秋葉原フィールドワーク&トーク:「おたく・音楽・ファッション・資本主義」:パート3
パート1は http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20050113
パート2は http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20050114
●狭いサークルを越えていこう
ナイン:やっぱりさ、問題になってくるのは、「おたく」や「パンク」といったそれまで使われていた言葉をどう違う言葉に置き換えていけるかだと思うんだけど、今の子たちが自分に充足していられるのも、あまりにも豊かだからという理由がある訳でしょ? 他のジャンルの人たちと関わらざるを得ないような状況になったら、「いや、私はこうだから」とだけ言ってもいられない状況になると思うんだけど、今のあまりの豊かさは、その必要性を無くさせているんだよね。
Waterr:それはあるな。サークルで閉じちゃってるから、自分のやっていることを他人に説明したり弁解する必要がないからね。
ナイン:そうなんだよ。それが、このどうしようもない閉塞感の原因だと俺は思っている。
Waterr:延々と閉じたBBSで会話を続けているだけだったら、それに対して論議が起こるなんて無いよね。
ナイン:ノイズが起こらないということが初めから分かっている訳だから、ある意味自分
と話しているようなものだよね。
Waterr:特にBBSのコミュニケーションを見ていると、「場を乱さない」ような語り方をすることがすごく成長しまくっているよね。
キール:あそこ精神使うんだよ、ホントに・・・。俺もナインのブログに書き込むのを何度もためらったよ。どうしようかなー、どう書こうかなーと。
ナイン:それは「場」に合わせるために?
キール:そう、だってトラックバックを見るとさあ、思いっきり反戦系のブログじゃん? そういう人たちも見ているから、俺みたいな保守右派でタカ派で核武装論者が書き込むとまさに「場を乱す」「対立する」ことになるでしょ。
ナイン:でもそれはやってほしいんだよね(笑)。そういう異なる意見がぶつかり合える場所ってすごくいいし、いま必要だと思うから。で、ジャーナリストのシバレイさんもブログでかなりそういうのを目指している気がするんだけど、彼の所はコメント欄で異論が書き込まれると、彼自身ではなく取り巻きのような人たちが出てきて闘っていたりするんだよね(笑)。
キール:で、そこで書いて、論争になって、場が荒れたら、ナインに申し訳ないなと(笑)
ナイン:いや、マナーに基づいたものならそれは全然構わないよ。荒れすぎるのは困るけど。
Waterr:結局そういうことだと思うんだよ。「左」と「右」のどちらかの陣営に立って、相手をやっつけたいという事が、俺やナインのやりたいことではないと思う。「最低限まともに話し合えること」が出来れば、むしろそれこそが目的というかね・・。
ナイン:そう、逆に言えば、「何で話が出来なくなっているのか」が問題なんだと思う。
キール:そうだなー。
ナイン:やっぱり日本のコンビニ文化というかさ、似た者どうしで固まろうとすればそのためのツールが極限まで発達しているという文化が、問題の根源にあると俺は思う。だから若い子たちが、「自分はこう感じるんだ」だけでやっていけるようになっていっちゃった訳じゃん。きっとそれを最初に言い始めた40歳くらいの人たちの時は、そうせざるを得ない理由があったり、あえてそれをやっていたと思うんだけれど、あまりにもテクノロジーが発達しすぎたことと、企業がどんどんサービスに変えてしまったということの悪影響があったんだと思う。引きこもっていなくても引きこもりというか・・。
Waterr:いや〜それはだって、小学校からケータイとインターネットを与えられて、そこで小さいコミュニケーションばかり繰り返していたらさぁ、そこで閉じますよ。
キール:閉じるよ、絶対に閉じるよ。
Waterr:痛くないもん、痛い思いをしないからさ。別に痛い思いをしなくてもいいんだけど(笑)、とにかく「自分を説明する機会」が無いと思うんだよね。結局それをする機会というのが就職活動しかないから、それによって初めて「うわっ、社会の荒波だ」と感じてしまう。「いやいや、最初から社会はあったんですよ」と言いたくなってしまうよ(笑)。何を今さら言っているんだと・・・。
