とにかく見て欲しい、ガザの写真:http://www.elfarra.org/gallery/gaza.htm#

まだ何も終わってない、むしろいかにヒドイかが下記の文章に書いてあります。今までやっていなかったふつーの個人が「反戦に立ち上がること」。それが権力者が一番恐れてることであり、戦争を止める最大の力。彼・なかしーがやっているのはまさにそれだ、その突撃っぷりとエネルギーはマジすごいよ、手伝う人たちもみんな初めて。
立ちあがることの意味、今の戦争について、ぼくも話させてもらいます。みなさんぜひ来てください!
ガザ封鎖の解除を求めるweb署名:http://www.shomei.tv/project-433.html

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ナカシー怒りのパレスチナ

1月22日(木)OPNE 18:00〜 START19:00〜
会場:新大久保「Naked Loft」  http://www.loft-prj.co.jp/naked/
チャージフリー/要1drinkオーダー

黒煙垂れ流しのTV画面、そこには映らねえ現地からの地獄絵図。
これじゃー飯も食えねえセックスもデキねえ!
だらだら寝てミカン食って姫はじめの予定だったオレの正月を返せ!
ふざけるなイスラエルアメリカの政府ども!
そして何もできない腑抜けの日本政府、大手マスコミ。
突撃!お宅のパレスチナ政策。
聞いてやろうじゃねえか、どうしてくれるんだ?この戦争!!
事件は会議室で起きてるんじゃない!
俺達には何も出来ない?テメーで考えやがれ!
これはもう見るしかない。騒ぐしかない!
【出演】
増山麗奈反戦アート・パフォーマンス集団の桃色ゲリラの一員。 イラクでの反戦アート、『ロスジェネ』編集員など活動は多岐にわたる。 アートとエロスと育児がテーマのBLOG が人気。)http://www.renaart.com/
●園良太(憲法カフェ) (2002 年、20 歳のときにアフガン戦争・イラク戦争反対のムーヴメントに参加して以来、ストリート運動一筋。今はフリーターの労働 組合にも関わる。いつだって動き始めた個人が一番大事! )blog:http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/
●Gonzalez 栗原 (反戦非モテ活動家。あまりにモテない上にガザ空爆。 成り行き上今回はカメラを取った。)
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マイミクのナカシー君が今週木曜日、イベントをやります!
高円寺に住む彼は特に何者でもない普通の貧乏フリーター。(去年の「タダでモテる方法」という怪しいイベントの主人公だったが 笑)そんな彼が素人の乱の騒乱がキッカケでデモに行くようになり、
1/11の反虐殺デモに行き、シンンポジウムで知った現地の残虐さに怒りだした!そんな彼の一見無鉄砲にも見える突撃直訴ドキュメンタリーを見て何を感じるか?どうすりゃいいか?一緒に考えましょう!
桃色ゲリラの増山麗奈さんや若手アクティビストの園良太君も駆けつけます。シークレットのゲストやライヴも企み中。

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http://palestine-heiwa.org/news/200901180745.htm
「一方的戦闘行為停止」は「攻撃継続」に等しい Posted by:早尾 貴紀

イスラエルが、ハマスと停戦合意をすることなしに、一方的に戦闘行為を停止するという。
一刻も早く殺戮を止めなければならないことを考えれば停止することそのものは重要なことだ。しかし、スタッフノートでも繰り返してきたように 、問題は占領そのものである以上、何一つ「解決」などしていない。
占領があるところに抵抗が必ずある。イスラエルは抵抗を弾圧するために、何度でも武力行使をする。これが繰り返されてきた(イスラエルは「抵抗の弾圧」という構図を隠蔽するために、ハマスを挑発して反発を誘い、「報復」という口実を手にしているが)イスラエル軍が駐留を続け、封鎖も継続するというのは、見た目の戦闘行為の一時停止ということにすぎない。「停戦」などではけっしてなく、「攻撃の継続」「軍事行動の継続」にほかならない。
しかも、「一方的」というのは、いつでも「一方的」に戦闘行為を再開するということであり、また、05年の「一方的撤退」という一方的措置がその後の混乱を生んだという事実も忘れてはならない。
問題はイスラエルパレスチナ「占領」だということは、戦闘停止が戦略的に宣伝されているいまこそ、繰り返しておく必要がある。

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「停戦」、あるいは「一方的」という言葉は何を指すのか。
清水愛

