【21世紀の民主主義のために・5】自由と生存のメーデー09の光

この1週間、「自由と生存のメーデー09」の反省会、「ないかくだとう」の再出発ミーティング、
久しぶりの憲法カフェ(と次回を考える機会)があった。そしてわらびの「追い出しデモ反対行動&不当逮捕」についても色々考えたい。
それらを自分なりにつなげて「次」を考えてみたい。運動を個人が代表するのは良くないから、あくまで僕だけの感想だ。みなさんもどんどん書いてもらえたらと思う。

1:メーデー09――「デモとは怒りだけでも楽しさだけでもなく、<希望>だ」
http://mayday2009.alt-server.org/

メーデー反省会は、課題と解決策がかなりはっきりしてとても良い集まりだった。
大まかに①準備・宣伝・当日と色んな部分で準備不足だったので、来年度はもっと早くから計画を立てて進めよう。
②役割が特定の個人に偏りがちなので、今後色んなワークショップをやり、みんなが色んなことをできるようになろう。DJ、ブログ作り、フライヤー作り、呼びかけ文作り、デモ準備、デモ防衛、キャンプ場の交渉、撮影、通訳…。
ということ。無理なく長続きさせていくために。だから、次も・次はみなさん一緒にやりましょう。
映像や住まいをテーマにアフターイベントも計画中です。

今年の「自由と生存のメーデー」は1月に準備が始まった。年明けから「派遣村」が最大級に盛り上がったけど、
「あそこには野宿者も多かったじゃないか」というバッシングや政治家の「本当に働く意思があるのか」発言など、人を「働く意思・能力」などで分断しようとする流れも起きた。黙ってけなげに仕事を求めるなら助けるけど、ああして場を占拠したり抗議するなら許さないぜ、というわけだ。
そういう「分断」「排除」に対して「つながり」を打ち出そう、それが「60億のプレカリアート」だ――最初はそう話し合われていた。
そして阿佐ヶ谷ロフトでの映像イベント、ウィメンズプラザで全国から独立系メーデーの人たちに来てもらった集会、宮下公園での狂乱のサウンドデモとアフターパーティー、全国交流会という名の鍋会が行われた。

ぼくはサウンドデモの担当の一人だった。去年、本当に楽しかったから。2月ごろは「毎年準備やマンパワーが大変なので、デモをやるか?やらないか?」という所から話が始まった。やはりデモがあった方が盛り上がる、社会へのインパクトになる、という結論を出し、やることになった。
その際5月2日のイベントとは日にちを分けることになったので、参加者を増やすため
デモ独自のテーマや盛り上がりを明確にすることが必要だと(自分は)思った。
最初は「怒り」を表現することを考えていた。派遣切りへの怒り、金融恐慌の責任への怒り、
非民主主義的な今の政治への怒り。海外では「反G20直接行動」やフランスのゼネストで大きく表現されていることだ。
ただなかなか具体的な表現にならなかったのと、もっと参加者自身が楽しめるものになった方がいいということで、デモ目的を追求することは控えた。

準備はけっこう遅れた。始まりが遅かったのと、自分自身が「ないかくだとう」など他に運動にも関わっていたから。ただだいぶ慣れてきたのと、
人も増えたので、4月からは割とスムーズに行ったと思う。色んな人たちで助け合った。
あとは他の部分と同じで、準備不足と役割の集中さえなくせればうまくやっていけると思う。
渋谷ハチ公前ゴールができなかったのは心残りだ。また必ずやろう。

みなさんはどういう感想を持っただろうか。
アフターパーティーが最高に盛り上がり、5/14で早稲田あかねで「メーデー最高だった人は語り合いましょう」という場が開かれたように、参加し続けてきた人たちにとっての手応えは最上だったのだと思う。実際自分もとても楽しかった。スタッフ周辺が開放感や次へのエネルギーを得て終わることはとても大事だと思う。
ただ参加者は600人強なので、2日に分かれたことを考えると去年(850人以上)とほぼ同じだと思う。つまり新しい参加者はあまり増えなかった、という言い方はできた。
また「怒り」や「敵対性」を薄めて、自分たちの「楽しさ」を選び取った。
それはデモ直後には「それでいいんだ」と思った。ただ、反省会の前には「やっぱりそれも必要だったな」と思った。
楽しさや快楽は輪を広げていく強いちからになっていく。ただ普段から生きるのが楽しいと思えない多くの人には壁を作ることにもなりうる。また、これだけひどい世の中だし。
どっちがいいだろう、僕は揺れていた。
2つに分けて考えていた。どちらにせよ、マンネリになる前に、何のためにどんなやり方をするか、
もっと話し合いと発明をしていきたい。できればデモ直前からでなく、メーデーのためだけでもなく、いつもみんなで…。そう話したら、

最も信頼している人から出てきたのは、「デモとは怒りだけでも楽しさだけでもなく、<希望だ>」ということばだった。

ああ…、そうだよな! 希望。自分が望むものを思い描き表現すること。そうして前に進んでいくこと。今、いちばん足りていないものだ。

メーデー実行委員会はまだ続いてます、興味のある方はぜひ連絡ください!