、自分の存在が知られることだ。

その悔しさはとてもよくわかる。病者は、自動的に、病院や家に隠されるからだ。だから避難しても、新聞で広げ続けた。願いに応えるとは、広げること(被曝被害を認める)、同じ犠牲者を出さないこと(被曝対策や避難をする)、加害の責任を取らせること(国や東電に)、だ。彼の声は、他の人々の命をも守る、未来への警鐘なのだ。

心底つらく悲しいが、黙っているわけにいかない。最大の追悼と教訓とは、人類史上最悪の核被害が続いており、原始視力緊急事態宣言=戦争中だと思い出すこと。こんなにも被曝被害や避難を言えなくさせられ、まるで過去の事になっている状況を、とてつもなくありえないことだと見つめ直し、変えることだ。

松平君は、東京生活の内部被曝をしていた。そして東電の下請けで、福島からの賠償書類をコピーし続ける被曝労働をしていた。その身体への影響もかつて語っていた。さらに東電と派遣会社には、仕事内容を言うなと口止めまでされていたのだ。詳細:http://jimmin.com/2017/07/17/post-3692/
多重派遣の許されざる実体は、以下。https://www.google.co.jp/amp/gamp.ameblo.jp/inoushi71/entry-12122069265.html
https://www.google.co.jp/amp/s/anond.hatelabo.jp/touch/20140728201354%3fmode=amp

上記の記事で、その労働の危険性を指摘した「内部被曝研」の渡辺悦司さんは、同じくがん死した小林麻央さんをこう書いた。「小林麻央さんは、放射線影響のがんの犠牲者であった可能性の高い事例の一つとして、一時ではなく永遠に、記憶され追悼することになると確信します。それこそがわれわれとして小林さんを追悼する、最もふさわしい道だと。」http://jimmin.com/2017/07/11/post-3611/

僕は友人として、健康被害者として、避難者として、心からそう言いたい。

「松平耕一さんは、放射線影響のがんの犠牲者であった可能性の高い事例の一つとして、一時ではなく永遠に、記憶され追悼することになると確信します。それこそがわれわれとして松平さんを追悼する、最もふさわしい道だと。

時間は巻き戻せない
失った命は帰らない
核・原子力はいらない
国と東電を許さない
命を返せ
友人を返せ
彼が生きるはずだった数十年を返せ
そして私たちの未来を返せ

関東東北の友人たちへ、避難して下さい。避難先で一緒に闘って下さい。あなたを失いたくないのだ。友人の歌を引用し、筆を置く。この作業員とはもはや全ての東日本の住民のことです。また書きます。

『作業員全員撤退せよ 作業員全員ストライキ
作業員全員逃げたら 自民党員120万人にやらせろ
世界最強のストライキ フクイチストライキ
どんな要求だって通すぜ
要求を断ったら 北半球が壊滅
あいつらの全財産が人質だ

作業員全員撤退せよ 作業員全員ストライキ

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渡辺悦司さんからのコメントです。

「皆さまに、心よりお悔やみ申し上げますともに、患われた「大腸がん」についての私の考察を、ささやかではありますが、松平様のご霊前に捧げたいと思います。

きっと皆さまは、今回のような場合に、「周辺で多発しているかに見えるがんは、福島第1原発による放射能がもたらした被ばくが原因とは断定できない」などという、残酷なコメントに直面されておられると思います。

しかし、現在のがん科学(腫瘍学)、がん生物学、がん分子生物学の最新の発展は、このような「不可知論」「分からない論」「確認できない論」に、大きな疑問符を投げかけています。

現在のがん科学の教科書は、がんの発症が、偶然に、放射線により遺伝子変異が起こるというのが原因ではなく、何十個から何万個もの遺伝子変異の多段階での「蓄積」こそ、がんを生じる原因であることを、最近可能になった全遺伝子の解析によって、明らかにしています。

大腸がんについても同じです(私の東京たんぽぽ舎での講演のスライドより)。https://drive.google.com/file/d/0B_BelY_HvnqVN3lqQWJacDQ2ckE/view
ここに掲げてあるような、いろいろな遺伝子の変異が、次々と積み重なることによって、大腸がんが生じるのです。
ですから、がんを発症させる要因もまた、本来、一つではなく、複合的なものです。

農薬や大気汚染などの化学物質や環境汚染要因もあれば、喫煙も飲酒も、食品添加物も、生活習慣も、ストレスも、自然放射能も、原爆実験による放射能も、原発通常運転の放出放射能も、すべて影響を及ぼしており、それらの上に、さらに、福島原発事故による大量の放射能とそれによる外部被曝内部被曝も加わっているのです。

遺伝子変異の蓄積を促すものは、何であっても、福島事故由来の放射能であっても、当然、がん発症の原因の一部なのです。
添付ファイルの中に、被曝と大腸がんの例を挙げておきましたので、ぜひご覧下さい。

松平さんの場合には、(1)本来、大腸がんでは40〜60年かかる前がん病変の進展が、放射線被曝の影響により、ゲノム変異の蓄積が加速したか、(2)それとも、放射線により(おそらくは微粒子による内部被曝により)より、決定的に重要ながん抑制遺伝子(遺伝子変異の修復や異常な細胞のアポトーシス[細胞死]を制御している)が、最初から変異させられたことによる「デノボがん」であったか、のいずれかでしょう。

どちらの場合も、福島事故由来の放射線によって変異蓄積の「最後の引き金が引かれた」か、放射線により「新たながんが生じた」かのいずれかでしょう。
だが、いずれにしても、福島事故由来の放射線が、がん発症をもたらす遺伝子変異の「蓄積」に特定の大きな役割を果たしたことは、誰も決して否定できません。

これは、われわれにとっても同じことです。この点を、ぜひ松平氏の御霊前に報告いたしたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。
私は、松平氏の活動を残念ながらよく知良ないまま来ましたが、残されたわれわれが彼の遺志を引き継いで前進していくことこそ、彼の悲劇に報いる唯一の道だ、と確信いたします。

