12/13『軍の廃止 日韓ともに展望しうるか』で話したレジュメです

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・2002年から反戦運動に参加。ぼくは20歳のときに9.11があり、その後イラク戦争。そして就職活動をしていた時に「ニート」「格差社会」が盛り上がり、卒業後フリーターをしてた時期もそれが続いた。この2000年代を代表する出来事が一番多感な時期にあり、それに運動で向き合っていた者としてお話しします。
1:2つの戦争と反戦運動
徴兵制のある韓国と違い、日本で軍隊や戦争に反対するといえば、まず国策として自衛隊が海外の戦場に送られることに反対することだった。アフガン戦争とイラク戦争により、それがグッと身近になった。
まずアフガン戦争でイージス艦がインド洋に派遣された。→報復攻撃に反対。
→「ワールドピースナウ」の説明。イラク戦争に反対で03年3月に4〜5万人集まる。日本の協力、イラク派兵にも反対。
→「サウンドデモ」の登場。イラク戦争、派兵、弾圧に反対。路上開放。04年まで回数を重ね、その後も全国に広がる。
しかし、ワールドピースナウはその後盛り下がり、イラクへの関心の低下や「北朝鮮が攻めてきたらどうする」論が出てくる。そして陸上&航空自衛隊は戦後初の戦場派兵。
04年・イラク人質「自己責任論」→「NGOや市民運動より自衛隊が有効だ」という論調
(その後、日米軍事再編の方は本格化していく。米軍と自衛隊の一体化)

2:「憲法カフェ」(特に自分が深く関わったもの)
その後、2006年に教育基本法が改悪、07年に「改憲のための国民投票法案」成立。
→「憲法カフェ」を立ち上げる。最短で2010年の国民投票法案施行までに、改憲に反対し世論を盛り上げる時限プロジェクト。
→関心の低まった「戦争」にどこからアプローチするか? 07年11月「格差×戦争」
アメリカで、貧困層が職や資格や「承認」を求めて軍隊へリクルートされ、弱い者がより弱い者を殺していく現状を伝えた。
日本でもそうなりつつある。
08年9月「生きづらい日本×殺されるイラク
貧困問題が深まりますます生きづらくなる日本と、遠いイラクの戦争民営化などの根がつながっていることを伝えた。

3:日本における格差・貧困問題の盛り上がり。ナショナリズム
?イラク戦争自衛隊派兵に対する関心が盛り下がってから、格差・貧困問題が注目される。
→フリーターの労働運動の台頭→「フリーター全般労働組合」に参加、08年「自由と生存のメーデー08 プレカリアートは増殖/連結する」は1000人参加、全国に広がる。
?90年代後半・小林よしのり以降、ナショナリズムの盛り上がり。
→それは自衛隊の浮上にも関係している。「愛国心」、北朝鮮バッシング、靖国参拝…。
→07年「希望は、戦争」赤木智弘。フリーターのままでは希望が無いので、戦争になって社会が流動化したほうがいい。背景には日本の地方の閉塞感など。
→07年「反戦と抵抗のフェスタ07 生きのびる」、ゲストに赤木智弘で討論。

4:戦争責任、世界恐慌と「フェスタ08」
08年、日米ともに選挙と「政権交代か」と言われる。自民党は選挙を経ずに3代連続の首相。
→「アフガン・イラクの戦争責任、派兵責任はどこに行った?」それを問い直すこと。
→同時に、世界恐慌になっている。成長の見込める分野としての兵器製造・輸出の増加、軍事基地に頼っていく地方経済…。日本がアメリカのような戦争経済に向かうかどうかの瀬戸際だ。
→首相の責任を問いに行こうとしたプレ企画「リアリティツアー2・麻生首相のお宅拝見」が弾圧、3名逮捕。→責任を問われることへの恐れ。
それでも、「フェスタ」は屋内イベントとサウンドデモをやり遂げた。

→恐慌の影で、12月12日、またしても「新テロ特措法」成立。アフガンで戦争に協力し続ける自衛隊
いつまで日米軍事同盟を続けるのか? その先には、憲法9条改憲

では私たちに何をしていけるかは、後半のディスカッションで話したいと思います。