秋葉原フィールドワーク&タブー無しトリプルトーク「おたく・音楽・ファッション・資本主義」Part 2

Part1は http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20050113

●10代の生活は「消費」が中心

Waterr:「自分の言っている事とやっている事に矛盾があるのはおかしいんじゃないか」という事だと思うんだけど、それが若いコにどれだけ届くかという問題だと思うんだ。

ナイン:それがさっき話していた消費の話とまさに関係してくる所でさ、表面的にモノを見ている若い世代(僕らも若いんだけど・・・)に「どこまでもそれは消費でしかないじゃん」と言った所で、本人たちにとっては「自分らしさ」を感じられるかなり切実な行為なのかもしれないし。今は10代の子たちが学校や家庭に何も希望を持てていないから、消費文化の中で自己実現していくという現実があると思うんだ。おたく系カルチャーでも、音楽でも、ファッションでもそうだし。

Waterr:消費以外に社会の中心に居られないというのが、各カルチャーを消費している若い世代に共通した傾向だと思うんだよ。それを買い続けて、その買い方で自分を表現していくこと以外に、政治的にも教育の場面でも発言権が無いからね、ガキは。だけどガキであるがゆえに、消費の場では中心になれる。そうしてまた消費の場に戻っていくんだ。

キール:ああ・・・。

ナイン:昔は消費すら無かったからね。ただその分今ほど若い子が貶められてもいなかったんだろうけど。

Waterr:あとは、消費の中心だけど、お金無いじゃん、ガキって。だから苦しいんだよ。というか俺は苦しかったよ。

キール:金は無いねー。きつかったなあ・・・。

ナイン:金が無くて満たせないから、いつも飢餓感に苛まれているようなものだよね。

Waterr:メシ食わないでモノ買っているなんて、おかしいじゃん(笑)

ナイン:ははははは(笑)

Waterr:それ意外に自分を表現できるものが無かったからさ。

ナイン:あのさ、初期のおたくの人たちは、おたく系カルチャーという「場」でしか自分を表現出来ないという事にすごく自覚的だったんじゃないかと思うんだけど、その辺の「追いつめられている感」みたいなものは、今の若い子たちにはあるのかな? もっと気楽なのかな? 今の10代の内、どういう子たちがおたく系カルチャーやライトノベルにはまっているのかという事にも関わってくると思うんだけど・・。

Waterr:「追いつめられている感」がある人というのは、やっぱり最初に話していたような、社会にどうアクセスするかということを努力した人たちに当てはまるよねえ?

キール:最近おたく系カルチャーがメジャー化しすぎてね、そこら辺の区別がマジでつかないんだよ。ホントに渋谷とかにいそうな子が普通にギャルゲーをやっていたりとかさ、男でも女でも。

ナイン:さっきメイド喫茶に行った時も、渋谷とかにいそうな普通の兄ちゃんばかりだったよね。

キール:そうそう。外面とかでは判断出来なくなったんだよ。

Waterr&ナイン:それはさっきメイド喫茶で超思った。

ナイン:俺ら超浮くんだろうなーとか思っていたら・・・。

Waterr:俺が高校の頃は、マンガ喫茶ですら浮いていたよ。おたく系の人が多いから。


●上の世代の「責任」

キール:おたくがメジャー化しすぎてね、どういう奴がそれを楽しんでいるのかホントに分からないんだよ。だからやっている事が「消費」なんだよ。

ナイン:徹底的に「意味」を骨抜きにされていると。

Waterr:それは俺の場合、以前あるパンクバンドのTシャツを着てテニスサークルのバッグを持っている奴を見て、驚愕したことだな。

キール&ナイン:(爆笑)

Waterr:「これはすげえなー」と思って、まあそういう事よ。そのバンドが何を言っていて、何をやろうとしているのかが一切関係なくなっていると思うんだよ。

ナイン:チェ・ゲバラのTシャツが流行った時みたいだね(笑)