友人の末期大腸がん、東電と原発を許さない

【シェアお願いします】

園です。「原発事故の影響だ」と明言する、末期大腸がんで入院する松平君のことで、追伸です。
今日面会に行った友人から連絡があり、松平君本人から、彼の意思で今後は睡眠し続ける状態になるため、起きて話せない、面会は無理ですとのことでした。
ご配慮ください。
彼は、最後の力を絞り、フェイスブックを更新していました。注視して下さい。

詳細は、これを見てください。
http://jimmin.com/2017/07/17/post-3692/
そしてのインタビューなどに出ていない、彼から聞いたことがあります。

彼が東京でやっていた長期派遣の仕事は、東京電力のADR=被害者の賠償要求の書類をひたすらコピーし続ける仕事です。
福島から運ばれてきた大量の封筒と書類です。つまり狭い室内で、封筒や書類についた放射能が粉じんのように舞い上がり、それを吸い続けていた訳です。それも大きかったと言っています。東電は、そういう危険な仕事を、自分らではく派遣労働者にやらせていた訳です。原発労働と同じ差別構造です。許せるはずがありません。

この問題の専門家と言える、「市民と科学者の内部被ばく研究会」の渡辺悦司さんが、それについてコメントしました。転送します。

ぼくは、自分自身も心臓病で倒れた一人の人間として、東日本のみなさんに、本当にもう誰も、何も犠牲者を出したくないと、心から思います。
8.6の広島で、関東の放射能汚染と、松平君のインタビューを、チラシにして配ってきます。

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園様 皆さま
 渡辺悦司より

この情報は、非常に重要だと思います。

私は、2014年ごろに、放射性微粒子の問題を懸命にやっていましたが、そのときに、東京圏の微粒子汚染について、その危険な状態について気が付き、周囲の人々に警告しました。

ですが、今となっては、もっと皆さまに広く知らせる方法が何かなかったかと、心が痛みます。

当時の論考は、以下を見てください。
http://blog.acsir.org/?eid=31

東京圏の汚染は以下にあります。
http://blog.acsir.org/?eid=33

放射性微粒子は、肺に沈着すると思われていますが、かなりの部分は痰として消化器官に入ります。

消化器官に入った微粒子は、ナノサイズのものは、消化管から体内に吸収されますが、大きいミクロンサイズのものは、消化管のどこかに付着すれば、そこで周囲の細胞に放射線を照射し続け、がんを発生させる可能性が十分に考えられます。

松平さんは、おそらく作業をされた当時、サージカルマスク(N95マスクが良いですが)でもされておられれば、結果は変わったかもしれないと思われます。

彼の場合、がん発症は、事故以後4年を経過していますから、アメリカのCDC(疾病予防局)による固形がんの最短潜伏期間4年をクリアーしていると考えられますので、弁護士さんと相談されて、(まだ可能な病状ならですが)、労災認定を請求されたらいかがでしょうか?

現実には、がんは遺伝子変異の「蓄積」で生じますので、4年に達しなくても、放射線の影響で最後の引き金が引かれた可能性も十分に考えられます。

今からでは、もう遅いかもしれませんが、あとは作業されていた部屋の壁を1平 方メートル分(1m×1m)、ウエットティシューで拭き取って、どこかの市民放射能測定所(たんぽぽ舎など)に、放射線量を測定してもらうことです。

いずれにしろ、松平さんの意思を受け継いで、被曝の危険性を訴えていく運動をさらに進めていくことが、私も含めて、われわれの課題だと痛感いたします。

松平さんに、われわれ人間が「神」と認識するもの、つまり自然と運命のご加護がありますことを、心からお祈りいたします。

私たちの被ばく病気経験、権力の大虐殺政策、東日本の今と避難の呼びかけ:前編

これは今年一番力を入れた、また勇気を使った呼びかけです。

 僕は2002年から東京で社会運動を続けてきた、35歳の者です。2015年に心臓の不整脈で何回も倒れ込み、放射能の影響だと思い、生まれ育った東京から昨年末に大阪へ避難しました。関西で「Go West, Come West!!! 3.11関東からの避難者たち」という集まりを避難者たちと立ち上げ、活動しています。http://www.gowest-comewest.net/

 僕がこれから描くのは、3.11東電福島原発事故放射能によって、人々がどのようにむごたらしく大規模に殺されていくかを、自分と友人の体験を元にした「未来予測」です。それがこのまま隠され続けたら、私たちと日本社会がどのようになるのかを考えることです。それは関東・東北に住む仲間である皆さん自身に起こることです。自分たちの人生を「逆算」してどうしていくかを一緒に考えて行動することが、まず何より大事な友人であるみなさんを守ることであり、今最も必要な「運動」でもあるからです。

その結論は、「東日本からの総撤退、集団移住。私たち避難者は原発=核=現在の世界構造を変える生き証人になること。最後に残る『収束作業を誰がやるのか』という問題は、まず全ての事故責任者から最初にやらせること。」です。ですがその結論に今は異議や困難を感じる人も、どうか最後まで読んで欲しい。今最も必要な作業が、最も放棄されているからです。未来へ生きるために、現実の全体を捉えよう。

(※この作業は、ほんらい人文社会科学と自然科学と表現者の力を交差させて総力で行うべきことであり、それを放棄している日本の学問やアーティスト、とりわけ自分が大学で学んでいた社会学を強く批判します。「復興がんばろう」「食べて応援」などの「ことばとイメージ」が、私たちをどのように騙しているかを分析・批判するのが社会学の役目なのです。今からでも着手せよ。)

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1:今後数十年間の東日本の被ばくで「殺される」のは、最低でも一千万人以上。数十人に一人に及ぶ。

 日本政府と、IAEAなどの原発推進の国際勢力は、東電事故を全力で隠蔽しています。私たち住民を避難させないようにしています。「自主避難者は自己責任」発言は、国の「復興政策」の基本方針なのです。まずこれが最大の問題であり、変えるべきことです。

