【せんきょ】本当に変えるために!

都議会選挙で自民党が大敗し、民主党が大勝した。これを受けて7月21日に解散・8月18日公示・8月30日投開票になった。4年も待たされ、その間格差・貧困問題や世界恐慌がこれだけ悪化し、政治の
あり方や自民党の限界が注目されてきたので、相当に盛り上がるだろう。これから8月30日までの一ヵ月半、ぼくらの・人々の底力が試される歴史的な時期になる気がする。
だがそれは、たとえ民主党になっても「民主主義」「戦争と差別」の本質は変わらずに残り続けるから、それをどこまで変えられるかってことだから。選挙で自公に入れないのはもちろんだが、選挙や投票率アップの話じゃない。この社会ぜんたいのあり方の、そして運動や文化の話だ。そうでなければ、たとえ自公政権を終わらせられても本質は何も変わらないんだ。一人ひとりに何ができるか、今こそ考えましょう。

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民主党になっても残る本質的な問題1:「民主主義」

“資本とはどういうものなのでしょうか。資本とは、もともと行為が生みだしたものである行為の手段を「所有」することを基礎にして、ほかの人たち(行為する者たち)に対して命令し支配することを権利として
主張するものなのです。”“主体性(「企て=する」こと)は資本家のものになってしまいます(資本家自身にというよりは、むしろ、よこしまな資本関係のものになるというほうがいいでしょう)。行為者は、「企て=する」ことの統一を奪われ、主体性を失い、ミツバチのレヴェルに落とされてしまいます。客体化された主体になってしまうのです。同時に、集団性を失い、「私たち」であることができなくなります。”
“「企てる」ことと「する」ことが分裂することは、行為者と行為が分裂することでもあります。
行為は非行為者(行為の命令者)によって定められ、そのため、行為は行為をおこなう者にとってよそよそしいもの(外から押し付けらたもの)になってしまいます。そこでは、もともと能動的な行為であったものが、受動的で苦しく、自分とは疎遠な行為に変えられてしまうのです。ここで、行為は労働になります。ほかの人から直接命令されてやるわけではない行為は、労働とは別扱いされ、あまり重要ではないものとされます。「何の仕事をしていますか?」「ああ、私は何もやっていません。ただの主婦です。」こういうことになるのです。
(ジョン・ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』第3章)

資本主義が極限まで進んだ今の日本では、生活が経済的に苦しくなるだけじゃない。一人ひとりがバラバラにされ、自分の可能性を奪われている。

そうした中、7月12日から13日にかけて、選挙速報と政治家の動きがテレビを埋め尽くした。「自民党への怒りや不満が民主へなだれ込んだのだ」とテレビは言う。社民党共産党といったそれ以外の野党は大きく負けた。テレビが「自民vs民主」と他の政党を無視した絵を流し、自民党の失態を色々流したことで、「この現状を何とかしてほしい」と思う人たちが民主へどっとなだれ込んだのだろう。

特に東京はメディア社会だ。みんな毎日忙しく、都政の詳しい実態から選ぶよりはメディアの伝える「国政の前哨戦」と見てしまう。
東京の民主は教育現場への「日の丸・君が代」押し付けに賛成したり、「東京都安全・安心街づくり条例」に賛成した右派も多いが、メディアが「政権交代へ!」と報じればそれに乗りたくなるのだろう。(実際ぼくも都政はうとかったのは反省点。矛盾は現場の教師などに押し付けられている)

だが、投票は一瞬で終わる。多くの人は働いて疲れた帰りに、電車内や狭いワンルームで、ひとり孤独に「民主大勝」のニュースを見ているのだ。そこには自分たちの意思を示せる社会運動が足りなかった。政治を話し合い、それでつながり、オルタナティブを自分たちで実践できる関係性が足りていない。「麻生を倒せ!ないかくだとう」も広がりきれなかった。
メディアが描くのは「自民や民主は政権担当能力を示せ」といったお任せ民主主義ばかり。そして社民や共産党が消える危なさと、安保の問題は自民も民主も大差ないということが描けていない。

だから投票に、民主に託すしかなかった。これは放っておけば8月の総選挙でも同じだ。終戦直後の戦争責任回避と逆コース、60年安保闘争の敗北と高度経済成長、学生運動から80年代消費社会へと、積み重ねられてきた問題でもある。これは根本から変えなければいけない所まで来ているはずだ。

自民は下降したが、公明は上昇した。公明党は支持母体の創価学会が全力を挙げて、地域のお年寄りなどを積極的に取り込み、それが票につながっているという。この格差社会で取り残された孤独な人が「おじいちゃん、さびしいでしょ、世話してあげるよ」と声をかけられればとても嬉しいだろう。それは共産党も昔やっていたことであり、今はできていないという。お年寄りの孤独感は憲法違反のカルト与党を延命させてしまっている。また東京の運動も若者向けイベントは広がっても、そういう多様なつながりはできていない。

私たちは自分と似た人だけとのつながりで満足せず、孤独に苦しむ人たちと積極的につながるべきじゃないだろうか。そして投票を待たずに抗議アクションを起こすことで、初めて民主主義が実践されていく。最近の東京のオルタ運動界隈は屋内ミニスペースが増え、ミニイベントも増えている。気軽に企画し仲間と楽しめるのは良いことでもあるが、全体的な人数が増えていないので内輪っぽさにもつながりうる。

私たちはもっと街頭に出て、多くの人たちに関係するテーマをアピールすることが大事じゃないだろうか。デモでも、街頭宣伝でも、ライブやパフォーマンスでも。野外は誰もが出会い話し合える開放感もあるのだから。代議制民主主義そのものへ抗議するアクションは、世界各国のデモやゼネストで広がっている。
(これらは『フリーター労組の生存ハンドブック』の「33:民主主義を想像/創造する」で全て書きました。)

