努力が実るとき、垣根を超えるとき(後編)

笑われるかもしれないけど、僕にはいつも夢見ているものがある。仲間とともに前向きに行動をつくり上げようとしていく中で、うまく行き、広がり、最後には笑いあえて終わること。常に次につながっていくこと。たとえ一般的に「過激だ」と言われる行動であったとしても、それゆえのしんどさがあったとしても、それが達成された時はすごく嬉しいし、目指している。「メーデー」や「反戦フェスタ」のように、いつもみんなが公園で地べたに座って安酒を飲みながらその日を振り返り、本音で言いたい事を言い合い、話し合い、最後には笑いあって終わる絵を思い浮かべるんだ(最近では「わらパレ2010」と打ち上げがそうだった。http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20100412)。

★★★★

私たちは分断されつくしている。長時間労働、不安定雇用、貧困で疲れきっている。監視カメラや「安全・安心」の名のもとに他者を監視しながら、自分自身の振る舞いをも自己規制している。そしてインターネットでのおしゃべりや「私とあなた」の手触りの確認だけが許されている。その中で育ってきた若い世代であればあるほど。今日は投票日だったが、「選挙」とはそんな状況の中に上から降りてくる4年に1度のお祭りでしかない。
自分たちの生活に密着した状態で政治を見ることを奪われている。歴史的な視点でこの社会を見渡すことを奪われている。自分たちが一体今どこにいて何がしたいのかもわからない。そして他者に向けて呼び掛ける言葉と行動を持っていない。今回の東京選挙区の立候補者も当選者はついに極右・新自由主義回帰・カルトのオンパレードになり、反動化が止まらないけれど、それはこうした状況が生み出した結果にすぎない。
たとえどんなにグロテスクだとしても、さ。
そして、僕はそれを少しでも変えたくて路上に出てデモや街宣であがき続けてきた。友達もそうだったと思う。それでもこの大都市東京に飲み込まれることの方が多かった…。

★★★★

だけど7月4日の「沖縄に基地を押し付けるな!決着はついてないぞ!新宿ど真ん中デモ」は、ついに大きな手ごたえの
あるデモだった。5月末に「日米共同声明」が発表され、後退しかねなかったのに、前回を超える400人近くもの人が集まったからだ。そして出発前に友人のミュージシャンがライブをやり、デモ後には一時間半にもわたって関東や沖縄の15もの反戦グループがアピールし、最後にはこの日別件で上京していた徳之島・伊仙町から大久保町長が、知人を通じて来てアピールしてくれた。これには二つの大きな意義がある。一つは、普段はバラバラに動いている表現系、運動系、政治系の人たちが一堂に会したことだ。2つ目は、それを新宿アルタ前広場という誰もがいる公共空間で思いっきりやれて、路上解放ができたことだ。
本当にうれしかった。僕は悪化する選挙の結果に一喜一憂することなどよりも、こうして生まれ始めた希望を丁寧にひろい上げていくことの方がずっと大事であり、私たちに生きる力を与え続けると思うのだ。

それは少しずつ積み重ねた成果だった。4月末のデモではデモ中に沖縄現地の映像を流し、戦闘機の爆音と人殺しのリアルを新宿に少しでも持ち込もうとした。デモがゴールした後のアルタ前アピールでは約40分間、色んな人がしゃべったけれど、その場で声をかけた個人が多かった。
そして5月に入り、ぼくらはアルタ前で毎週のようにマイクアピールとチラシ配りをした。5月22日にはアピール後に即席の路上討論会&飲み会も開いた。こうした積み重ねはぼくらの間での自信や協力関係の深まりになり、5月30日のデモを迎えた。350人もの明確な意思を持った人が集まり、多彩なアピールとデモ後の場も作り上げた。ふざけた「日米共同声明」を発表した直後に政治家とメディアに流され「これで終わり」にしてしまったら、ぼくらは現実追認のクセを体に刻む込むことになってしまう。人の自由と可能性はもっと豊かなはずなのに、諦めと絶望が常に先行してしまうのだ。今の日本社会がいかにそれに覆われていることか。
それは少数の英雄や議会の法律が変えられるものではなく、今ここに生きているぼくら一人ひとりが異議申し立てをし、その中でポジティブな協力関係を作ることでしか変えられないのだ。

★★★★

デモと準備の中で、ぼくらは4月25日の県民大会に9万人以上が集まる沖縄と、東京に1000人しか集まらなかったヤマト(本土)の間にある温度差にぶちあたった。その背後には長年の抜きがたい沖縄差別があり、僕自身も常にその問題に取り組めていた訳ではなかった。「沖縄を踏みにじるな!」という5月30日のタイトルにしても、ぼくらはすでにずっと踏みにじり続けていたのだ。
あまり人を詰めるようなことは言いたくない。けれど4月のデモのコールで、僕は珍しく「どうして無関心なんだ!」という怒りや自分だってそれに加担しているという葛藤を沿道に思いっきりぶつけてしまった。そして5月のデモコーラーだった友人も、どうしてあんな無茶苦茶な日米共同声明が押し付けられるのかと本当にいたたまれない気持ちになり、デモでは悲痛な叫びになったそうだ。
その果てに、この選挙で沖縄を争点から外そうとした管&民主党やマスコミの歴史的なサギがあるのだ。
そして沖縄出身者からの「ヤマトの人間はただ単に基地反対と言ってるだけで良いのか」という問いかけがあり、それら全てを受けて友人は「『基地はいらない』と突き付けられているのは誰か」という文章を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20100531