 そして彼らが何もやらないだけでなく、反原発運動に参加するような人も含めて、なぜみんなが東日本に残っているのか。これが今一番みんなで考えたいことです。僕も昨年末まで残っていたので、よくわかります。
1:これほどの被ばくは初体験なので、知識も薄いしどうしたら良いかわからない。
2:大変すぎて、考えたくないし、考えられなくなる。
3:国の6年間の隠蔽政策がかなり成功し、避難者も黙らされている。そのため東日本の住民が棄民政策をやられていることがわかりにくいし、棄民政策を直にされてきた避難者と住民が切り離されている。
4:避難したくても今の仕事や活動をやめられないし、家も手放せないし、慣れない場所は余計に不安だ。
5:親の介護、友人、仲間、恋人などが東にいるから、離れられない。

 1、2、3は現実をどう認識するかという問題であり、4と5は実際にどうするかという問題です。まず認識を改めることが必要で、その上で現実の諸課題を一緒に解決したいのです。

 そこで、まず「1」の基本事実を確認します。3.11東電福島原発事故は世界初の4基連続の過酷事故、半永久的に続く事故です。つまり人類史上未曾有の事態であり、空前の環境破壊と死者を出します。この凄まじさを世界と私たちが忘れかけている理由は、想像を絶する事態であること、放射能が目に見えないこと、国際社会と日本政府の隠蔽と責任逃れが凄まじいことです。

 次に死者数を大まかに述べます。1986年にチェルノブイリ原発1機が爆発し、やがて収束した事故では、ロシア・ベラルーシウクライナが広範囲に「放射線管理区域」並みに汚染され、人が住んではいけない場所になりました。そしてこの30年間でおよそ100万人の住民と被ばく労働者ががん、心臓病、白血病脳出血などで死にました。この範囲と汚染はまず東日本の全域に当てはまります。汚染地帯の住民は、日本は巨大な東京圏が含まれるために、チェルノブイリの十倍以上の約5500万人に上ります。つまり今後30年間に一千万人以上が被ばくで殺されるのです。しかも東電事故は4基連続で、放射能も出続けているため、さらに大きな被害になるのは確実です。

 「市民と科学者の内部被ばく研究会」の渡辺悦司さんも、ここ数年の東京の放射線量を元に、「東京圏の住民の致死リスクは、毎年でおよそ9万人、50年間では260万人。人口4.5倍の関東圏全体の致死リスクは毎年およそ40万人、50年間では1200万人となるのだ」と明確に計算しています。
http://www.gowest-comewest.net/higai/watanabe20170326.html しかしこの数字も、事故直後、2011年3月15日などの高濃度初期被ばくや、今回の浪江町の山火事汚染は抜きにしています。初期被ばくは私たち避難者の多くも浴びているし、山火事は最も汚染を拡大する「第二の3.15」です。死者数はさらに多くなるでしょう。

 東日本は、最低でも、毎年100人に一人が殺されます。最も大事なことは、天災や事故や寿命で「死ぬ」のではなく、国・東電が起こした爆発と、避難させない棄民政策により、「殺される」のだと確認することです。被ばくを強いられる私たちは今後、誰もが「天寿を全うして死ぬ」のではなく「殺される」のです。

 僕は35年東京にいて、運動していたため、数多くの友人知人がいます。FBの関東友達は800人くらい、FBしてない人も入れれば二千人以上はいる。そのうち毎年20人以上は殺されます。しかも「若くして/突然に/周りに分からずに」です。末期大腸がんで苦しみ続ける松平耕一君が代表で、彼は発信してくれるから分かる。しかし多くの人はそんな発信もできずに消えている、すでに今も。僕にはそのことが見えるし、元々「汚染されている」という状況は外からの方がよく見えます。東日本はこれから真の地獄になります。第二のホロコーストです。だからはっきり汚染と避難を呼びかけているし、移住者の支援を始めたのです。
 
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2:3.11 被ばくで倒れるとはどういうことか

 僕が最もリアルに語れるのは、「大変すぎて、考えたくないし、考えられなくなる」の理由とその先にあるもの、つまり関東東北の今とこれからです。昨年東京で心臓病で倒れて苦しんだ自分は、未来を先取りしてしまった面があるからです。ざっと振り返ると、僕は3.11直後に「首都圏は恐怖心と計画停電で、家から出られずに『収束を祈るしかない』状態にさせられてる。米軍と自衛隊が収束作業=メディアを埋め尽くし、菅首相ACジャパンのCMが『国民の団結』を訴えてる。作業員が特攻隊員のように英雄視され、自粛ムードが広がって集会も中止になってる。これは全て戦中の日本と一緒だ。今、事故の責任者は政府と東電だ!と名指しをしなければ、本当に何も出来なくさせられる」と思ったので、仲間と東電へ抗議行動を始めた。3月18日のことだ。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110321/1300649351

そこから反原発デモ東電抗議が広がった。それを全力でやり続けたが、それは次第に「被ばく地福島の支援と連帯」か「再稼働反対」がメインになった。「関東も、自分も被ばく当事者だ」という意識はみんな薄く、そう思った人は避難した。デモがあまりに忙しく、深く考える余裕がなく、自分らが大規模被ばくするという初の事態は想像も絶した。それでも僕は「福島集団疎開裁判の会=脱被ばく実現ネット」に関わり続けたため、東京の中では被ばく問題を考え続けた方だ。その蓄積は大きい。

 とはいえ、福島と沖縄を始め安倍政権のあらゆる暴政を止めたかった。全ての政府機関は東京に集中する。だから喜びも苦しみもある運動を続けていた。だが2015年7月、支援に行っていた沖縄辺野古で倒れた。苦しみながら何とか帰京し、10日間入院した。心臓の脈が3回に一回ほど欠ける不整脈「徐脈」だった。それがリラックスした時=寝る直前や寝ている時に毎日出る持病だと診断されたのだ。前から疲れ切った時に貧血のように倒れ込むことが多かった理由が分かった。チェルノブイリで心臓病が一番多かったのは知っていたので、被ばくの影響があると思った。ただ何よりも、直前の5月の「経産省前弾圧」で、「逮捕された園が悪い。自己責任」という攻撃と分断が周囲やネットから起こったことのストレスが大きいと思った。それも間違いなく理由だ。まとめ:http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20170605