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民主党になっても残る本質的な問題2:「戦争と差別」

“国家の実態は、規定づけ排除する運動にあります。「国民」が規定され、「外国人」が排除されます。主流の議論では、通常、「国家」と「国民」との関係に焦点が当てられていますが、実際には、国民であるということ[市民権・国籍]には、非「国民」あるいは外国人というものを規定して排除することが含まれているのです。労働力を売るためや、そのほかの理由で外国に渡ったり移民したりする人たちがどんどん増えている今日の世界にあって、外国人を排除することは、みずからの潜在能力、みずから何かを「する」力を発揮することを抑えられるのを恐れながら暮らしている人々がどんどん増えていることを意味しています”
“……それは、国家主権を主張することを通じて、「国民」に訴えかけることを通じて、国旗を掲げた儀式を通じて、「外国人」に対する差別的管理を通じて、パスポート管理を通じて、軍隊の維持を通じて、戦争を通じて、行われていくのです。”
(『権力を取らずに世界を変える』第5章)

自民と民主で本質的に変わらないのは安保・軍事政策だ。民主はこの国会で、ソマリア派兵も、「海賊対処法案」も、沖縄の米軍基地のグアム移転も、選挙戦略を優先してきちんと反対せず、成立させた。北朝鮮への貨物検査法案もそうしているし、「敵基地への先制攻撃論」も盛り上がった。自民はこの総選挙が終わったら「憲法改悪のための憲法審査会」を始動させると宣言しているし、鳩山は改憲論者だ。

もともと民主は元・自民の議員が多い。日米安保体制の問題には切り込めないし、海外派兵や北朝鮮を敵視する流れも続けかねない。
寄せ集めの党である民主は世論をとても気にするだろう。私たちの世論が反対に変わらなければ、軍事化は確実に続いていく。ソマリアからはエビやマグロを、中東からは石油を輸入しており、現地の反発を抑えるために世界各国が派兵する。ぼくらが豊かでい続けるために戦争が起こされている面があるのだ。それらのに「遠い世界の話」となり、自分たちとの関係や責任が実感されなくなってしまう。

このかん決まった軍事関連法案と背景、ぼくのささやかな取り組み:http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090617
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090626

そして、外国人の差別と排除。
7月8日、「出入国管理及び難民認定法入管法)」などが改悪された。これまでの外国人登録証明書外登証)が廃止され、短期滞在者や特別永住者を除く中長期在留者に対して、法務省がICチップ付きの「在留カード」を交付し常時携帯を義務づけるとともに、市町村は「新たな在留管理制度」に連結させられた住民台帳制度の下で、中長期在留者と特別永住者を対象とする「外国人住民票」を作成することになる。ら彼女らは、暮らしと生存を支える各種の行政サービスを享受することができず、まるで地域に存在しないかのように扱われる危険がある。こうしてあらゆる形で移民や外国人労働者を差別していくことになる。詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090711
一方で「在日特権を許さない市民の会」のような在日コリアンや在日外国人の排除を主張するデモ、NHK「ジャパンデビュー」への「台湾を植民地統治していない、彼らは日本に感謝している、反日NHKは解体しろ」
という抗議ムーブメントも広がっている。そこに不満や閉塞感を抱えた人たちが集まっている。
政治の動きと人々の動き、これはコインの裏表だ。こないだ、選挙結果を観ながら知り合いと話し合っていたら「在特会民主党政権をにらんで活動している」と言われてハッとした。そう、彼らは民主後の世論を右へ引っ張り、政権自体も右へ引っ張ろうとしているのだ。

そして彼らは日本の軍事化も支持している。7月12日のウイグル弾圧反対デモ@宮下公園に行ってきたら、「中国共産党解体」というTシャツと日の丸を掲げた日本人が多数いた。普遍的な人殺しへの反対よりも「中国憎し/日本バンザイ」を優先する、極右的になってきてしまっている市民運動。日本の平和運動が、チベットウイグルの弾圧になかなか反対アクションをできなかったうちにこうなったという印象で、ぼくらの無力さが悔しかった。

このかん戦争や差別で選挙のたびに行われてきたのは、安保や改憲を争点にすることを避けつつ、いったん政権が成立したら無関心や分かりにくさを利用しながら悪法をどんどん通していくことだった。資源を収奪し派兵している遠い国への無関心。身近な外国人や隣国への敵視。これは根が同じだ。「自分たち」の連帯の輪を、「日本人」や「日本国」にとらわれずに広げていくことの先に希望や未来を見出すことが大事なのだ。

民主党政権や世論を右に引っ張られるのではなく、「1」で書いたように自分たち自身で動き出しながら、世論を高めともに行動していきたいのだ。それは政権の方向を変えることにもなっていく。

こうした流れに反対するアクションが各地に広がっている。京都・福岡は知り合いががんばっている。
平和運動の新しい動きも作り出しながら、一緒に話し合い、行動していこうよ。

東京の「生きることは犯罪じゃないinわらび」http://ikirukotowa.blog22.fc2.com/blog-entry-15.html
京都の「外国人排斥を許さない6・13緊急行動」@京都 http://613action.blog85.fc2.com/
福岡の「排外主義によく効く表現行動」http://720action.blog85.fc2.com/
(『フリーター労組の生存ハンドブック』の「34:戦争と貧困のスパイラルから降りる」でも全て書きました)
6月14日、ここでも話しました。http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090709