ナイン:どうして君が生きている所が「社会」だと思えないんだ、と。
Waterr:それまでさぁ、常に小さいサークルの中で生きてきて、初めて自分を相手に説得しなきゃいけなくなり、「これが社会ってことね」と感じてしまうんだよね(笑)
ナイン:日本で生きていると、21歳になって初めて「他者」と出会うからね。だからみんな就職活動が「あ、これが大人なんだ」と感じるイニシエーションになっているんだよ。
Waterr:だから「世の中に出なければ何もわからない」などとみんな言いたがるじゃん。そういう「世の中に出なければ何も分からない」という言い方をいつ頃からみんながし始めたのかわからないけど・・・
ナイン:あ、それ調べたいな。調べるよ、俺。
Waterr:どこかで始まりがあるはず。子ども時代の閉じた関係が作られたことと、「世の中に出なければ何も分からない」という文言が人口に膾炙したときは、多分同じだと思う。
ナイン:今みたいに消費文化が極限まで発達していればいるほど、「世の中に出ることこそホンモノ」という圧力も強くなると思うし、今『ニート』と言われていることに当てはまる人たちが自分に負い目を持っているとしたら(俺はこうやってひとまとめにすることは止めた方がいいと思っているけど)、それは「世の中に出ていないからホンモノではない、自分は何も経験していない」みたいな所にある面も大きいと思うんだ。
Waterr:あとは若者が徹底して全ての発言力を奪われていて、社会に出て初めて、つまり「テメーでテメーの事をやって初めて一人前」みたいになる。
ナイン:今まで若者たちを消費に向かわせていた企業が、今度は「お前らこれからは消費なんてダメなんだ、働くことこそが大人なんだ」と言い方を変えてくるんだよね。
●「すべては自分次第」のおかしさ
Waterr:さっきの話(「Part2」)じゃないけど、「世の中に不満があるなら自分を変えろ」というのは浸透していると思うのね。だってみんなそう言っているよ。
キール:だってそれで検索すると、みんな肯定的な意見が圧倒的だから。
ナイン:老いも若きも?
キール:そう、「そんな世の中おかしいよ」と言う人が誰も居ないんだよね。
ナイン:それはみんな諦めてそうなっているの?
キール&Waterr:「無力感」はあるだろうね。
ナイン:でも「無力感」を大っぴらにするのはみんな恥ずかしいんだろうね。
Waterr:多分「自分次第」とか「強い自分」といったポジティブ・ワードで装飾しているんじゃないかな。でも要は世の中に対して何のインパクトも与えられない自分に対する無力感はある。
ナイン:それにも関わらず、このトークの場みたいに「世の中がああだこうだ」と言っていたら、自分が惨めに思えてくるんだろうな・・・。
Waterr:それはあまりやりたくないことだよ。やっぱり出来ればアッパーに生きたいものでしょ。
キール:「避けられないなら楽しむしかない」んだよね。
ナイン:いやー、その手の「自分本意」というか「自分次第」という物事のとらえ方は、今のあらゆる若者カルチャーに見られると思うよ。しかもすごく低年齢化されている。だいたい小学校6年生が「自分探し」をする国なんて他にどこにあるんだと。
Waterr:(笑)
キール:「自分次第」というのはさ、『ポケットモンスター』だってそうじゃない? 自分次第で強いポケモン、弱いポケモンにできる訳じゃん。自分の戦略で勝ちが決まっちゃうんだからさ。カードゲームにしても、ポケモンにしても、シミュレーションゲームにしても。子どもたちを巻き込んで、「自分次第」だと思わせている。
ナイン:勝負事はそういうものだと言われればそうなんだけど、俺とかが子どもだった頃に比べて世界観がすごく込み入っているよね。俺とかがメンコやっていた頃に比べたら・・・。
Waterr:「メンコやっていた」って、何かすごく昔の子どもみたいだな(笑)
ナイン:俺はたまたまそれをやっていたんだけどさ(笑)。やっぱり今の子ども向けの遊びはすごく凝っているよね。
Waterr:シミュレーションゲームってのは俺が小学5年生くらいかなあ? ドラクエとか・・。
キール:それはRPG。戦略シミュレーションとか恋愛シミュレーションとか、事件を解いたりするやつね。結局RPGってのはストーリーが出来ている訳じゃん? 下手な事をしても、その筋から外れることはないんだよ。シミュレーションの場合だと、脇道にそれても何かあるんだよ。
Waterr:『バイオハザード』は何?