 だが翌16年の1〜3月、昼間起きている時も不整脈が頻発した。すると本当に立っていられなくなる。デモや会議の後に何回も倒れ、仲間に車いすやタクシーで自宅に連れて帰られたりした。「見ていて死ぬかと思った」と言われたし、自分もそう思った。週末はほとんど寝込んで、心底苦しんだ。生まれ故郷だから悩みに悩んだ末に、東京からの避難を決意した。当時の相方が住む場所へ行こうとしたが、3月に相方の目の前でも2回倒れてしまった。それをきっかけに関係が破たんしたため、「人民新聞」の仕事があり、知人が多かった大阪へ避難したのだった(このように、被ばくの病気によって人間関係が破たんすることも、今後増えると思っている)。 

 医者には「もっと悪くなればペースメーカーを入れるよ」と言われた。僕は病気をほとんどせずに行動や発信を続けていたため、ショックは大きかった。しかも手首を触ればすぐ脈欠けが分かるため、測りすぎてノイローゼ気味になった。「命」について、短期間に凝縮して心底考えさせられたし、「冗談じゃ無い、この年でペースメーカーを入れてたまるか、殺されてたまるか」と思った。

 だからこそ、3.11被ばく被害を考えぬきました。被ばくはがんや心臓病などの大病を潜伏させ、しかも進行を早めるため、「気づいたときには手遅れ」が増えます。さらに人は倒れたら当然だが家や病院から出られなくなります。行動も発信もできなくなります。しかも「病気は被ばくのせいだ」という社会的合意が抑え込まれているため、本人も周りもそれに気づけないし、分かっても訴えることができません。そうして病者からまず周りに知られず消えていきます。だからみんなが「今の病気は被ばくのせいだ」とも「これから被ばくで病気になる」とも思えなくなるのです。国・東電はそれを全て分かっているから、避難を止めて後は放置しておくだけで被害者は死んでくれます。全滅のスパイラルです。

 被ばくはまず甲状腺がんのような特定臓器の疾患を起こし、莫大な死者を出します。凄惨ですが、わかりやすい面もある。僕はズキューンと心臓に来たので、危機感を持って避難を決断できました。子どもの病気に衝撃を受けてすぐ避難した多くの母親と同じです。それは幸運でもあったと思います。しかし、被ばくは免疫力を下げる「総合的な老化現象」でもあるため、多くの人は持病や風邪やうつをだんだん悪くしていきます。だからその状態に慣らされるし、通常時との区別も付きにくく、決断もしにくくなります。

 しかも、被ばくは神経系も壊します。自分の健康状態や取り巻く社会状況を考える「知力」や、動いて避難しようとする「気力」も奪っていきます。どんどん頭と心と身体がぼんやり・もうろうとしてくる。これが真に恐ろしいことです。汚染地帯=東日本では、広島・長崎の原爆の「ブラブラ病」が全社会に広がります。自分と社会の放射能汚染、隠蔽、健康被害について向き合い動くことができなくなるのです。これまでのどの公害事件よりも!時間が経てば経つほど!こうして、あまりにもむごたらしい形でこれから一千万人以上が「殺されていく」のです。 

 チェルノブイリ事故では5年目から健康被害が激増しました。そうして5年目の去年から30〜40代の友人知人に話を聞けば、末期大腸がん、膵臓がん、胆管がん、白血病甲状腺異常、逆流食道炎、化学物質過敏症などで日常生活を送れなくなる人が激増していました。だからまずはそうした仲間と4月に『福島原発事故による健康被害者の会』を作りました。健康被害の存在と「被曝のせいだ」という声を上げることが必要だと思いました。スタート集会と健康被害の事例:https://radiationdamage311.wordpress.com/2016/04/15/%e5%a0%b1%e5%91%8a%ef%bc%9a%e6%94%be%e5%b0%84%e8%83%bd%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e3%80%8d%e9%96%8b%e5%82%ac%ef%bc%81%e9%96%a2%e6%9d%b1%e3%81%8b%e3%82%89%e3%82%82%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%81%8c%e3%81%a4/

 その上で、僕はやはりこのまま残り続けたらただ殺されることになる、避難して闘っていこうと思い、相談や苦悩の上で、昨年末に大阪への避難をしました。

 東日本の住民は、大地震原発事故を身をもって経験しています。心から忘れることはありません。この空前の凄惨な未来をどこかで感じているからこそ、考えずに日常に戻る「正常性バイアス」となります。目の前の仕事や活動にのめりこみ、それを理由に動かない、動けなくなるのです。

 これが、何かの差別ではなく、自分も体験した事実です。この状況を変えて、避難をしましょう。後編で「3」の政府の復興政策6年を検証し、徹底批判します。そして4、5の具体策を考え、提案します。

6月23〜25日に東京に行きます。24日、この集会に参加します。会って話しましょう。
★脱被ばく実現ネットからのお知らせ★ 学習会
  「被ばく被害、そして その先にあるもの」講師 山田國廣氏
日時:6月24日(土) 13時開場(13:30〜16:30)
場所:光塾(渋谷)
詳細→ http://fb.me/13IFeQSLo

他の時間も空いてます。まずは何よりも東日本で話し合い考える場が必要です。会ってこれからを話しましょう!(後編に続く)

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3:政府の隠蔽と私たちの諦めの正体――それは変えられる

 東日本の住民は、大地震原発事故を身をもって経験しています。心から忘れることはありません。前編で描いた空前の凄惨な未来をどこかで感じているからこそ、考えずに日常に戻る「正常性バイアス」となります。目の前の仕事や活動にのめりこみ、それを理由に動かない。動けない。どんどん具合が悪くなり、ますます動けなくなる状態です。

 それゆえに、日本政府の隠蔽=「福島復興政策」はほとんど批判をされずに全社会を覆ってきました。まず事故直後から収束作業を国と東電が独占した。福島の放射能安全キャンペーンと、11年夏から「除染」を開始した。12年から本格化した、ゼネコンが食い物にする箱物復興計画と、全国への「食べて応援」やがれき拡散。、関東と世界に向けた2020年東京五輪。14年からの避難区域解除。今年の住宅支援打ち切り、汚染土の全国拡散。全てがノンストップで進められました。