 2009年1月18日

イスラエル「一方的な停戦」が伝えられました。すでに新聞等の報道で知った方も多いと思います。朝、BBCのウェブニュースを読んでいるときに、一番最初に目に入ったもの。それは、ガザ南部のラファの写真でした。破壊されて、廃墟となってしまったラファ。すぐさま、明日の授業で学生たちに見せるために、ダウンロードしました。3週間にわたる激しい空爆や砲撃のなかで、ガザは再び(いや、再び、再び、再び・・・)「グラウンド・ゼロ」になってしまいました。
ガザ住民を一方的に責め続け、生身の身体をミサイルで粉々にし、生活空間を破壊しつくし、これ以上の血と涙が出ないほど惨い攻撃をしたあとに、イスラエルは何一つ譲歩せず、「一方的停戦」を勝手に宣言。その内容とは、イスラエル軍が「停戦」の名のもとで、ガザに地上軍を残すというもの。こんなもの、許されるはずがない。殺人マシーンがそのまま居残るということなど。封鎖が続くということ。筆舌に尽くしがたい地獄を経験させられたあと(いや、今もしている)もなお、形を変え、パレスチナ人を支配する。ガザ住民にとっては、そんなもの屈辱以外なにものでもありません。
ハマースは交渉を拒絶しているわけではありません。交渉の条件として、占領の終結を訴えているのです。占領下・支配下にあって、どうして、その支配者と交渉ができるというのでしょうか。一切の耳を傾けないのがイスラエルの方なのです。拒否しているのは占領者・支配者であるイスラエルなのです。「一方的撤退」というのはそういう意味です。支配下においている者の声は一切聞かない、という通告です。
三週間におよぶ激しい爆撃の下で、ガザ住民は持てる最後の尊厳をもって、団結し、生きのびようとしてきました。生きのびることが、残された彼・彼女たちの闘いでした。ガザの住民の68%が1948年のイスラエルの建国の過程で、パレスチナの豊かなコミュニティを育んできた故郷を喪失した難民です。それらの人々を含むガザ住民は、一年以上にもわたって封鎖されてきた空間―それはまさしく「野外監獄」です―で世界の目があるはずのなかで、殺され続け、あるいは残された最後の可能性を探して避難しようとするなか、ミサイルの雨を落とされ続けたのです。そして、残された人々は、これからもイスラエルによって支配され続けるというのです。
自分をのぞいて家族の誰一人も残っていない男性の叫び。子どもたち全員を殺され、半狂乱になっている親たち。同僚たちが殺され、遺体が地面に転がっているなか、生きのびた男性が放心した顔で「神は偉大なり」と言い続けている姿。
これらは、世界が許した戦争犯罪でした。ガザ住民は<私たち>を許してはくれないでしょう。許せるはずがありません。
ガザは、私に「人間であることの恥」を教えてくれた土地でした。2000年に初めてガザを訪問した私は、占領がガザ住民に与え続けているむき出しの暴力を目にしたとき、人間が人間に対して行っているあまりの残酷さに声をうしないそうになりました。砂の一粒一粒にすら、占領の暴力が刻まれている、そう思わせた土地でした。人間は理性など持ち得ていない、と確信させた地でした。それから9年の間、ガザの状況は悪化するばかりでした。2000年がまだましだったと言えるほどに。
マス・メディアの多くは、「一方的停戦」をポジティブに報道しています。なぜ、内実を見ないのでしょうか。なぜ、イスラエルによる国家テロを批判しないのでしょうか。イスラエルのメディア戦略に、わざわざだまされてあげるのでしょうか。三週間、留まることなく進行し続けたエスニック・クレンジングをなぜ批判できないのでしょうか。答えは簡単です。そうしないことを「恥」
だと感じないからでしょう。「一方的」という言葉を聞くと、2005年のことを思い出します。イスラエルはポーズとして、「ガザから入植地を撤退」させました。
あのときも「一方的撤退」という言葉が使われたでしょう。その後のガザは、徐々に徐々に封鎖され、2006年のパレスチナ評議会の選挙でハマース(イスラーム抵抗運動)が勝利し政権についたあと、欧米諸国(日本も含む)がハマース政権に制裁を加えただけでなく、猫の額ほどしかない小さな小さなガザが封鎖されたのです。パレスチナ人が民主的な手段を行使したことに対する罰として。
自分たちが気に入らない政党が選挙で民主的に選ばれると制裁を加え、その一方で、「中東唯一の民主国家」等といいながら、イスラエルを擁護する。イスラエルは「民主的な国」。そうかもしれない。では、誰にとって民主的だというのでしょう。それはイスラエルユダヤ人に対してのみです。イスラエルの占領下にあるパレスチナ人は、あるいはイスラエル国籍を持つものの二級市民扱いをされているイスラエルパレスチナ人は、それを権利として行使することすらできません。
今回の攻撃で、ガザの人々は何もかも破壊され、命を奪われ、これ以上の地獄はないというほどの醜い状況を一方的に押しつけられた挙げ句、要求は何一つ受け入れられなかったのです。「一方的」という言葉を使うべきところは、ここにあるのではないでしょうか。
長文を読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

清末愛砂 拝

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