Ryota19812009-02-05

2007年8月から働いてきた「ワーカーズコープアスラン」という編集プロダクションが1月半ば、出版不況の赤字で閉鎖になりました。http://www.aslan-w-co-op.com/
そして2月12日に阿佐ヶ谷ロフトで、去年作った本の出版イベントがあります。
そして「麻生宅へのリアリティツアー」以降、ほんっっっとうに活動が忙しくなっている(ここを見てくれているみなさんも感じていると思う…)。自分が前に出ることが増え、社会と世界の状況も大きく動いているからだ。
だから、人生の新しいステージに入ったなあと感じている。そう、どうしていくかだ。
せっかくだから2000年代の自分と、仕事や関係性を軽く振り返ってみたい。まずは…
(本からの出演者は、「モルタルレコード」山崎さん、「Life童貞部」鮭缶さん、大阪「路上文庫」から木村道子さん、「Medi-R」松浦さん、「もやい」冨樫さん、京都から「ユニオンぼちぼち」稲荷明古さん、「JANJAN」/「はなこりあ」のカン咲知子さんです。)

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さよなら下流社会』出版記念「クリエイティブにのびのび生きよう!」
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule/lofta.cgi

お金や肩書きよりも大切なものがある!
競争社会とはちがう価値観で生き始めた15人の若者にスポットを当てた
単行本『さよなら下流社会』の大出版パーティー&交流会! 
のびのび楽しく生きたい人はみんな集まれ!

2月12日(木)
Open 18:30 / Start 19:30
¥800(飲食代別)当日のみ
会場:「Asagaya / Loft A」
東京都杉並区阿佐谷南1−36−16ーB1 JR中央線阿佐谷駅パールセンター街徒歩2分
地図:http://www.loft-prj.co.jp/lofta/map.html

出演:松本哉素人の乱
鈴木謙介社会学者)
『さよなら下流社会』に登場する人たち
※22:00から「素人の乱ネットラジオ中継もあり!

主催:アスラン若者アンケート実行委員会

下流だとか貧困だとか恐慌だとかワーキング・プアだとか・・・ 
それも見慣れてしまうのだけれど、自分とは無関係だとは思えない。
って思ったとき、もう、僕らにできるのは買うことでも売ることでも
サービスを受けることでもなく、小さな関係をそれ以外に作り出すってことだ。
僕らの、セイフティネットを。恋人や友人達と。
この本に出てくるのはそういったちっぽけな、でも、親密な関係を作り上げようと
している様々な人々だ。音楽やラジオ、農業や古本屋、リサイクルショップや
労働組合などのハブで繋がった人々。リスクやコストを自分達で分け合い、
自分達のメディアやコミュニケーションを通して自己表現する。
でも、それは私有によるエゴの表現ではなく、
協同と協働の境界にあって始めて生まれるものだ。”
http://www.rll.jp/hood/text/left/20081206163849.php

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1:『ポスト戦後社会』と、なぜこうなったのか。
05年の春に大学を卒業してから、自分がこうしてバリバリ?働くことなんて全然イメージ出来なかった。就活に疲れて途中でやめ、結局そのまま卒業してフリーターを続けていたからだ。
いや、そもそも10代のころは暗く何もできない人生、20代前半は運動ばかりしていた僕には、自分が社会の中で様々な作業をこなしながら他者との関係を広げていくことは難しいと思っていた。
そして多くの場合、若いフリーターや生きづらさを抱える人はこうしたイメージを具体化する機会を奪われている。なぜか。

吉見俊哉の『シリーズ日本近現代史9・ポスト戦後社会』を読んだ。http://www.amazon.co.jp/dp/4004310504/?tag=yahhyd-22&hvadid=15528814541&ref=pd_sl_32tbi9sass_b
これは素晴らしい一冊だ。高度成長と学生運動の高揚が終わりを告げた1970年代から、1990年代まで、この国がどういう変化を経て今の不安と閉塞感がつくられてきたのかを明らかにしている。それは一人ひとりの内面や家族の変化から、都市や地域の変化、政治や経済の体制まで及び、普段はバラバラに論じられている分野をつないでいるからだ。そうでなければ絶対に「いま」の全体はつかめない。この巻だけ社会学者で正解で、これからの基本文献になるだろう。
僕も卒論で、それにガキなりにチャレンジしたことがあるので、よけい面白かった。
http://srysrysry.blogzine.jp/meniutsuru/_1960_/index.html