 また、今回の茨城大洗の被曝事故は、常に生身の人間が危険すぎる手作業をしていることをまたも明らかにしました。この極みが福島原発労働です。死を強制する労働です。しかしその全てを国・東電がコントロールし、実態が隠されてきました。だから最大の被害者である福島の住民、全国の日雇い労働者、外国人が担っています。自分がやれない労働を、誰かにやらせてはいけない、収束作業を必要とするなら、IAEA・日本政府・東電・経産省・三菱東芝日立…など、まず全ての事故責任者からやらせなければいけない。まさに逆さまの世界。福島原発の実態は、究極の差別と暴力で隠されているのです。

復興政策を支えてきた手法とは、一言で言えば、問答無用、です。まっとうな議論をしない、異論を受け付けない、事業の検証をしない、方針転換はありえない、という態度です。福島の「復興」をどうするかという問題は、きわめて重要な問題であるにもかかわらず、公的な場ではほとんど議論されないできたのです。
“「復興」の名のもとに、汚染被害も人的被害も隠されてしまいます。国策のために目をつぶれ、というわけです。かつては「中立性」だとか「両論併記」だとかいう建前をまもってきた新聞社も、こと「復興」政策に関しては、中立性の建前を捨てて一方的に「復興がんばろう」なのです。これは異常な事態です。”
(『3.11後の世代とともに 「復興」破たん後の未来構想を』矢部史郎、『人民新聞』2017年5月15日号)http://jimmin.com/2017/05/19/post-2826/

いま、「日本列島改造論」は、「国土強靭化」というスローガンに焼き直されて、ふたたび列島を覆い尽くしている。……このようなスローガンのもと、列島改造論を再現させたかのように、列島には公共事業がばらまかれる。東北の被災地もまた、現代版土建国家の標的とされた土地のひとつだ。放射能からの避難指示解除が進められようとしている福島県大熊町では、総事業費約31億円をかけた町役場新庁舎を建設するのだという。この事業によって真っ先に利益を得るのが土木建設資本であることは、間違いない。
 なによりこうしたインフラは、いったん建設されてしまえば「既成事実」と化してしまう。莫大な資金を投じて新庁舎を建設してしまえば、それを空っぽのままにするわけにはいかなくなる。新庁舎が完成したあかつきには――このとき土木建設資本はすでに十分な利益を懐に入れているわけだが――投ぜられた資金に見合った機能を発揮しつづけねばならないし、それに見合った地域社会と経済がなければならないし、それに見合った住民人口を確保しなければならない。
 こうして既成事実は、次から次へと折り重ねられていく。インフラの建設を正当化するために、がむしゃらにでも住民の「帰還」が強いられることにもなろう。自主避難に対する住宅提供資金を打ち切り、あろうことか避難を「自己責任」と言い放った大臣の逆切れは、まごうことなき土建国家の本音である。
(原口剛『「ネオリベラリズム土建国家」の正体と「生」の収奪』人民新聞2017年5月5日号。http://jimmin.com/2017/05/12/post-2713/

そして、復興庁は2020年に「解散」が決まっています。それまでに公的避難者と避難区域をゼロにし、天皇の代替わりも済ませる。事故は完全に終わったと五輪で国内と世界中を「一致」させることがプログラミングされています。

 東日本の住民と汚染を忘れている人々には、今、プログラムが全くありません。政府にどのように対抗し、自分と人々の命をどのようの守るかというプログラムが、ない。誰もが昨日と同じことを続けています。確実に迫る大量虐殺にどのように対処するか、特に社会運動は全力で話し合わなければならない。多くの民衆とともに避難をしなければならない。残っているなら、いつまでに避難をするか、それまでに何を成し遂げるのかを逆算して決めなければならない。東日本や、汚染物質を受け入れる人々は、いま時間の止まったまどろみの中にいることで、生の未来から死へと退行しています。それが政府による大量虐殺を許しています。今この国で最も大きく、最も手付かずの問題が、3.11復興政策への批判と、避難の準備・実行です。
 
 

“東電公害事件は、日本、ロシア、北米に放射性物質を拡散させた。日本だけに限定しても、放射性降下物の被害で4千万人、物品を通じた二次拡散で1億3千万人の人口を呑み込む大規模公害事件である。
 この事態に際して、日本政府は放射線防護対策を放棄した。人々に汚染被害の受忍を要求する被曝受忍政策にでたのである。日本に暮らす人々は、被曝防護か被曝受忍かをめぐって分裂した。防護派は東日本から退避・移住し、放射性物質の二次拡散を監視している。たいして受忍派は、汚染被害を忘れようとしている。こうした大きな分裂を背景にして、被曝を受忍させる権力とその翼賛が形成されている。忘却、無関心、権威主義、議論のはぐらかし、結論の先延ばしが、生活の一般的規則として上昇する。
 シジフォスは、ギリシャ神話に描かれた永遠の囚人である。ゼウスの怒りを買ったシジフォスは、山上に大きな岩を運びあげる作業を課せられる。この作業に終わりはなく、彼はこの無益な仕事を永遠に繰り返さなくてはならない。
 汚染地域に生きることは、シジフォスの時間を生きることだ。除去できない汚染のなかで、「復興」という掛け声が繰り返される。具体性を欠いた空論が、具体性を欠いているがゆえに、あきれるほど自由に喧伝されている。人々に課せられた「復興」は本当に実現可能なのか、「復興」の最終目標はどこか、そもそも誰の何のための「復興」なのか、詰めきれていない問題が山積している。それらがなにも明確にされないまま、ただ国民的団結が要求されているのである。
 解決可能な問題を先延ばしにし、出口のない偽の課題に向かわせているのは、政府の被曝受忍政策とそれへの翼賛である。東京は被曝を受忍するシジフォスたちの都市になった。
 ……このとき、関東・首都圏の被災と汚染は、その被害規模の大きさにもかかわらず、いや被害が甚大であるからこそ、人々の視線から排除されることになるだろう。東京は、自分自身を襲った現実ではなく、どこか別の地域の「現実」に眼差しを向けるよう誘導されている。
人々は自分の身に起きている現実を語るのではなく、「福島現地」で見てきたものを語るよう誘導されている。”
矢部史郎+山の手緑『シジフォスたちの陶酔:「Project FUKUSHIMA!」を批判する』)http://piratecom.blogspot.jp/2014/03/blog-post_13.html

