10月31日は本当に面白かった。この先のために。

(スイマセン、ブログへのコメントは後でレスします。
31日に行った「winc」という研究会がマジで刺激的でした。いやー研究会って大事ですよね、最近仕事と運動の現場だけに居たので。議論も出来て目を見開かされる思いだった。岩崎稔さん・成田龍一さんが主催でゲストは大内裕和、石原俊、木下ちがやの各氏。
http://blog.livedoor.jp/tufs/archives/50274049.html
現代思想10月号・特集・政権交代』を扱ったもの。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%C0%AF%B8%A2%B8%F2%C2%E5

民主党政権で何が変わるか」ではなく、「変わらない本質的な問題は何か」をハッキリさせ、広く伝えることが今こそ必要なのだ。今後に向けてフェスタに向けてすごい参考になったのでメモ:

大内さん:民主党は反貧困運動などの運動の力が生み出した面もあるので、そこはポジティブに捉えても良い。ただし今後の課題は大きい。

(1)新たな極右の台頭 外国人排斥右翼としての「在特会
(2)新自由主義・市場原理批判としての「ナショナリズム」(萱野俊人、カンサンジュン、小熊英二、果ては佐藤優
木下ちがや「<常識>の政治学」での重要な指摘
“こうした「自律」という文化的、社会的ほるいの存在可能性に目を閉ざす新自由主義批判は、国家、ナショナリズムそして<常識>の肯定へとただ引き寄せられていくのみだからである。」
ステイトとネーションを切り離すことの重要性。
(3)民主党構造改革批判の不十分さ
官対民の構図に基づく官への不信の強さ
現代における「公共性」の位置づけ
グローバルに行われている資本蓄積への根源的批判

新自由主義国家主義批判の思想的深化がより一層必要とされる。

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眼を見開かされた名文「<佐藤優現象>批判」
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html
金光翔さんのこの論文を読んだのは今年の初夏で、知るのが遅すぎたと思う。

そしてこの後の石原さんがとにかく面白かったです。『週間読書人』での論壇時評など。自分も頑張って文章書いていこうと思った!

そして知人によるイベントのお知らせ。
http://blog.livedoor.jp/hesalkun/archives/51741763.html

[お知らせ]フリーターの敵はだれか[東京でのイベント]
「大学教授や評論家とか、有名人がいないじゃん」という理由でジュンク堂に蹴られた企画。それは商売人としては当然の判断でしょう。ともかく、単にお偉いがたの説教を「消費」する人ではなく、一緒に考え、沈黙し、討議し、そして共に発言、行動するための言葉を模索している「友」たちが来てくれることを真に願います。


<以下イベント情報>
フリーターの敵はだれか
〜フリーター運動におけるアジア的抗争の可能性〜


 崔 真 碩(「野戦之月海筆子」役者、翻訳者)
 小野俊彦(フリーターユニオン福岡執行委員)
 植本展弘(noiz、『アナキズム』誌編集委員
     (司会 『悍』編集人 前田年昭)

日 時:2009年11月22日(日曜)17時30分〜20時30分
場 所:小石川後楽園涵徳亭 広間
 文京区後楽1(JR総武線飯田橋」東口、地下鉄東西線有楽町線南北線飯田橋」A1出口徒歩8分、大江戸線飯田橋」C3出口徒歩2分
 地図 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access030.html
参加費:500円
主催:『悍』編集委員会 協賛:『アナキズム』誌編集委員会

趣旨:2008年末の「派遣村」や『蟹工船』ブーム……、いっときの憐憫に満ちた過熱報道は冷め、格差社会批判は既に本質を隠蔽されたまま意味を消費されたかにも見える。他方で、自らの現実を直視できず、妬みや僻みを弱い者いじめで晴らそうとする右翼フリーター運動も生まれている。
 フリーター運動の敵はだれなのか。自らの生や労働を主体的に意味付けようとする「運動」の火種はどこにあるのか? プロレタリアートルンペンプロレタリアート労務者、自由労働者、等々からフリーター、プレカリアートまで、さまざまな名乗りの系譜がある。
 現在において、われわれは何者を名乗るのか? とりわけ、「格差社会」に批判的な元弁護士や元労働組合幹部が閣僚に名を連ね、「リベラル」とされる新政権に交代したいま、われわれの名乗りが真の民衆の名乗りとなる可能性はどこにあるのか? 民主党が以前から唱えていた「東アジア共同体」論は、資本の要求としての「人の移動」下における「国民」再編の一環ではないのか。右翼フリーター運動は敵味方を日本対反日に区分するが、金持対貧乏人あるいは優等生対劣等生、貴族的プロレタリアートルンペンプロレタリアートに敵味方を見るわれわれは、その日本とせめぎあってきた「アジア的抗争」としての抗日反日の歴史を再開すべきなのか。「日本資本主義」を破砕する道はどこにあるのだろうか?
 在野の批判精神復興をめざす思想誌『悍』第3号で互いに論議を呼び起こしている三人を囲んで語り合う。


【鼎談者紹介】
崔真碩(ちぇ・じんそく)
1973年ソウル生まれ。神奈川在住。翻訳者・役者・文学者。青山学院大学非常勤講師。「野戦之月海筆子」の役者。編訳書に『李箱作品集成』(作品社)、主な出演作に野戦之月海筆子『棄民サルプリ』(2009年10-11月東京)『変幻痂殻城』(2007年7月東京、9月北京)、主なエッセーに「影の東アジア」(『現代思想』2007年2月号)、「野戦之月海筆子になる」(『悍』第2号)「腑抜けの暴力」(『悍』第3号)など。

小野俊彦(おの・としひこ)
1974年北九州生まれ。九州大学大学院比較社会文化学府単位取得退学。大学院末期には朝鮮戦争期の北九州における港湾労働社会史を志すも諸事情により研究中座。2006年に誰でも一人でも不安定でも入れる労働/生存組合「フリーターユニオン福岡」を立ち上げ、現在同執行委員。エッセーに「「プレカリアート」に工作を」(『悍』第2号)「「フリーター」から「民衆」へ まだ見ぬわれわれへの生成法」(『悍』第3号)など。

植本展弘(うえもと・のぶひろ)
1973年神奈川生まれ。『アナキズム』誌編集委員フリーター全般労働組合員。反戦運動や合同労組の運動に合流するも現在は裏方で若干協力するていど。ひところ民衆史学徒を志したものの賃労働に流され現在にいたる。「暴民哭々 近代成立期民衆の〈公怨〉について」(『悍』第3号)のほか、noiz 名義での論文に「無縁の蜂起 規制を突破する一味同心」「「アナ/ボル」再論序説 津村同志の呼びかけに応えて」など。同名義での近刊に『アナ・ボル論争論序説』(北冬書房)。