70年代以降のこの国を(少しずつ)変えてきた最大のモメントはグローバリゼーションだった。
それは若者や家族や地域で言えば、現実が虚構(まぼろし)のように感じられ関係性も閉じていくことであり、政治や経済の体制で言えば、新自由主義と日米軍事同盟の強化が用意されていく時代だった。
「わたし」が「わたし」と感じられなくなる。他者との距離や実感もつかめなくなる。気付けば生活も苦しくなる。そして毎日入ってくる海外の大きなニュースは何?−−−−

前者の結果に生まれたのが、宮崎勤事件・オウム真理教事件・神戸少年Aの事件や、消費社会に覆われる都市と(家父長制を崩さないままの)家族の溶解だった。
後者の結果が、中曽根政権の民営化、格差と貧困と非正規雇用の拡大、都市と農村の落差、「小泉劇場」、自衛隊の海外派兵、アジアからの戦争責任を求める声、だった。
そしてそれらを支えた思想ベースは、大澤真幸の言う「理想の時代から虚構の時代」への変化である。

だが大澤にならって言うなら、2000年代の私たちは新たなる「現実の時代」を生きている。社会運動では「生きさせろ」が盛り上がり、「反G8」「派遣村」「ないかくだとう」などテーマも規模も拡大していく。
その一方で、宮崎の「夢の中」や少年Aの「バモイドオキ神」ではなく、「人を殺すために秋葉原に来た」「モテなかった」とあまりにも明確に語っていた加藤智大は、暴力的な現実を引き寄せるために世界の中心=秋葉原で8人を殺してしまった。
10代のときは閉塞していた僕も、2002年から反戦運動をはじめて大きく変わった。
『ポスト戦後社会』も、00年代以降の時代精神はまだ描けていない。
例えばなぜ小泉純一郎ホリエモンや「自己責任論」は支持されたのか、この生きさせろ運動を盛り上げる「心情」は何か−−−

それは、ぼくたちの世代がやるべき仕事なんだろうね。


2:ゼロ年代を生きる

そして今思えば、就職活動で落ちまくってからフリーターをしていた04年〜06年が、過渡期というか、ぼくもいちばん苦しい時期だったのだろう。
自分が社会の中のどこにいるのか分からなかったから。そして盛り上がったイラク反戦運動が下火になってから、「生きさせろ」運動が盛り上がり始める間の時期で、いったい何をしたらいいのかわからなくなっていたから。

もちろんブログはたくさん書いていたし、読書もしていた。セイブザ下北沢をちゃんと手伝ったし高円寺「素人の乱」にも行っていた。その時期に積み重ねたものや人間関係は、確実に今の土台になっている。
だけど今より孤独だったし、先が見えなかった。そして後悔もある。この時期は、今フリーター労組や「メーデー」「フェスタ」を一緒にやらせてもらっている年長の人たちがそれらのアクションを始めた、まさに暗中模索の時期だったと思う。
この時期に自分(たち)が結びつこうとしていれば、もっと早く色んなことを盛り上げられ、状況を変えられたのでは・・・と。

仕事は販売やカフェ、色んな派遣のアルバイトをしていた。どれも細切れの仕事で、金もなく今より行動範囲が狭かった。
就職して思ったのは、ある程度決まった生活リズムと技術を身につけていくという感覚が、いかに人に展望を与えていくかということだった。
2007年から運動がまた盛り上がったが、それだけでなく、働き始めた自分に展望とこころの安定が持ちやすくなったということが大きかった。2つは偶然にも時期が同じだった。
そもそも「アスラン」は運動の中で知り合った人に誘ってもらったからだ。本当に自分は運が良かったと思う。

ただ、仕事はハードで長時間だった。そして出版不況は厳しかった。
2004年に出版社や教育系の就職活動をしていた時期から、いかに今が不況で、厳しく「即戦力」を求めているかは感じていた。「運動」ばかりしてて、基礎学力と器用さのない自分は落ちまくっていたからだ。

3:「アスラン」の意義とこれからを生きる

アスラン」は、90年代に編集プロダクションの倒産争議から生まれた会社である。社長に一方的にクビを切られそうになった編集者・ライター・デザイナー・イラストレーターの人たちが、裁判しながら会社を自分たちでまわしっていった。南米のようないわゆる「自主管理」で、それが工場でなく出版・表現の分野であったというのが本当に面白く、今こそ知られて良いと思う。