私たちに欠けているのは、構想力です。「復興」政策破たん後の社会を構想すること。「復興」政策が破たんして日本社会がどうにもならなくなった先に、私たちは、「復興がんばろう」ではない別のやりかたで、社会を再構成しなければならない。そのときに、どのような人間が、どのようなやりかたで、どのような社会をつくっていくのか、というビジョンです。”(矢部史郎人民新聞・同上)


 東日本の住民も、避難者も、復興相の「自己責任」発言を大きなきっかけにしなければいけない。東日本で普通に暮らしているつもりでも、巨大な棄民政策の犠牲にされていること。そこから脱出した避難者が、押しつぶされていること。残る住民と避難者がますます分断され、争わされ、または互いに無関心にさせられていること。これらに気づき、声を上げるのです。全国の避難者が避難先で大集合して声を上げる。関東・東北ではまず「避難させろ」と政府に一大要求行動を起こし、同時にみんなで実行するのです。http://www.gowest-comewest.net/statement/20170404imamura.html

再び書きます。これら全てを踏まえれば、結論は「東日本からの総撤退、集団移住。私たち避難者は原発=核=現在の世界構造を変える生き証人になること。最後に残る『収束作業を誰がやるのか』という問題は、まず全ての事故責任者から最初にやらせること。」になります。それは可能だし、こうした具体的実践があります。http://jimmin.com/2017/06/02/post-3076/

次回、それをまとめていきます。

共謀罪反対の中で、語られていないこと――「仲間を見捨てない文化」を

仕事先の『人民新聞』で連載を書き始めます。自分や仲間の大変な経験を、共謀罪の反対と結びつけます。ぜひ、話し合っていきましょう。

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連載・共謀罪と「弾圧」「救援」の経験共有

第一回 共謀罪反対の中で、語られていないこと――「仲間を見捨てない文化」を

編集部・園良太

リード:共謀罪参議院での可決・成立が狙われている。この大きな狙いの一つは、3.11原発事故や一昨年の戦争法反対から立ち上がった様々な市民を萎縮させることだろう。
共謀罪不当逮捕=「弾圧」の恐れを広げ、運動に参加しづらくさせる。共謀罪が奨励する「密告」は、運動の根幹である人と人との信頼関係を壊す。これは従来からこの社会と運動に広がりつつある傾向で、社会運動の中で被逮捕者に対するバッシングも繰り返されてきた。
共謀罪成立を阻止する過程で、萎縮をなくし関係性を維持する具体的対策も必要とされている。それは弾圧の経験と救援活動に凝縮されている。私は東京の社会運動でこの9年間で4回不当逮捕され、仲間の救援活動にも多数関わった。そうした経験と、それをめぐる議論を振り返り、共有することで対策に役立てたい。

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共謀罪は、運動と信頼関係を警察に「忖度」させる

 今号3ページ目の<「忖度の文化」と第五の権力=電通のメディア支配」で、本間龍さんがこう書いている。いまのメディアが政権に脅されているだけでなく、メディアの側にも「権力側から要求されたわけでもないのに『こんなことしては、まずいのではないか』などと勝手に『忖度』し、自主規制をかける雰囲気が蔓延している」と指摘されている。

これは、残念ながら警察の弾圧と社会運動の関係にも当てはまる。60、70年代のような実力闘争がほぼなくなった現代日本では、デモや抗議行動での些細な接触や、活動家の日常生活から弾圧をでっち上げることがほとんどだ。警察に少しでも身体が当たれば「公務執行妨害罪」、役所の中で抗議すれば「威力業務妨害罪」、免許証の住所と住民票がずれていただけで「免状不実記載罪」などで弾圧してくる。

近年は大飯原発再稼働反対テントの参加者や、沖縄の山城博治さんらが数ヵ月も前の案件を持ち出されて逮捕され、警察は「現行犯逮捕」の基本原則すら無視している。そして国会前の歩道などに従来は無かったコーンとポールをずらっと並べて参加者を道路脇に押し込み、警官もずらっと並んで威嚇・規制し、逮捕を引き出す挑発を暗に繰り返す。

 このように、運動の中で誰を・いつ・どのように逮捕するかは警察がほとんど自由に決められること、警察は常に計画していること、弾圧は警察が悪く、責任も彼らにあることをまず確認したい。

だが、警察側の自由が拡大し続けるため、まず市民に「こんなことしては、まずいのではないか」という先回りの萎縮が広がることになる。
主催者や参加者が、権力や警察により強く抗議する参加者に「そんなことしてはまずいぞ」と抑えこむ傾向も強くなる。
そして運動の中で警察が弾圧する事実や危険性自体を言わなくなり、逮捕された時にその事実や「抗議しよう」ということもアナウンスしない、救援は弁護士任せ、ということも増える。
最悪の時は主催者周辺がネットで「警察に抗議したり、逮捕された方が悪い。自己責任だ」と被逮捕者を攻撃し孤立させることも、繰り返されてきた。
これにより、被逮捕者も救援活動の担い手も疲弊し、拡大した反原発運動や戦争法反対運動が縮小・解体することが続いてきた。

 共謀罪のあらゆる中身に、運動のこの傾向を助長させる狙いがあることは、言うまでもないだろう。
「警察と揉めたらまずい」という自己規制は、「ネットに書く・話し合う・集まるだけでまずい」に深まりかねない(すでに今年から「こんな話し合いも共謀罪扱いだよね」という会話をよく聞く)。それは「お前もまずいぞ、やめろ」と仲間を抑え込むことに伝染しかねない。さらに萎縮せずに実行した仲間を「あいつが悪い、自己責任」と攻撃することから、「私は違う。それを証明するためにあいつの情報を渡すから、見逃してくれ」という警察への哀願に進みかねない。こうして誰も何もできなくなり、最後の信頼関係も根こそぎ奪われる。全ては、治安維持法下の戦中日本社会で、弾圧されたら拷問される恐怖が生み出し経験したことだ。