キール:そうだね。ゲバラTシャツ売れているよな〜

ナイン:あれはもともと「裏原宿ファッション」っていう、ドメスティックブランドの大ブームの時に、藤原ヒロシとかデザイナーの奴らが作り始めたんだけどさ。

Waterr:あの辺の、80年代中盤から後半にかけて音楽やファッションを作り上げたと思われている人たちに、ホント責任取って欲しいよね。「お前らこそまず責任を取れ」と。

ナイン:「裏原宿ファッション」に関しては本当にそう思うよ。何もかもが「消費」に結びつく道を作り出してしまった人たちだから。

Waterr:「消費に結びつけること」を「クリエイトすることだ」という風にしてしまった。

キール:それはこっちのアニメ業界でもあるよ。戦犯はいっぱい居るよ……。

Waterr:「デザインする」「プランする」ことを消費の舞台で行うことが、こんにち言われている「クリエイティブ」だ、としてしまった。それはすごく功罪大きいよね。

ナイン:あのさ、今までは旧世代に対して割と肯定的な事を話していたと思うんだけど、彼らの「罪」の部分はあるのかな?

キール:あるでしょうー。今のおたく系カルチャーの雰囲気を作ったのは、結局『エロゲーム』を作っていた人たちだと思うからさ。80年代のおたくが90年代にエロゲーを作って、それが一気にメジャー化して、結局メジャー化したエロゲーによってアニメ業界もゲーム業界も飲み込まれちゃったんだよ。エロゲーというのはさ、思いっきり「消費」に特化しているじゃない。ストーリー性というより、要はあれはオナニーするためのものじゃん。ストーリー性が無くたっていいんだよ、抜ければね。そこら辺がやっぱりね、今の「純愛ブーム」を作った人たちもそうだし。

ナイン:今は『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『いま、会いにゆきます』とかがすごく売れて「純愛ブーム」と言われているけど、おたく業界でも「純愛ブーム」があるの?

キール:純愛ブームというか、結構前、97〜98年くらいから「鬼畜」と「純愛」、その二大派閥が出来たんすよ。

ナイン:またそりゃ両極端だな…。まあでも「純愛」ブームなんて今世の中の人たちがみんなやっているからね。

キール:つーか今の世間がやっている「純愛ブーム」なんて、エロゲーでやっていることのパクリというか再生産にしか見えないんだよな、俺には。

Waterr:はははははは(笑)

ナイン:かもね、あのパターンにはまった感じといい、使い回せる感じといい・・。

Waterr:俺の友だちは「脳内恋愛」をしているらしんだけど、「俺に言わせりゃ世間でやっている事は全部俺とやっていることが同じなんだ」と言ってるんだけどね(笑)みんな生身の人間と恋愛しているというけど、要するにある種のキャラクターで脳内恋愛をするということとやっていることは同じなんだと(笑)。確かにそういう所が無くもないというか、かなりそうだと思うよ。

ナイン:生身の人間をキャラクター化しているということ?

Waterr:そうそう、「それで演劇をやっている」と。その人は一般的な「おたく」に入ると思うんだけど、「自分が何をやっているのか」をよく考えるタイプなんで、言うことが面白いんだけどさ。

ナイン:「脳内恋愛」ねぇ・・・。


●「モノ作りの生き方」→「消費の生き方」→「生き方の消滅」

Waterr:で、さっきの世代責任の話に戻るけどさ、自分のやっている消費と、自分の生き方を一体化させていたというのはさ、別に「良いこと」ではないんだよ。それだけを取れば。つまり、何かカルチャーが出来た時というのは必ず何かを「つくっている」じゃない? つくって世に出している。それによって世の中のあり方を変えていくという側面があると思うんだけど、その時には「自分のやっていること」と「自分の生き方」とが一緒になっている訳であって、「自分の消費」と「自分の生き方」が一緒だという事とは違う。俺はこの二つを分けたい。所が80年代にやっていた人たちというのは、まさに「自分のやっていることと自分の生き方を一致させる」というあり方から、「消費すること」と「自分の生き方」を一致させた人間だと思うんだよ。さらに90年代になるとそこから転換が行われて、「自分の生き方」すら無くなった。