Waterr:あれは死ぬほど恐かったんだけど(笑)
キール:犬とかビビったなぁ(笑)
Waterr:友だちから「これ面白いよ、寝られなくなるよ」と言われてやってみたら、本当に寝られなくなったよ(笑)
キール:ドア開ける時恐くなったよなー
Waterr:超コエ〜の(笑)。ありとあらゆる場面に何かいそうだから。要するに単にホラー映画を鑑賞してるんじゃなくて、自分で体験するホラー映画みたいな。あ、どこか能動的で、「自分次第で展開が変わる」みたいなものは・・・
キール:まあね、「自分次第」と見せているんだけど、結局エンディングは決まっ数しかないから、変わらないんだよね。
●「おたくカルチャーは犯罪と関係がある」なんて本当か?
ナイン:あのさあ、ここ15年くらいの間で少年犯罪や20代の犯罪が起きるたびに、今話していたように「現実と虚構の区別がつかないから起こしたんじゃないか」と言われながら、ゲームをやっていたんじゃないか、あのマンガを読んでいたんじゃないか、といった事が探られていたと思うんだけど、今の話からすれば多分それは間違っていて、だけども全面的に間違っているとも言えない。でもおたく系カルチャーがそういうオヤジ的なバッシングから身を守ろうと思う余りに、そういうバッシングとはまた異なる形でおたく系カルチャーが持つ人間性を変えていく部分があまり注目されなくなっているんじゃないかと俺は最近考えているんだ。オヤジたちの紋切り型のバッシングがいまだにある一方で、実はもう社会のメインストリームになるくらいに、少なくとも青少年レベルでは完璧にメインストリームになっている気がするんだ。バッシングされる影で、そういう現代的な現象があまり省みられなくなっていったのではないかと思っている。それは、モノがどういう背景から生まれて、日本の政策や企業の戦略にもしかしたら操作されているのかもしれないといったことをほとんど見えなくさせる「自分次第主義」などにかなり影響していると思うし。
キール:あ〜、なるほどね。ただそれを語るにはステレオタイプな批判を何とかしなきゃならないんだよね。
ナイン:まぁいまだにステレオタイプな批判は起きるからね。
キール:そうそう。やっぱりある意味今ナインが言ったような問題を語るには、メジャー化しないと無理なんだよ。メジャー化して一定のファン層ができると、マスコミなんかはそれを敵に回せなくなるじゃん? 例えばドラマでも映画でも、結構セクシーな部分やバイオレンスな部分はあるでしょう? それでもなかなかドラマや映画のせいにはならないじゃん?
ナイン:昔少年がバタフライナイフで殺人したことがドラマのせいにされたことはあったけど、まああれくらいか・・・。大体マンガ・アニメ・インターネットが三大標的かな。
キール:それらはメジャー化しきっていないからさ、攻撃して敵に回したとしても「痛くない」んだよ。
ナイン:でもテレビ局なんて、思いっきりアニメをテレビ化しているのに。その分裂っぷりはいつも疑問に思うよ。
キール:そうだよ。
ナイン:今、奈良の小学生が殺されてメールで遺体写真が送られた事件で、その手の批判がまた出てきていたじゃん。色んな雑誌の見出しを見ていたら、「鬼畜」とか「ロリコン」とか。「いや、ロリコンの30代男なんて今いっぱい居るでしょー」と思ったけどさ。
キール:『ビリーズ工房』とか出していて何言ってるんだよこいつら、と思っていたけどね。
ナイン:まあマッチポンプだよな。で、ある意味あれは宮崎勤の図式と今まで聞いてきた範囲では変わらないというか、あの事件で語られていることもバッシングのタイプも昔の事件的だよね。そういう以前のタイプと、今のように思いっきり消費文化の中で生きてきた10代とはまたちょっと違ってくるんだろうなという気がする。ま、おたく系に限らずに。小学6年生からファッションで「自分探し」を迫られる子たちもそうだし。
キール:悲惨だよなあ。
ナイン:自分を社会化する手段が全く出来ていない状態の中で消費だけで自己実現・自己成長をさせられている子たちがどうなるかというのは、本当に今考えている。