 現代は、弾圧されてもいきなり拷問されることは少ない。だが逮捕はされうる事実、その時の対処方法、救援活動で信頼関係は維持できることが運動の中で遠ざけられていたら、萎縮も弾圧も拡大するだろう。誰でも逮捕は怖いし、それをめぐる事実も知らされない。僕もそうだった。共謀罪への関心と反対が高まる今、その共有が最も求められている。
 
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<●私の弾圧と救援の経験>――「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じること」

 本紙読者は様々な弾圧事例をすでにご存知だと思うが、私の概要をまずお伝えする。一度目の弾圧は2008年10月の「麻生邸リアリティツアー弾圧」。当時の首相・麻生太郎の62億円の豪邸を見に行き、格差と貧困の原因を知る行動だった。だが渋谷駅から歩き出したら先頭にいた私が「無届けデモの先導者」扱いされ、「公安条例違反」で逮捕・12日間勾留された。私を助けようとした2名も弾圧された。だが逮捕の瞬間の映像がyoutubeで30万回も再生され、全国に支援と抗議が広がったため、釈放された。その勢いで国と東京都への国家賠償請求訴訟を起こし、最高裁まで闘ったが敗訴した。

 また09年4月に「在特会」が埼玉県蕨市で初めて大規模なデモを行ったとき、抗議した私たちのうち2名が弾圧され、そこから様々な救援活動に関わり始めた。次に3.11後の反原発運動が高揚する最中の11年9月、第一回「差別・排外主義に反対する新宿デモ」で、警官と警官の間から横断幕を掲げていただけで公務執行妨害で弾圧・勾留された。

 13年1月、普天間基地閉鎖の「建白書」を持った翁長現沖縄知事らが上京し、議員会館周りをした(「オール沖縄」のきっかけ)。だが右翼が街宣車2台で大音量で上京団を罵倒し続け、議員会館前で支援集会をする私たちの真ん中をデモ行進で通り抜けた。あまりの横暴に私が右翼に抗議すると、私は集団でボコボコにされた。にも関わらず右翼は私に対する被害届を出し、4月に警察が実家に押しかけて「署に連行したい」と言い張り、拒否したが8月に書類送検され、あわや起訴寸前に。仲間とともに直接東京地検に抗議申し入れを行い、阻止した。

 3回目の不当逮捕は、12年2月、東京の江東区役所の野宿者排除に抗議して役所に行った所、強制排除された。私が抗議して蹴ったガラスが意図せずに割れてしまい、器物損壊罪で逮捕。威力業務妨害罪に切り替えて起訴され、拘置所に移され、4ヶ月半も勾留された。1年半の裁判を闘ったが、一審・二審とも裁判所は検察側主張を丸飲みして私たちは敗訴。13年11月に懲役1年・執行猶予3年が確定した。

しかもそれで終わらずに、「園は逮捕時に江東区職員にケガをさせた。公務員の労災組織『地方公務員災害補償基金』が職員に治療費約4万円を払った。なので園は『基金』に4万円を返せ」という請求が届いた。全く事実無根なので拒否すると、「基金」は15年2月に民事訴訟を起こして請求してきた。「基金」の弁護士は悪名高い労働組合つぶしの専門家だった。裁判費用、弁護士費用(全て税金)だけで優に4万円を越える。嫌がらせ・疲弊目的の「超低額SLAPP訴訟」だった。事実が存在しないため、「基金」側は何とイラストと再現写真を証拠に出してくる、あからさまな冤罪事件の始末だった。それでも私は敗訴したため、いつ銀行口座から4万円が徴収されるかわからない状態にある。

 4回目の弾圧は、15年5月。経産省の入口に立ち入って抗議行動をした所、2人の仲間とともにいきなり拉致され、12日間勾留された。拉致された後に「建造物侵入罪」と告げられた。だがそれは「経産省前テントひろば」が立ち、通行人も行き交う「公開空地」と呼ばれる公共空間であり、とても「侵入罪」に問えるものではなかった。しかも私たちの税金で立てた場所だ。

だが、運動の底流にあった「逮捕された方が悪い、自己責任だ」が、ここで私に火を噴いた。一緒に弾圧された人の仲間にそうした考えの人々がいたため、ツイッターや救援会の内部で「いつも警察に抗議する園が悪い。他の2人は巻き添えを食った」「園以外を助ければ良い」と公然と主張したのだ。現場にいなかった人々であり、全く間違っていた。

だから、私も他の2人も外の仲間も奮闘して同じ黙秘を維持し、同じ「勾留理由開示公判」を開き、3人同時釈放を勝ち取った。釈放後も「不当弾圧だった」という認識でまとめ上げようとしたが、それはできなかった。普段抗議行動の現場をともにしていた人々が背中から刺すような行為に、私は深く傷つき疲弊し、釈放の翌月に心臓の不整脈で倒れて入院した。東京での運動に全力投球をできなくなり、放射能被ばくと合わせて東京を離れる一因となった。そして、これら4回全ての弾圧で実家に家宅捜索に入られた。

 この数ヵ月後の15年9月16日、戦争法案の採決直前の国会正門前で、一度に13人が弾圧された。歴史的な車道解放を再び勝ち取り、採決を止めるための攻防のピークだった。そこでも「逮捕された方が悪い」「全員セクトが暴れただけ」などの誹謗中傷を「東京デモクラシークルー」などの人々がネットに書き込み、自ら分断を起こした。
さかのぼれば3.11直後に最も昂揚した、高円寺「素人の乱」による「原発やめろデモ!!!!!」も、11年9月11日のデモで警察が12人も弾圧し、解体させられた。
ここ大阪では12年秋に大飯原発ゲート前テント〜放射能汚染がれきの受け入れ反対運動の過程で、11人逮捕・7人起訴の大弾圧がなされた。ゲート前で果敢に直接阻止行動を行い、権力にとって最大のタブーである放射能汚染を正面から問題にしたからだ。

運動のピーク時に警察が大量弾圧し、萎縮だけでなく内部分裂を引き起こし、解体することが常に繰り返されてきた。これを克服しなければ、共謀罪の成否にかかわらず、私たちに未来は無い。
 
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●<黙秘をすること、救援会で仲間を助けること―仲間を見捨てない作風を>