ナイン:「生き方」が「消費」とすら結びつかなくなった。三段階あるわけだ。

Waterr:で、音楽やファッションに関して言えば、それはあくまで「輸入」だったんで、そもそも80年代世代は「作ってない」んだよ。

ナイン:そもそもさあ、60年代には「輸入」すらされてなかったからね。

Waterr:だから音楽で言えば、万人が同じ音楽を聴いていたんだよ。ビートルズローリングストーンズに全員が熱狂していた。

ナイン:万人というか「若者は全員」だよね。

Waterr:あ、そうだそうだ。で、せいぜいあったのはストーンズみたいなブリティッシュ・ソウルを聴く層と、オーティス・レディングみたいなソウルを聴く層という違いくらいだ。ブラックかホワイトかという区別があるくらいで、選べるモノがないから細分化する事もほとんど無かった。で、その「選び」の選択肢を一気に広げたのが80年代以降。

ナイン:そうなんだよねー。タワーレコード文化というか・・・。あのさあ、さらに遡って、「消費」と「自分のあり方」が結びつくさらにそれ以前の、「何かを作り出す」という事と「自分のあり方」が結びつくことは、おたく系カルチャーの初期、80年代にはあったのかなあ。

Waterr:「創作」だよね。俺は「モノ作り」だけを肯定できるものだと思ってるんだけど。それが文化の発生地点だというかね。

キール:あ〜、それは結構あったと思うよ。コミックマーケット自体の歴史は結構長いからね。コミケはかなり前からあって、最初はこぢんまりとした規模でさ、参加者も100〜200人くらいだったらしい。ヤマトとかガンダムとかの同人を出し合ってさ、内輪で話していて。

Waterr:コスプレはいつ頃から?

キール:コスプレは90年代後半かな。

ナイン:あ、全然最近じゃん。

キール:そうだなー、俺が中学に入るか入らないかくらいだな、マスコミにコスプレが出てきたのは。

Waterr:じゃあ俺はそうとうコアなコスプレを見たんだなあ。俺が高2の時(94 年?)だから。

キール:でもマスコミに取り上げられたのが97年くらいだから、その以前からあったとは思うよ。しかし、コスプレだって憧れの人の生き方や服装を真似するモノだからさ、音楽とかと大して変わらないよ。

Waterr:80年代後半のバンドブームの時にヴィジュアル系バンドの格好を真似ていた子たちと、やっている事は同じだよね。ていうかかなりやっている人たち被っているでしょ、ヴィジュアル系ゴスロリ、あと何だ・・・

ナイン:きっとあの頃、バンドの同人誌とかいっぱい出たんだろうね。

Waterr:ああ、出た出た。ヴィジュアル系はコスプレ元祖でしょ。日曜日に原宿駅前でコスプレして座っている子たち・・。


●企業(メジャー)がインディーズの真似をし始めた時代

ナイン:う〜ん、何だろうね。モノを売るためにモノの種類を企業がどんどん増やしていったということが、「カルチャーをつくること」と「自分のあり方」との結びつきを引きはがした大きな要因の一つだと思うんだけど、たぶんそれが80年代に全面化して、90年代にあらゆる領域を覆っていったと思う。

Waterr:「カルチャーを増やす」というのは要するに、「すでにあるモノを解釈して細分化する」ということだよね。自分で作るんじゃなくて。

キール:何だろう、俺の中の個人的な感じとしては、増やしていたのが普通のおたくやファン層の人たちで、それを企業とか資本が乗っ取ったという感じがするんだよね。

ナイン:おたく系カルチャーはそういう構図が一番わかりやすいのかもね。

Waterr:確かにそれは他のジャンルにはあまり見られないかもしれないなあ。

ナイン:でも、音楽のバンドブームとかインディーズって言われているものもそうだったんじゃない?