Waterr:ちょっと話が戻っちゃうんだけど、ある種の事件が起きた時に、全て犯人の内面の問題に還元するタイプと、それに対してむしろ社会的な状況を見るタイプがあるとして、基本的に俺やナインとかは「心のケアは欺瞞、むしろ社会の状況や構造があるんだ」というタイプだと思うんだけど、一面ではやっぱりその人がある種のモノに触れてきたんだということが一切無いとは言えない訳じゃない。その場合、「内面」の問題があると思うんだよ。その人が日ごろから触れていたものというのが、エロ関係のマニアックなモノだったのか、それとも単なるテレビドラマだったかというのでは世間の反応も違うし、実際に与える影響も違うと思うんだよね。さっきまで、おたくと音楽とファッションを同じ構造で語ってきたけれど、俺がその意味で一番気になっているのは、おたくの場合は「エロ」を売り物にしているじゃん。エロ系のモノを消費しているから幼児にも手を出したんだ、と思ってみんな反応している訳でしょ。そこはどういう風に理解しているのかな? つまり、単に「エロ描写はダメです」というタイプは問題外として、幼児への犯罪とおたくカルチャーとの間に因果関係を見いだしている人たちに対してどういう反論をおこなうか。一般的、倫理的な規範から言えば圧倒的に不利だよね。それに対して弁明をしないと、バッシングは止まらない訳じゃん。
キール:そうだなあ・・。結局、なんつーかね、ああいうのを批判するのは、エロゲーとかをやったこと無い人たちなんだよね。やったこと無い人たちに対して説得するのはすごく難しいというか、その人たちが経験したことで説明しなきゃ効果が無いんだよ。だから俺は「エロゲーと源氏物語の差はどこにあるの?」と言っている。『源氏物語』って、あれに絵や声をつければ思いっきり調教系のロリータエロゲームだろう?
Waterr:(笑)
キール:「それとどう違うんですか」って、俺はよく古典を出すんだよね。例えば『カンタベリー物語』とか、『デカメロン』とか、昔のエロ小説や、神話、伝説とか。そういう古典と今のエロゲーとかがどう違うのか、絵が付いているだけでしょう、絵が付いているだけでどうしてそんな悪く言うの、と。
●おたくカルチャーにそれでも残る「問題点」
ナイン:……ひとつ問題があるとしたら、これ実体は知らないんだけど、女性の側も『源氏物語』を読むように普通にエロゲーをやれるか? という点があるかな。つまりこれは「他者理解」の問題だと思うんだよ。他者とどう向き合っていくか、どう表現していくかという点が、俺はおたく系表現の核だと思っている。今日あまり言わなかったけどね。それは法則があるにしても色んな形で表現されている訳じゃん。要するに、今日はおたく系カルチャーに疑義を挟むことをあまりしたくなかったんだけど、例えば最初(Part1)に話した女子高生ブームの時に「コギャルの奔放な性」などと盛んに語られた事への反動として、自分の手の内で転がすことが可能なキャラクター作りの方へ行ってしまうとやり方は、どうしても自己中心的な所が出てきてしまうし、幼女に幼女にと下がっていくのは、そういう部分が関係しているんだろうしね。ステレオタイプな見方だけど。だから奈良の7歳幼女が殺害された事件の容疑者にしても、今俺が話したような図式から、「成人女性に手を出せないから幼女に手を出したんだろう」というようなバッシングが生まれてしまう。これはまさに宮崎勤事件の時にすごく言われたことだった。あの頃から面々とあって、俺に言わせればきちんと「他者」に向き合えないのは自分を含めた日本人全体の問題だと思っているけど、おたく系カルチャーに一番極端な形で表れているのかもしれないと思うんだ。おたく系カルチャーで描かれる女子が、どうして低年齢になってしまうのか? というのが大きなポイントになってくると思う。「清楚」というのも、「自分には逆らわない」というイメージだから、似たような事だと思うし。
Waterr:「逆らわない」というのは色々あるよね。
ナイン:そうそう、世の中には色々あるんだけど、俺に言わせればおたく系カルチャーはそれが割と見てすぐに分かるじゃん。
Waterr:うんうん。つまり古典の例もそうだけどおたく系カルチャーとその他とで構造が似ている点は世間の至る所にあるというのであれば実際そうだと思う。だけど何が違うのかを突き詰めていけば、今ナインが言ったポイントは大きい気がする。
キール:う〜ん・・・。
ナイン:あと時代背景というのがやはりあってさ、おたく系カルチャーが日本の凄まじい「豊かさ」の中から出てきたという事と切り離せないと俺は思うし、日本の「豊かさ」はどこまでも自閉していく「豊かさ」でしかない訳だよね。「この枠組みの中にいつまでも居たい」という・・。やっぱその「豊かさへの自閉」とおたく系カルチャーはかなり関係していると思うから、それをどうしていくか? だと思う。つまり、日本は色々なものと向き合ってこなかったと思うんだよ。アメリカとの関係に対してもそうだし、アジアへの戦後補償の問題にしてもそうだし。ずーっと人任せでやってきた結果、この何でもある豊かな国を達成できた訳だよね。俺たちの精神構造もその中で生まれてきていると思うし……。
