宮下公園からの野宿者排除問題、1月6日に渋谷区に出された実行委員会の抗議声明


宮下公園からの野宿者排除問題、1月6日に渋谷区に出された実行委員会の抗議声明を転載します。ぜひお読みください!

抗議声明

私たち渋谷越年・越冬闘争実行委員会(以下、渋谷越冬実)は、野宿者・貧困者にとって厳しい冬の中でもとりわけ厳しい時期である越年期、渋谷の路上において支援活動をしているものです。去る12月29日深夜、私たちの活動拠点であり、野宿者の寝場所であった宮下公園で、渋谷区が大量の警察官を動員して強制排除を行ったことに対し、満身の怒りを込めて抗議します。同時に多くの野宿者や支援者の水平な結びつきの中で、「仲間の命は仲間の力で守る」闘い、渋谷越年・越冬闘争を継続していくことを宣言します。

私たちは12月に入り、野宿者・貧困者の命と健康の守ることを最大の目的に渋谷越冬実を立ち上げ、各地の支援団体と連携をはかりつつ、越年・越冬闘争の準備をすすめてきました。9日には渋谷区生活福祉課と公園課などに対して、宿泊所や生活保護対応など越年期の行政対策がほとんどないことを確認した上、緊急時の対策を行うこと、行政にかわって担う越年期の私たちの取り組みを妨害しないことなどを申し入れました。そして28日、宮下公園において越年・越冬闘争に突入、夜10時半から朝8時半までの公園の夜間閉鎖に対して宿泊テントを設置し、1月5日まで9日間連日の共同炊事(炊き出し)、パトロール
(路上巡回)、生活保護・医療相談、イベントなどの活動を開始しました。

ところが28日夜から未明にかけて、渋谷警察署制服警察官、警視庁公安部私服警察官が10名以上、宮下公園の管理委託会社フィードの通報で介入し、不退去罪名目の警告など恫喝をかけてきました。そして29日午後8時半頃、今度は大量の警察車両を並べ警察部隊で宮下公園に乱入、投光機で照らしながら私たちを威嚇し、強制排除の配置につきました。しばらくしてヘルメット姿の渋谷区職員約20名が来て、責任者の土木清掃部長黒柳が、閉園時間がきたら退去すること、テントや物資などの無許可物件を撤去することを警告し、のち命令しました。

私たちはどういう法律のどういう手続きに基づくものかを問い、テントで泊まろうとしている5名の野宿者(中には前日のけがで頭骸骨にひびが入り肩を骨折し、救急車で入院したが、1日で帰された野宿者もいた)はどうすればいいのか追及したところ何も答えず、ただ退去、撤去を繰り返すだけでした。公園には、急を知り駆けつけてくれた各地の野宿者や支援者が集まっていましたが、ついに10時30分すぎ、渋谷区は100名近い警察部隊を先頭にして、私たちに対し暴力的な強制排除に着手しました。また警察が勝手に救急車を呼び体調の悪い野宿者を連れ去ろうとしました。それを拒否し、最後までテントに残った野宿者、支援者もまた暴力的に強制を排除しました。午前2時、私たちは宮下公園から寒空の下にたたき出されました。この厳寒の年末、深夜まで及ぶ強制排除は前代未聞の暴挙であり、渋谷区、渋谷警察署の文字通りの殺人行為に怒りをもって弾劾します。

さらに、渋谷区は30日から1月5日まで区長桑原の名で宮下公園どころか、同じく夜間閉鎖を実施している美竹公園、神宮通公園北側を閉鎖し、利用を禁止するという許しがたい措置をとってきました。私たちは、30日、渋谷区と渋谷警察署の包囲の中、テントや物資を奪い返し、隣の唯一夜間閉鎖のない神宮通公園南側に拠点を移して越年・越冬闘争を再開し、1月5日まで活動を行ってきました。その間、全国の人々や公園前を通行する人々から「年末年始追い出しをした渋谷区はひどい」、「命を守る活動がんばってください」などの声とともに、お金や毛布やカイロ、食糧などの支援物資がぞくぞくと寄せられ、私たちの取り組みは多くの方々から支えられてきました。

1月5日をもって越年の活動は終えますが、冬はまだまだ終わりません。私たちは多くの方々の支援・協力とすべての仲間との連帯・共闘をもとに、これから厳寒期を迎える冬を越す越冬闘争を今後とも続けていきます。
最後に、渋谷区、渋谷警察署に対して、自らの非道を全国、全世界にさらした強制排除と現在も続く公園の夜間閉鎖に強く抗議します。私たちのこれまで活動は極めて不十分な越年対策、生活保護対策など行政の不作為に代替するものです。今後とも私たちの野宿者・貧困者の生存そのものを守り抜く活動へのいかなる妨害もしないよう強く求めます。

2014年1月6日

2013−14渋谷越年・越冬闘争実行委員会
070−6511−0639