Waterr:いや、バンドブームは最初っから全てが用意されていたから。

ナイン:ああそうか、「インディー」って言われていたもののイメージやスタイルを全て資本が最初から用意した訳か・・・。

キール:用意かあ・・。おたくの場合、作っていたものを企業がそのままパクって使い始めたというか、「乗っ取った」というよりはその「属性」を使い始めたというかね。『二次元双葉』という『2ちゃんねる』みたいなお絵かき掲示板があって、そこに絵師とかの人が書き込んで色々なキャラを作り出していたんだよね。それをソフトバンク系列の「ネットランナー」という会社がキャラを無断で転用してアニメを作ったんだよ(笑)。それなんて思いっきり今まで企業がやってきたことの例だと思うんだよ。金儲けに利用することの。だから、企業は作ってないんだよ。作ったのはファンであって、企業はファンの作ったモノを属性化させて金儲けに利用しているというのが、おたくカルチャーに対する俺の見解かな。

ナイン:ちなみにそれが全面化したのは、企業がアマチュアのやり方を完璧に真似るようになったのは何年頃だと思う? こうなると出口が無くなるよね。

キール:それが全面化したのは・・・そうだねえ〜・・・。絵を描いていた人が企業相手に訴訟を出来なくて、それが出来るだけの金や力が無い奴は絵を描いちゃいけないという風に言い出し始めちゃったんだよね。「自分のキャラを守れない奴はキャラを作っちゃ行けない」とね。これは末期だな、と思ったよ。これは本気で先は短いなと。

Waterr:なるほどなあ。そういう乗っ取りの歴史は音楽の場合もう終わっていて、80年代以降とかは完全にメジャーがルートを作って、「アマチュア」とされている人間は全員メジャー予備軍みたいになった。ライブハウスが「ショーケース」で、それでスカウトの目に止まってデビューみたいなのが、全部準備されていて、その限りでの「アマチュア」なんだよ。

キール:そこはやっぱり歴史の差があるねぇ・・・

ナイン:という事はおたくカルチャーも音楽のようになっていく可能性はあると。

キール:いやだなーそれは・・・(苦笑)

ナイン:俺がタワーレコードとかHMVみたいなレコード屋を見ていて本当にすごいなと思うのは、それが資本に取り囲まれているということが全然分からないくらいに超細分化されていて、超アマチュアっぽくて、超多様で、何でもかんでも揃っている。だけど距離を置いてみればこれ全部資本がやっている事だよねって分かる。だけどそれは意識しなければ絶対に分からない! 

Waterr:「飲み込まれる」というのはそういう事だよね。つまり自分たちは自分でやっている、「アマチュアである」と思いこんでしまっていて、実際企業に飲み込まれていっていることが忘却されたら「完成型」だね。

ナイン:それで、『ゆず』の「路上デビュー」みたいな恐ろしい形態が出てきたりする訳だもんね。

Waterr:音楽なんて、その最高度の形態になっているからね。だからみんな、自分がどういう仕方で企業というか資本に乗っ取られているかという事を一切感知しないくらいに「自分自身がやっている」と思っているからね。例えばアマチュアバンドととかね。

ナイン:そう、そう。それは俺が本当に日本が嫌になってくる原因の一つ!

キール:病的だね、こうなってくると。


●おたく、音楽、ファッション……共通する「カウンターカルチャーの消滅」

Waterr:「インディーズ」とか「アマチュア」というのは一つの「商標」にすぎないんすよ。同人誌がある種の「商標」になるのと一緒かな。

キール:なるね、なるね。ていうか既に資本による囲い込みが始まっているからね。めぼしい同人作家には声をかけて自分たちの陣営に入れようという動きがあるよ。

Waterr:そこで入らずに踏ん張れる人はいるのかな?