キール:そうだな〜・・。ナインに指摘された点は、そこを取ってしまったらおたくカルチャーのカルチャーの活力が無くなるんだよね。それがあるからこそああなっているというか・・。
ナイン:いかに動かない相手をいじくれるか、ということかな。
キール:難しい・・。
ナイン:まぁ俺が他の文化も大して変わらんと思うのは、音楽もファッションも、みんな「自分にとってのイメージ」でそれを選んでいるに過ぎない点かな。
Waterr:それに世間の「恋愛強迫症」みたいなものもほとんど同じである気がするけどね。
ナイン:そうそう。「相手」というのが、自分の投影に過ぎないというか。
Waterr:「属性」に反応するというのも同じだしね。
ナイン:後は『世界の中心で、愛をさけぶ』のように、「相手が死ななければ萌えられない」とかね。そういう意味ではおたく系カルチャー的な感性が一般化したのか、もともと日本文化や社会の中にあったものがおたく系カルチャーに分かりやすい形で凝縮されたのか、よく分からないんだけど。
Waterr:おたく系カルチャーに対して、分かりやすい形で批判してくる人たちは、自分の中にある嫌な面を批判してもいる気がする。同じものへの批判。自分に目隠しをするために、おたく系カルチャーを生け贄にしているというか。だってサラリーマンの人だって、そういうことばかりやっているでしょう?
ナイン:そうなんだよね、ビジネスのマーケティングも似たようなモノって気がするんだよ。ある人間たちをあるひとかたまりと捉えて、それをどう動かすかという事ばかりやっている。どこをどう刺激してどういう反応を引き出すか。
Waterr:「俺が一声掛ければ何万人がついてくる」という奴が「ホンモノ」になる訳だから、そりゃ「モノ」だわな。
ナイン:(笑)。『5千人を一瞬で動かした魔法の言葉』というような本があったよ。
キール:多いね、そういえば。
ナイン:ビジネス本ってそういうタイプが多いからね。切実に必要としている人がいるのはよく分かるんだけどさ…。
●男の子と女の子
Waterr:おたく系の話だと、あまり大っぴらに出来ない「性」の問題をどれだけは話せるかという気がするんだよね。つまり女の子はある意味「性」について男ほどには語れないわけじゃん。例えば修学旅行でみんなで風呂入ることが躊躇われるくらい、「性」がタブーじゃん? やっぱり不平等性はあると思うんだよ。そこには多少批判的にならなければいけないかな。「従順な女の子」という像みたいなものもそうだけどね。あるいはなぜ女性作家というだけで持ち上げられるのか、など。
ナイン:それを覆い隠すために、「ほら、女だってやおいマンガとかやっているじゃないか」という図式になりかねないもんね。
キール:えっとさ、ナインがおたくカルチャーに関してさっき問題にしていた所をもう少しまとめられるかな?
ナイン:そうだね、遠回しに言っていたからね。色んなカルチャーの中で、対象とどう向き合うかという問題を、おたく系カルチャーの場合は、相手を幼女だったり、生身のガンガンセックスもするかもしれない女子高生ではなく、性を感じさせない「清楚」という女の子をあえて選ぶというのは、自分に思いっきり逆らい、自分を傷つけるかもしれない相手じゃなくて、あくまで決して自分と対立することのない女の子を描くことを追求していると思うんだ。これはやっぱり「相手は自分とは違う他者である」という部分を消し去っているんじゃないかと思う。
キール:あ〜〜、そこら辺はね、最近変わってきた。飽きが来たというかね、結局は「お人形さん」なんだよ。綾波ブームの頃は「それがいい」と言われていたけど、そのブームが過ぎ去って、「人形犯してもつまらないじゃん」と。自分の意思を持った女性キャラも描かれてきているんだよね。『攻穀機動隊』の草薙素子も思いっきり自分の意思とかを持っていたし、どちらかと言えば「支配」されたがる人たちが増えてきているんだよ。
ナイン:逆転しているんだ。それも何だかなあ・・・。
Waterr:それもあまり変わらなくない? 「自分にとってどう動くか」だからね。
キール:本質は変わってないんだけどね。
ナイン:そっちの方がまだマシだろうとは思うんだけどね。
Waterr:でも、ナインが問題にしていた「他者」というのはそういう事ではないんじゃないの?