00年に争議は「解雇撤回」で解決した。だが業界全体でフリーランスの立場はどんどん厳しくなっているし、ここで出来たつながりを活かしたいということで、中心人物の杉村和美さん(編集者)らが理事になり、「アスラン」が立ち上げられた。
設立の思い:http://jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2000/10/sugimura.htm

今や単独では仕事が取りづらいし、値段もどんどん下げられる。アスランではフリーランスの人たちに組合員になってもらい、その会費を基礎にしながら、僕のような「常勤組合員」(=編集者)が出版社から仕事を取ってくる。それを組合員の人にメーリングリストなどで「一緒にこの仕事しませんか」とまわしていく。僕も、ここで本当に色々な人たちと知り合い、仕事を学ばせてもらった。「そっか、この仕事の人はこうするんだな」と・・・。
アスランの活動紹介」http://www.aslan-w-co-op.com/service.html
アスランスタイル」って?http://www.aslan-w-co-op.com/style.html

アスラン第2の特徴−−「ワーカーズコープ」とは、働く人の「平等性」にある。
編集がまさに「ど素人」だった新人の僕でも、いきなり編集会議や営業会議、理事会に出席できた。というかそれが当然だった。
もちろん最初はちんぷんかんぷんだが、出席すること自体が自分が承認されることになる。それは、細切れ的な今のプレカリアート労働を打開していくものでもあるだろう。

こうして続いてきたアスランと僕の仕事だったが、実は相当赤字はたまっていた。そもそもイチから新人を雇えるような余裕はなかったのだ。それでも「雇用創出」も目的に掲げていたアスランは僕(や一緒に本を作った人)を雇ってくれた、それには本当に感謝している。
そう、出版不況はすさまじいものだった。みんなが難しい本を読まなくなっているし、値段も高い。結果的に手頃な新書ばかりが売れ、新書は部数をたくさん出すので売れる企画しか通らなくなる。キャッチコピーと帯で勝負、売れなきゃすぐに書店から消えるため、売れっ子にばかり集中する。
そのため労働問題やジェンダーや実用書を作ろうとするアスランはどんどん厳しくなっていったし、出版社は金額を下げていく。
自分たちだけじゃどうにもならない大きな力学で、赤字と常勤の疲れがたまっていったアスランは、会社をたたむことを決めたの。ただ突然倒産や解雇を告げる会社が多い中で、早くからそれを組合員に公表し、みんなで議論を重ねながら民主的にたたみ方を決めたのだった。

こういうかたちの会社でなければ『さよなら下流社会』は作らせてもらえなかったと思うし、世界恐慌で本格的に人の生存が壊れていくなか、オルタナティブな働き方の自分の小さな身の回りにも希望があるんだと伝えることの意味が増している。だからイベントではアスラン的なものの意義も語ろうと思う。
そして様々な70〜80年代生まれの様々な生き方と「大事なもの」を、ぜひ聞きにきてください。

こうして僕はいま無職になった。ただいくつか運動関係で本の仕事や「本を作らないか」という話しがあるので、意味があって売れるものにしつつ、身近な色んな人たちに文章を書いてもらい仕事起こしにすることをしていきたいと思っている。
リアリティツアーもあったし、独り立ちしなきゃという意味を込めて、ブログをリニューアルし本名でやることにしたのだった。自分を打ち出していくこともこれからは必要になるんだ、って。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/

色んなことが激しく動いている。今までの自分(たち)の足場が大きく浮上していくような、不安と希望の両方がある。派遣村パレスチナ反戦京品ホテルに行っていたこの1ヶ月の間にも色々気持ちの浮き沈みがあった。
何よりぼく自身が、自己への閉塞や安定を求める気持ち(社会)と、<現実>へ飛び込むことを求める気持ちとの間で引き裂かれているからだ。
でも、やるっきゃないのさ。吉見俊哉が『ポスト戦後社会』の最後に書いているように、今やグローバル化する大企業と先の見えない国内とに引き裂かれた日本社会では、声を封じられ自己へと閉塞させられてきた人たちが歴史の主体になっていくことに希望があるからだ。
活動でも10月以降のさまざまな上に、「麻生を倒せ! ないかくだとう実行委員会」がはじまっていく。次はこれを書きます。