キール:どうだろう。「上」を目指している人は結局はメジャー指向じゃん? それこそ片手間でやって趣味に特化している人でないと踏ん張れないと思うだよね。それで食っていこうとなるとメジャーに行っちゃうんだよね。

ナイン:「これでちゃんと食べていきたい」ということと、「より多くの人に作品を見てもらいたい」という二つの欲求がある気がしている。「より多くの人に見てもらいたい」という欲求自体は健全なものだと思うんだけど、日本の場合それが金と結びつかなきゃ不可能だとう所がどうにもキッツイ所なんだよね。

Waterr:それが一番問題だよね。

キール:そうそう、それ。『月姫』というマンガ/アニメの作者で『茄子きのこ』って人が居るんだけど、あの人の小説なんか最初同人で出したんだけど誰も読んでくれなかったんだよね。結局それで企業の力を使ってメジャーで出版したんだよ。資本使って宣伝しないと読んでもらえないから。

Waterr:まあ要するにいかに「宣伝するか」だからね。同じ作品があった時に、メジャーとマイナーの違いは宣伝費を使えるか使えないかだからね。クオリティ自体はそんなに変わらないから。あ、でも音楽の場合は機材の問題があるけど・・・。でもそこまで細かい音の質を云々している人って実はそんなに居なくて、インタビューとかを全部ひっくるめて宣伝費で、媒体露出度が高くなる。それじゃなくて自分で見つけていこうという人はそんなに多くないからさ。で、最終的な問題はさっきナインが言ったように「多くの人に知って欲しい」という欲求が資本をバックにつけるという仕方でなければ実現できないという点なんだよ。

ナイン:これぞ日本。

Waterr:これはザッツジャパンだよ(笑)。他の国でなぜそういう問題が起きないかというと、草の根のネットワークが強力なものがあるからなんだよ。

キール:ああ〜。

Waterr:だから必ずしもメジャー発想にならない。「多くの人に聴いて欲しい」というのがメジャーと直結しない。で、実際メジャーにならなくても音楽で食っていける。これ日本じゃ考えられないじゃん。日本では要するに二足のワラジを履くか、つまり仕事しながら趣味でやるか、あるいはメジャーに行くか、その二つしか選択肢がない。それをいかに壊すかというのが、俺なんかにとってはここ10年くらいの課題。

ナイン:まーファッションでもホントにそうでさ、すごくアマチュアで手作りっぽい作りの服があったとしても、その裏には『BEAMS』とか『UNITED ARROWS』が居たり、あるいはそういうアマチュアの方法論で何億円と稼いでしまった『A BATHING APE』の「NIGO」というデザイナーが、原宿に3億円くらいの豪邸を建てちゃったりしてね。たった5年くらいの稼ぎで。

Waterr:さっき行ったお店でさ、アマチュアの人のゲームがあったじゃない? あれで俺が思ったのは、音楽の場合日本で「インディーズ」と言われているものの半分以上は実際にはメジャーの傘下だから、実際には資本はメジャーが出してるんだよ。だけど一応「インディーズ」という名前を付ければそれが商標になるから。単に、例えば『トイズファクトリー』から出すんじゃなくて、トイズファクトリーの傘下に何か作って、そのインディーレーベルと名の付いているものは、「インディー叩き上げ」みたいな奴にオーナーをやらせる訳よ。例えばHI―STANDARDのレーベルとかをトイズファクトリーの傘下か何かに作って、「いかにもその人たちが自分で作り上げました」みたいな感じだけ出している。

ナイン:あの『PIZZA OF DEATH』ってそうなの?

Waterr:『PIZZA OF DEATH』はそうだよ。あれはトイズの傘下だから。

ナイン:ははは(笑)。例えば『PIZZA OF DEATH』で元ハイスタの横山剣が、タワレコのフリーペーパーでインタビューを受けている場所が下北沢だったりしてさ、微妙にインディーっぽさを感じさせる場所なんだよね。

Waterr:「身近」な感じをいかに作るかなんだよ。身近で、「隣の兄ちゃん」っぽさを残す。でもそれはあくまでメジャーの資本で「イメージ」を作っているだけだからさ。

ナイン:思い出した、そのタワレコのフリーペーパー読んでいたらさ、何か下北沢の小田急線の踏切で空くのを待っていたりする写真なんだよね。いかにも隣の兄ちゃんっぽい〜(笑)