キール:う〜〜ん、難しいよなあ。ネットゲームだったらそれは出来なくもないけど、普通のコンシューマーのゲームとかでも出来ないでしょう。
ナイン:まあ、「それなら普通のドラマでも見ていろ」となるかな。
キール:そうそう、妄想の具現化がおたく系文化な訳だから。自分の欲望を形にして正当化している。
●奈良の事件はカルチャー+「自己顕示欲」?
Waterr:あと、さっきの事件が起きたときの話と関係するんだけど、そのようにゲームの中の対象を「従順」や「支配してくれる人」にすると、それと犯罪との間に影響関係があると人は受け取っている訳じゃない。いわゆる「バーチャルとリアルの区別が云々」と。
キール:「そんな奴がいるのかな」って俺は思うんだよね。少なくとも俺はかなりの人間が割り切っていると思っているし、少なくとも80年代型のおたくはそういうことを割り切っている人がほとんどだから。
ナイン:現実がつまらないから、仮想世界に行く。
キール:そうそう。基本的に現実と仮想現実の区別はついているからね。おたくの中でもそういう連中がほとんどだからね。例えば『シスタープリンセス』にハマっているのは、実際にも妹たちがいる人が多いんだよね。
Waterr:逆に言うと、その「区別」をハッキリつけられるのが、おたくを長く続けられる条件という気がするな。
ナイン:そしてそれは難しくなっていると思う。というのは、現実がしっかりしていなければその「区別」もつけられない訳じゃん。でも今や現実と虚構ってほとんどつきにくくなっているからね。グチャグチャになってきている。
Waterr:そう、現実世界がおたく化しているからねぇ。昔はモニターを消した瞬間から現実にバッと戻れたんだよね。でも今はそれが出来なくなっている。大概のおたくは出来るんだよ、道を外すのは電波が入っている、「おたく+α」の何かがある人なんだよ。俺は宮崎勤や奈良の事件の容疑者に共通しているのは、「自己顕示欲」として殺人やレイプをする性質があったと思うんだよね。それがおたく系趣味と混じった結果の犯行だったのではないかと考えているんだよね。おたくカルチャーは一つのファクターではあるけど、それだけでは起こりえないと思う。何らかの様々な因子が重なり合った結果のものだとは思うんだよ。
ナイン:まあ、叩きやすいものに目が行くのは当然だしね。
キール:それだったらおたくなんて犯罪者予備軍になってしまうしさ、秋葉原なんて無法地帯だもん。
ナイン:あんな行政が主導するビルなんて堂々と建てたら大問題だよねぇ(笑)
Waterr:(笑)
ナイン:「自己顕示欲」をああいう形でしか出せないという問題もあるな。
キール:爆弾テロをやって自己顕示欲を満足させている人たちと似た臭いがするんだよな。彼らの興味が爆弾に向き、それが自爆テロと重なり合ってそうなっているというか。
ナイン:爆弾テロって、中東とかの?