 これだけ弾圧の話を聞けば、げんなりする人も多いと思う。だが、克服方法はシンプルだ。まず私は最初の弾圧で東京と全国の仲間が救援活動をしてくれた。だから自分もやった。自分も全部最後まで闘った。被逮捕者のバッシングは一度もしなかった。仲間を見捨てない作風を運動の中に育むことが最も大事になるのだ。それこそが沖縄の運動と「本土」の運動との一番の違いだろう。
次回以降、さらに今までの救援や議論の個別事例から考えたい。

【近況報告です】

東京で35年生まれ育った。今も家族や大多数の友人が残ってる。地元に、新宿に、渋谷に、官邸前や国会前に、思い出が詰まってる。でも「放射能でもう住めない、戻れない」。だから僕は大阪に来た。しかも残っている友人に病者が続出だ。自分自身と「あなた」の両方の事で涙が止まらない。これが福島の人たちが味わってきた気持ちか。でもこれで終わらせない。必要なのは避難移住と、責任追及だ。皆で生き延び、原子力ムラにやり返そう。

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★仕事先の『人民新聞』最新号です http://jimmin.com/category/1604%E5%8F%B7/
巻頭は「現代若者座談会」。他に東京MX抗議行動、トランプへの米国大規模抗議。僕は「東西で強行される被災者切り捨て 阪神大震災22周年で神戸市役所前に抗議テント/福島避難者も発言」執筆。ぜひ購読を

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★浪江の避難者と多くの支援者が「解除するな」と抗議しました→避難指示解除に関する浪江町住民懇談会 in 大阪:
まとめ:https://togetter.com/li/1079771
映像:http://twitcasting.tv/jg9u08w8wjtjt/movie/346132331
国の解除ありきの姿勢に怒り爆発。530シーベルトデブリの場所に戻すな、復興費用を全て避難者支援に使え。無理矢理説明会を打ち切った国を、参加者が駅まで追いかけていきます。

福島での説明会も抗議の嵐:http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

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原発が爆発した日に、真っ先に東京から名古屋へ避難した矢部史郎さん。関東の彼や僕の仲間が被ばくで病気になり始めてるのを受けて、「命」の文書きました。ぜひ一読を http://piratecom.blogspot.jp 「生きるとは、死に向かっていく時間に抗い、逆向きに進んでいく、運動である」

安室なみえのこの曲は、曲自体もとても良いんだけど、僕ら避難者が失った311前の東京の風景が見事に映されている。悔しいよ。2006年末 【FULL】Baby Don't Cry / 安室奈美恵 (Amuro Namie)
https://www.youtube.com/watch?v=8NKyeUpO_3I
表参道、代々木公園、丸の内、品川、湾岸…。

でも、全ては生きていてこそ、だ。生きることで必ず未来を切り開くことはできる。僕も大阪に来て、本当に良かったと思っているから。ぜひ一緒に。

「きっとこうして人はちょっとずつ
過ぎた季節に記憶を隠す
いつか零れた涙集まって
陽を浴びて輝くまで

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みんな、東日本からの避難を!

東京の友人が末期大腸がんで死に向かっていると公言している。38歳の若さで、最後まで苦しみ抜いて。本人は外食を続けた結果の被曝が大きな理由だと言い、僕もそう思う。関東も限界だ。誰も死なせたくない。放射能からは最大限離れるしかない。皆、西へ逃げよう。助けるから連絡を。家賃安い、仕事何とかなる!

福島から放射能を遮る山がなかった関東平野全体も、同じ汚染地だ。土壌汚染は元に戻らない、さらに病者は増える。発病する前に動かなければ手遅れになる。私達の故郷・東日本全体が終わってしまった事を認める時だ 僕も心臓病になり今年大阪に移り、関西の人達に助けられ自立してきた。元気が戻ってる

名古屋、関西、福岡、北海道、他…まずそこにいる知人に連絡し見に行けばいい。往復しながら準備できる。仕事や家は地元の人に聞くのが一番。異常な東京より家賃が安い→給料が下がっても生活成り立つ。人間関係があれば絶対死なない、だが被曝の病気で死ぬ事は歴史の事実。運動や生きがいは移住→生存した後だ

病気になると、病者が増えると、闘病とケアで手一杯になる。個々人も全体も諦め状態になる。でも自然の病気と違い、政府と東電の事故に殺される事だ
諦めを待つ彼らに責任取らせ、全額賠償させよう。世界中の核を無くそう。それは私達が移住し生きる事そのものだ。死のーモードから、生の+モードへ!

阪神大震災と3.11

大阪生活三週間目。阪神淡路大震災22周年。まず神戸市長なども挨拶した三ノ宮の追悼集会に参加した 東日本大震災とその後の原発被害の経験者としても行かなきゃと思った
1995 光 1,17と並べ
た竹筒の中にキャンドルを並べ、朝日早くから大勢が参加してた。熊本地震から子ども達も参加。

続けてすぐ隣、神戸市役所の入口前にテントを張っての市民集会『追悼、連帯、抗議の集い。』
福島と同じく、神戸市や西宮市も被災者、避難者を支援住宅から追い出そうとしてる。何と20年間住み続けた人を市が裁判で訴えてきたのだ!全国初だという。『完全に復興した、避難者はゼロだ とアピールして財政負担を減らすために。神戸市役所はこんな巨大なビルにしてるのに!軍事産業の多い役所はどこも要塞だ。

まさに政府と福島県自主避難者にやってることと同じ!立ち退かない自主避難者をそのうち裁判に訴えてくるだろう。主催者とそう話し、東京から来た同じ地元の若者に東京の放射能汚染も脱被爆ネットのチラシで伝えた。日本中で命を奪う国を許さない

そう、何とここは市役所前に自分たちでテントを貼り、ライブや避難者のアピールをずっとやり続けている!警備の監視にも負けずに、今年は福島避難者も発言。
呼びかけ文は『今や、黙する時ではありません!無抵抗の時ではありません! 人々が声を上げる最後の時、立ち上がる最終の時だと言えます。』まさにそうだ!
同じことをやれば必ず原発被害も変えられると、東日本の私たちも勇気を持とう!

写真はhttps://twitter.com/ryota1981 にあります。