Waterr:音楽は隣の兄ちゃん系がここ数年相当あるからさ。

キール:はぁ、そこまで行ってるんだね・・・。

Waterr:だから、「自己忘却」というのが激しい。つまりインディーズとかアマチュアとか言っても、自分たちがどういう意味で「アマチュア」なのかということを全然分かっていない。だから俺は「インディーズ」と「インディペンデント」は別だと言ってるんだけどね。「インディペンデント」がメジャーの傘下になるという事はありえないし、メジャーに行くためのステップ台に使うためのものでもない。

ナイン:おたく系カルチャーもあと20年? 10年? すごい早さだからあと10年くらいでそうなるか・・・。

Waterr:なんかね、話を聞く限りでは時間の問題という気がするけどね。 

キール:確かに・・・。

ナイン:俺は日本人がそこで踏ん張れるイメージが沸かないよ。金が無きゃ生きていけないから。

キール:同人の中ではかなりクオリティの高いゲームを作り出す『フランスパン』というサークルがあったんだけど、そのサークルが韓国のネットゲームというか資本に取り込まれちゃったんだよね。同人だから基本的に企業は乗ってこなかった筈なのに、大々的に、『グラビティ社』という韓国のネットゲーム系の会社、そこの作っている『ラグナロクオンライン』という同人なんだよね。本来だったら口も金も出さないはずだったんだけど、出すようになったんだよ。それが初めてかな、企業が本格的に同人を取り込み始めたのは。それで多分ここ数年そういうのが多くなり、良い同人は取り込まれていくと思う。


●「世の中に不満があるなら自分を変えろ」by『攻穀機動隊』

ナイン:それでどうしても話しておきたいのさ、さっき秋葉原駅前で見たIT産業ビルに一番良く表れているように、まさに今日本政府がおたく系カルチャーや映画のようなコンテンツ産業を日本経済のトップランナーにしようとしている訳だよね、あんな駅前にドカンとビルを建てて。それなんかまさに資本に取り込まれることの最たるものだと思うんだけど、まさにおたく系カルチャーが政策になっていくことに対して、今後おたくの人たちはどう受け止めていくんだろうね。

Waterr:そこに違和感を感じる世代がどんどん減っているというのがあるんだろうね。

キール:そうそう減っているんだよ、それに言っても聞かないから、もう言わなくなっちゃうんだよ。

ナイン:聞かないというのはさ、「だから何だよ」という感じ?

Waterr:いや〜それは俺音楽でめちゃくちゃ経験したぞ(笑)。

キール:今はね、それに関連して合言葉というか流行っている言葉が、「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目を閉じ耳を閉じ口をつぐんで孤独に生きろ」。

ナイン:ぶははははは(笑)。それ誰が言っているの?

キール:アニメのキャラクターのセリフ。そのセリフみたいなのが語録になっているの(笑)。

Waterr:うお〜それはウザいな〜(笑)

ナイン:超興味あるなそれは(笑)

キール:「世の中に不満があるなら自分を変えろ」で検索するといっぱい出てくるよ。

ナイン:それはさぁ、作っている人たちは皮肉で言っているのかな? それとも本心で言っているのかな?

キール:あー、もともと「世の中に不満があるなら自分を変えろ」ってのは、『ライ麦畑でつかまえて』に出てくるセリフなんだよ。そのセリフをそのまま使っているのが、体制側の人間なんだよね。つまり『攻穀機動隊』の主人公の草薙モト子という人で、その人は「公安9課」というテロリスト狩りの人なんだよ。そういう意味でも使ったんだろうけど、多分それ以外の意味もありそうなんだよね(笑)。『攻穀機動隊』はホント近年まれに見る良作だから。ものすごく高クオリティでね、あれは金儲けのためじゃなく「趣味」でやっているから金がバカバカつぎ込まれた。

ナイン:それは皮肉が効いているよなあ・・・。

キール:あと、その少佐のセリフでもう一つ印象的だったのは、ある発明家が自分の作った発明品に対して色々プログラムを組み、「これが私の発明品です」と公表しちゃったんだよね。彼は国営の開発者で名前を残せない筈だから、それは犯罪だった。だけど残しちゃうようなことをした彼に少佐が言った言葉が「それが体制に何かを受け渡した替わりに力を得た者の禍福だ」って。

