殺すこと/殺されることへの感度――2009年から2010年へ

19日のレポート。
★[CML 002391] 本日の緊急集会、在特会を圧倒して大成功!
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-December/002351.html
★ムキンポの忍者ブログ 遠吠えするレイシストたち@東京しごとセンター前 http://mkimpo.blog.shinobi.jp/Entry/889/

週刊読書人』で毎月すごい鋭い論壇時評を行っていた、明治学院大の若手研究者の石原俊さんhttp://www.meijigakuin.ac.jp/~soc/gakka/staff/s_ishihara.html
の「論調」が12月11日号で最終回を迎えた。そこに僕のことも引用されてて嬉しかった。中身も感動的だったので転載させてください、来年に向けて。石原さんありがとうございます!

★殺すこと/殺されることへの感度
――人権主義社会と恒久的派兵国家の途に進まないために

石原俊
先の総選挙における民衆党の大勝は、渡辺治が指摘するように、自公政権新自由主義的な「構造改革」によって破壊された生計や社会保障の再構築に期待する層と、自公政権にはできなかった「構造改革」のさらなる効率的な推進を期待する大都市中間層という、いっけん相反する層からの票が流れ込んだからである(「新自由主義転換期の日本と東京 変革の退行的構造を探る」『世界』12月号)。

たしかに民主党は今後も、後者の期待を背景に「壊れた自民党に代わる純粋新自由主義政権」への志向性を保持し続けるだろう(市田良彦政権交代の幻想」『情況』11月号)。他方で今回の政権交代は、非正規労働者ユニオンの運動、「反貧困」などを掲げる生存運動など、議会外からの広範な社会運動の圧力が存在しなければ実現しなかったことも確かである。

これらの反―新自由主義的運動体はかなり意識的に、民主党政権を成立させることで政策的要求を通そうとしてきた。これに対して、「在日特権を許さない市民の会」「外国人参政権に反対する会」など「行動する保守」を名乗る運動体を表舞台に登場させた草の根の人種主義的・排外主義的意識に支えられ、近年では自民党の中枢を占拠していた新保守主義勢力は、先の総選挙では議会内勢力を著しく減退させた。


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しかしながら、自称「行動する保守」に共感する人々の意識と、新政権側に投票した大多数の人々の反「構造改革」的な情動との間には、実はさほどの距離がないことに留意しよう。木下ちがやが論じるように、民衆党の選挙対策をとり仕切った小沢一郎氏は、冷戦秩序下の日本社会(像)への郷愁にうったえかける戦術で、とりわけ中高年や地方在住の旧中間層の反「構造改革」的な情動を得票に結びつけた(「<常識>の政治学 政権交代をめぐる『過去』と『現在』」『現代思想』10月号)

だがかれらが郷愁を抱く「平和」で「豊か」な「戦後」日本社会は、本連載でも繰り返し述べてきたように、朝鮮半島・台湾・沖縄などに冷戦の前線を押しつけつつ、国外からの「合法的」移住を遮断しながら、旧「大東亜共栄圏」各地を含むアジアへの経済「進出」を果たすことによって成り立ってきたのであり、しかもそのこと自体を忘れ続け、国民主義的で同質的・排他的な意識を再生産してきた社会であった。

このような同質性・排他性のなかで半世紀以上にわたって醸成されてきた、日本社会の無感覚と免疫のなさを甘くみてはならない。

だからわたしたちは今、次のように問うべきである。すでに部分的に開始された外国人労働者の「合法的」受け入れがもっと拡大した時点で、「構造改革」がもたらした諸問題が選挙の争点になっていたら、多くの有権者の反「構造改革」的な情動は、「貧困」転落への恐怖をテコとして外国人差別にいとも容易に回路づけられ、人種主義と排外主義を掲げる政治勢力の大幅な伸張をもたらしたのではないだろうか。

また今後も、右に述べた無感覚と免疫のなさが克服されないかぎり、外国人労働者の増加と比例して、人種主義と排外主義が恐るべき速度で日本社会を席巻するのではないだろうか。

そして、現在の日本社会における「平和」と「豊かさ」への郷愁のなかで、この無感覚と免疫のなさが最も深刻に表れているのが、この国が関与している戦場を想像するいとなみの欠如である。

先日、大内裕和氏と筆者が報告を担当した「WINC」の席で、フリーター全般労働組合共同代表の園良太氏は、最近の日本社会で自衛隊の海外派兵や参戦への違和感がどんどん減退していることに、深い危機感を示していた。池田五律が指摘するように、すでに6月の「海賊対処法」の成立によって、自衛隊の恒久的海外派兵と集団的自衛権の行使の一部は、なし崩し的に「合法化」されてしまった(「ソマリア『海賊』対処法とその後に来るもの」『ピープルズ・プラン』47号)。

自衛隊の「貧困ビジネス」化とその海外派兵の恒久化が同時進行している現在、日本社会で「貧困と戦争を」「構造的に貫通して捉える視点」(崔真碩「腑抜けの暴力」『悍』3号)の構築は喫緊の課題であるはずだ。「反戦と抵抗の祭」(今年は11月28日・29日に開催)に関与してきた園氏自身も、近著『フリーター労組の生存ハンドブック』(清水直子との共編著、大月書店)で同様の課題を強調している。


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“「[労働力として]売れる/売れないの分割は、殺す/殺されるの分割と地続きである」。こう喝破するのは、フリーターユニオン福岡執行委員長の小野俊彦である(「『フリーター』から『民衆』へ まだ見ぬわれわれへの生成法」『悍』同号)。さらに言えば、「売れないこと」(への予感)は、路上や戦場で「殺される」ことだけでなく、路上や戦場で「殺す」こととも地続きである。

「売れない」者が路上で「殺す」というさいに、昨年秋葉原でこれを実行に移した派遣労働者の「誰でもいいから殺したかった」という発話と、今年日本国家によって両親を退去させられた14歳のフィリピン国籍の少女が通う中学校の門前で、「犯罪外国人を日本から叩き出せ」と叫んだデモ隊の情動が、ともに見据えられねばならない。

また「殺す」ことには、自らを標的にすることも含まれる。わたしたちは今、「日本国内の年間自殺者3万人超」という状況と、イラクやインド洋から帰還した自衛隊員の自殺率の高さを、ひと続きのものとして受けとめねばならない。

今後の日本社会は、さらなる人種主義的社会へと進むのか、または外国人が<無理に同化しなくてもいい>社会へと進むのか。日本国家が恒久的派兵国家になることを許すのか、あるいは日本国家の戦争と植民地主義が東アジアにもたらしてきた暴力に真摯に向き合い、「いま殺されつつある者の声を感知」(小野前掲論文)し続けるのか。それは、私たちの殺すこと/殺されることへの感度にかかっている。

最後に、一年間おつきあいくださった読者に感謝したい。(いしはら・しゅん氏=明治学院大学教員・社会学専攻)