植民地主義的な支配や押し付けもなく、戦争や戦争協力もないほんとうの平和のために、日本人(ヤマト)には《基地はいらない》から出発しなければならない。ただしそれは、米軍基地だけではなく、当然ながら自衛隊などと名づけられた日本軍の基地のことでもあります。ただ普遍的に「平和な世界」を求めて声を発するということではなく、その「平和な世界」に敵対する行為を日本(ヤマト)は行ってきたし、いまも行い続けているという認識のもとに《基地はいらない》を訴えねばならない。この意味での《基地はいらない》を、日本(ヤマト)の人々は何よりも自分たちに(沖縄の人たちにではなく)立てなければならない。

……そして、鳩山がいまごろになって思い出したように使っている「抑止力」という言葉。これは、日本(ヤマト)がアメリカと結託し、沖縄も含めた東アジア・東南アジアの人々を威嚇しつづけることで、自分たちの「平和と繁栄」を維持しようという意志の別名です。だから「抑止力」批判は、わたしたち日本(ヤマト)の人々への批判をも含めた反軍・反基地思想の表現としてしかありえない。

これが「日米安保」の構造的な正体であり、民主党がかつての自民党以上に進めている戦争と差別の政策だ。日本社会の中で「歴史的な視点でこの社会を見渡すことを奪われている」と書いたのは、こうした全体的な把握がごく少数に限られているから。

「「制裁」の名をかりた民主党政権の侵略体制づくり――「脅威」なのは日本だ」
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html

「貨物検査特措法」は、公海上での朝鮮籍船舶への検査すら認めています。しかも前原国土相は、それを海上保安庁ではなく自衛隊の武力をもって行うことができると言い切っています。しかも、現段階ですでに、ゆくゆくは朝鮮籍船舶の検査を「特措法」ではなく「恒久的」でやっていきたいとまで言っている(media debugger「自衛隊の任務は臨検ではなく武力行使」)。公海上での軍事力を用いた船舶検査など、国を挙げての海賊行為も同然であり、また「【転載】臨検特措法の成立に強く抗議」にもあるように、戦争挑発政策に他なりません。しかもこの法案は、昨年10月の衆議院提出後「ずっと店ざらし状態」だったにもかかわらず、今年5月19日になって突然、ろくな審議もなしに衆議院で可決され、28には参院も通されたのです。

そして「海上保安庁による臨検特措法施行直前の臨検訓練強行に抗議する市民の声明」 
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html

東アジアの隣人を踏みつけにすることが日々進められている。私たちが何に加担しているのか、マスコミにも社会にも大きくは明らかにされていない。そうした中で安保、戦争、構造的差別の問題に取り組むのは、第一に他者に対する責任を果たすことになる。そして同時に私たちの人生と世界の見通しをハッキリさせることでもあるのだ。「生活に余裕が無いからそこまで出来ない」のではなく、逆にそれをやらないから全てにおいて苦しくなっているのだ。その矛盾が限界まで積み重なってしまったんだ。

★★★★

5月のデモの後、2004年から活動を続けてきた「辺野古への基地建設に反対する実行委員会」
から「参院選の前に、抗議デモを共催しないか」という声が来た。連続行動で疲れかけていた私たちが「よし、もういっちょう頑張ろう」という気になったのは、やはり横に連携が広がることの嬉しさがあったからだと思う。分断されているのは運動も同じであり、それを超えられた時に人はお互いの細かい差異にこだわるのではなく前向きにしたたかに協力しあうようになる。さらに「ピースフルニューアースセレブレーション」という音楽系の人たちとも、6月20日の代々木公園でのライブ&デモへの協力を機に、連携できるよになった。http://peace-creation.com/ これも大きかったんだ。
 
そして7月4日を迎える。横の関係を作れたからこそ、アルタ前でもあれだけチャレンジすることができた。そして自由な空間が広がることによって、監視と自己規制でがんじがらめにされたぼくらの身体感覚を変えられるようになる。東京のデモに遭遇した人たちが無視したり携帯メールで写真を撮ろうとする理由は、都市社会と情報社会の中で自らを客観的な立場に置こうとするクセがついていることが大きい。他者と意見を交わし合ったり環境を自ら変えるのではなく、自分で自分を世界から切り離してしまう。もちろん僕も日常に流されればそうなりかねないが、運動現場に出ることによって、主張や感情をストレートに表せるようになり、自由な行動が取れるようになることで、人生は豊かになってきた。だから7月4日の輪の広がりには大きな可能性を感じたし、この歩みを止めずに進めて行きたい。そして根本的な問題を扱っているからこそ、みんなでそこに集まり、考え、オルタナティブを実践したい。

それがうまくいった時にこそ、フラットでフランクな関係性をつくりあげ、最後には笑いあうことができるはずだ。
行動やミーティングはこれからも続けて行きます、ぜひ連絡をください、一緒にやりましょう!