キール:違う違う、アメリカでオクラホマの政府連邦ビルが爆破された事件があったじゃん。あの「何とかボマー」に似ていると思うんだよ。
ナイン:自分がやったことで世間が騒ぐことに、喜びを覚えるタイプね。
キール:そうそう。その人の手段は爆弾だったけど、爆弾の知識があったからそうなっただけで、もしその人の「爆弾」の所が「ロリコン」や「おたく」だったらどうなったかと思うんだよね。
Waterr:確かにハイジャックにしたって政治的な意図とか全くなかったからなあ。「単になりたかった」とか。
k:そう、そういう自己顕示欲を満たすための大義名分になっている気がするんだよね。おたくとして見てみれば、自分たちの趣味の理由だけで現実を破壊出来るパワーがあるのかという気がするんだよね。
ナイン:で、やっぱりあの奈良の容疑者みたいに、他に陽の当たる部分が無ければそういう犯罪をやるしかなくなるという部分もあるのかもね。
キール:普通はそういう欲望が貯まってもさ、エロゲーでハァハァして抜いちまえば消滅するもん。性犯罪する人の統計でおたくが何人いるかという話なんだよ。低いと思うよ。
ナイン:マッチョなタイプの方が性犯罪者は多いだろうね。力で征服してやるという。
Waterr:おたくを言うなら、体育会系であったことに対しても原因を求めるべきだよ(笑)。野球部とか、スーパーフリーとか、俺に言わせればまとめて「体育会系」で原因を求めるべき。小さいときから男の男根共同体みたいなことばかりやってきているんだから。
ナイン:「集団盛り上がり」をやっているんだもんね。
Waterr:確かに「おたく」を原因にできるんであれば、「体育会系」だって原因に出来るだろうし。
キール:それだけで犯罪出来るほどの力は、ハッキリ言って俺には無いしね。「おたく+α」のまさに「+α」の部分が問題だと思うんだよね。
ナイン:今、すごい議論が出ているからね。小さい子に声を掛けたらそれを取り締まる法とか。
Waterr:生きにくいな〜。
ナイン:生きにくいっすよー。小さい子を見たときに俺らの方がビビることになるからね、「やっべ、俺何かこの子に睨まれているんじゃないか?」とか(笑)。
キール:そこまで考える余裕がないんだよな、別のことを考えているんだよな。おたくだから妄想している(笑)
Waterr&ナイン:(爆笑)
キール:うわの空なんだよね、基本的に。
●何を伝え、何をしていくべきか
ナイン:そっか(笑)。で、ちょっと話を戻そう。すでに音楽では何もかもが企業論理に飲み込まれている現状があり、これからおたく系文化もそういう道をたどる可能性が高い中で、僕らは何をしていけるんだろう? それをどういう風に変えていけるんだろう? どういう風に伝えていけばいいだろう?
キール:そこだよねー。
ナイン:座っていれば何もかもが用意される快楽に抗うという事だと思う。少なくとも俺はそれはつまらないと思うから。
Waterr:俺の感覚では、要するに「金を使わずに何かをやってみろ」という事だと思うよ。何かを作るということをやるだけでだいぶ変わるとは思うが、その時に金を使わない。つまり音楽だったら、「でっかいパーティーをやったりでっかいライブを企画して、お客さんが入りましたハッピー」みたいなことが「モノづくりをやっていること」だと思うなよ、と。それはつまり金を動かしていることに快楽を覚えているだけであって、無料でやっても開拓を覚えられるか? ということ。もしそこで快楽を覚えられるとしたら、多分それは多くの人を動員してお金がこれだけ動いたということに快楽を覚えている訳じゃないんだから、それをやってください、と。
ナイン:よく誤解されることだけど、「金を使うな」というのは「消費をするな」という事ではないからね。「そんなに禁欲して偉いですね〜、僕には出来ないですよ」とかよくある反応なんだけど・・・。
Waterr:そうそう、こういう風に言ってみればいいんじゃない? つまり金を使わない事は禁欲する事じゃなくて、「手段を自分でつくる」事だと思うんだよね。金を使って作るというのは、今日見てきたフィギュアじゃないけどいくらでも出来る訳じゃん。でも金を使わないで作るということは、素材や手段を自分で作れるということだから、多分新しいモノが作れる。そこが違うのかなあ。金を使わないというのは、「あれもこれも出来ない」ではなく「あれもこれも出来る」という発想を取る。
ナイン:世間では逆に受け止めるからね。「金が無かったらこれだけしか出来ないじゃないですか〜」とね。
Waterr:例えば反グローバリゼーション的な文脈で言えば、スターバックスやユニクロに行かないというのがいかにも色々な事が出来ないという風に思われているかもしれないけど、そうじゃない。