Waterr&ナイン:かなり良く出来てんなあ。

キール:あれ見た時は「これ全部自分たちの事言ってるんだろうなあ」と思ったよ。

ナイン:そういう「自己言及性」ってかなりおたく業界の得意技だよね。

キール:あれはホント見て欲しいよ。あとは『プラネテス』って作品もね。


●使う言葉を少しずつ変えていくことの可能性

ナイン:う〜ん、これはWaterrから見れば、「これはかつて俺が経験したことだ」となる?

Waterr:「言っても聞かない」というのは単に「うるさいなー」というんじゃなくて、彼らは彼らでそれなりに理屈を持っているんだよ。つまり「自己回収」だからさ、「私はこのアーティストのこの音楽が好きなんだ」となる。「音に感動出来るか」どうかだけが問題になるのであれば、その言っている「インディー」という言葉がどういう仕方で歪をはらんでいるかは関係ない訳じゃん。「私はこの人が好きなの」で終わりだからさ(笑)

キール:あ〜それあるなー、それあるな・・・。

ナインそれは今あらゆるジャンルに見られそうだよね。

Waterr:そういう人に対してどういう風にものを言っていくのかは、彼/彼女が「私は好きなんだ」と言っているその事自体に対して決定的にダメージを与えるような言い方をしないと、全くすれ違って話にならない。ただ、俺は「そういう試みはもういいかな」って気がするんだよね(笑)。つまり、あるバンドが好きだと言うだけで、その人と何か共通点があると思った俺が間違いだったというかね。つまり「おたく」でも「パンク」でも、同音異義語かもしれないじゃん。言葉が同じなだけで、考えていることは全然違うかも知れない。

キール:そうそうそう、それ。「萌え」なんてまさにそうなんだよ。人それぞれで「萌え」の形は全然違うんだよね。例えば今手元にあるこのライターに萌えたとして、ある人はこの部分に萌えを感じたり、ある人はこの部分に萌えを感じたりするわけなんだよね。そういう違いみたいなものをうまくオブラートに包んだのが「萌え」という言葉なんだよ。

Waterr:すごく一般化しているよね。その意味では、俺自身に関して言えば「パンク」という記号に浸りすぎたという反省はある。もうちょっと違う言葉を使っていかないと、すごく狭い所でムダに苦労するなという感じがしていて、もう「パンク」という言葉は一切使わない、自分で言葉を作っていくしかない、と思っているけどね。

ナイン:「おたく」という言葉も今やそうなのかもね・・。

Waterr:つまり、ある種資本に飲み込まれて、それを名乗る事と自分がやっている事が「関係ない」という人が出てきた時点で、それは「死語」なんだよ。その言葉はもう使えないよ、と思う。

ナイン:なるほどねぇ・・。これをおたく系カルチャーに置き換えてみると、「おたく」であることをことさら意識しなくて済む子たちが出てきた時点で、ある意味それは「終わった」のかもしれないよね。

Waterr:そう、もし、なおそれにこだわるとしたら、少しずつ言葉を変えていく必要があると思うんだよね。

キール:「萌え」ももう死語になるよ・・(しんみり)

Waterr:それは「反戦運動系」でもそうだと思うんだよ。俺に言わせりゃ「平和」なんてとっくに死語で、もう誰もが肯定してしまっていて、その言葉と、それが何を意味していて何をすべきかということが一切関係ない、ただの「記号」になっている。そうなったら全然使えない。「平和」というのが戦争する理由になっている時代に、それをキーワードにして何かをするってのは、安直だけど思ったような効果を絶対生まない。

ナイン:うーむ。俺はその辺を意識して、今まで反戦・平和活動を共にしてきた人たちに「ブログに挙げた論文を読んでくれ」って言ってるんだけどね。あれも俺は今までの活動の延長線上で書いているつもりだから。(「Part3」に続く)

パート3 http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20050115 へ続く。