ナイン:そこは伝え方の下手さでさ、変えていかないとね。
Waterr:服作って、自分でコーヒー入れて、色んな事が出来るかもしれないじゃないですか、という風に転換しないと、金を使わないという事が持っている新しいものを作る勃発力が全然伝わらないよね。金を使わないことによってどんどん貧しくなってしまうと言われるけど、「逆ですよ」、と。
ナイン:今言ったような「金を使わなくても、こんなに色々出来るじゃないですか」という転換は、おたく系カルチャーでは出来ると思う? それを若い世代に伝えられるか。
キール:難しいな〜。作るにしても何にしても「技術」が必要だからね〜。昔のおたくはそういうのを兼ね備えていたからさ、結構すんなりと作れたんだけど、今の子たちは何もないからさ、イチからやっていかなえれば・・・。
ナイン:そういう意味では、親が金さえ出さなければ可能性はあるんだよね。
キール:そうそう。金さえなければ、そこら辺の材料で何かやり始めるから。
ナイン:親が出すからね〜。出すなと。やらせろと。
Waterr:それもあるな〜、それもデカいな。今「手段を作り出す」と言ったのは自分でもうまいなと思ったんだけど、新しい音楽が出来るときというのは常にそうでさ、例えば「ダブ」が生まれたときはそうだった。
キール:あ〜、そうだよね、黒人音楽のドラムも楽器が無いから自分たちで作ったりしたし。
Waterr:それによって新しいリズムを作ると。
キール:格闘技で言えば「カポエラ」はそうだよね。奴隷だから手がつなげられていてさ、その代わり足で闘うようになった。
ナイン:あ、そうなんだ。
キール:そうそう。奴隷で手かせがあるから、その限定された条件の中で何かを作り出す。
ナイン:日本の場合、「不自由」すら金を払って体験することになっているからなあ。
Waterr:大学生が旅行に行くときにさ、「一週間は貧乏旅行、一週間はリッチな旅行」と使い分けているようなものだな
キール&ナイン:(爆笑)
ナイン:わざわざ金使って制約をつけて(笑)
キール:空手もそうなんだよなあ。本来何も持っていない民衆が武器を持っている権力者と闘う時に、自らの体を武器にすることによって作られたんだよね。で、日本刀のような武器を持っていた人たちは、それがあるから柔道とか合気道のような打撃技を必要としない。武器を持っていない沖縄の人たちはそういうサムライに支配されていたから、必要があって空手になっていったのに、今や「空手ブーム」だからなぁ。
Waterr:そう、何もかもあるから逆にプリミティブなものを買うんだよね。「猿岩石現象」というかね。
キール&ナイン:(爆笑)
ナイン:あの旅費や放送費にいくら掛かっていたのかと。
キール:アメリカとかで空手をやっているけどさ、そんな事より拳銃の一丁でも買った方が効率がいいんだよね・・。
ナイン:まぁ金持ちの趣味だよね。
Waterr:それは「スローライフ」だってそうじゃん。わざわざ野菜を作ったりするプリミティブな生活に戻ることを金をかけてやるんだよ。
ナイン:日本のスローライフ雑誌で笑えるのはさ、700円くらいするんだよね。何で700円出してスローライフ雑誌を買わなきゃいけないんだ? 「スローライフ」の本義と反対の事をやっているじゃん。それより実践しろよ、と思う。
Waterr:しかも有機野菜を高く売っている店が「スローライフ」になっちゃったりさあ。デパートの地下でスローライフ特集とかさ(笑)。だから、何で自分の言っていることとやっている事が矛盾していることにガッカリするほど無神経だなと思う。
ナイン:思うに、大人はもう無理。そのことに疑問を抱ける年齢ではないから。若い子たちには、「何もかも用意されたらつまらない」という感性がきっとあると思うんだよ。そういう子にどうアピールする事が出来るか、という事だと思う。こう言うとまるで「取り込む」ようで嫌な感じだけど、そうではなく。その気持ちを「猿岩石系」に行かずに、違いをハッキリと見分けてもらえるような感性を。
キール:金が無くなる前に供給が来てしまうからね。
Waterr: 俺の感覚では、「消費にまみれた都市が嫌だから田舎へ行こう」というのではなく、「街のど真ん中で金無しで何かをやってみよう」だね。一回でもいいからスケボーとかを街でやってみれば、いかに街が消費をしない人間に冷たいかというのがわかる。どんなカルチャーにしても、そのことにぶつかる事が重要だと思うんだ。
(「Part 4」 に続く。http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20050116)