園良太のブログ(3/11原発事故避難者/人民新聞/2002年から社会運動

更新再開。1981年東京生まれ・関西在住。社会変革を目指し続ける原発事故避難者です。

【書評を書きました】社会を変えたい全ての人へ 酒井隆史新著『スネーク・ピープルージグザグデモ、あるいは戦術の系譜』

【書評を書きました】社会を変えたい全ての人へ
酒井隆史新著『スネーク・ピープルージグザグデモ、あるいは戦術の系譜』
 本書は世の中を変えたい、運動を前進させたい、実際に拡大した時にどうすればいいかを知りたい全ての人に必読だ。
 他国でゼネストや道全体を封鎖するデモを目にし、凄いけど日本じゃ無理だなと思う現状がよくあるだろう。せめてデモで横に広がるなどの事をすると、警察だけでなく身内からも「過激、無意味、危ない」などと諌められる経験もよくあるだろう(諌める人も多いだろう)。
本書は、これは重大な事であり、なぜそうなったのかに答えてくれる。人民の社会運動の発展や衰退こそ、歴史を作ると考えるならば、それは日本の戦後史そのものだ。
 ジグザグデモとは、今の直線的なデモと違い、全員が隣と両腕を組み、ジグザグに「蛇行」して道全体を埋めて進むデモだ。1930年ごろには始まり、襲い掛かる警察にデモをバラバラにされないための防衛という目的は大きかった。
そこに交通を止める戦術や、個々人の本気の怒りを発露する攻勢的な目的も増え、1950年代まで蛇行する人々「スネーク・ピープル」が増大した。
 他にも「へたり込み=座り込み」「洗濯デモ」「すり鉢デモ」や、戦後最大の争議=1960年の三井三池闘争での多種多様な「戦術」を、当時の迫力ある詩や写真も交えて系譜的に紹介する。先達の豊かな言動を知り、今の私たちにもこれだけの可能性があると勇気付けられる。
 さらに松田政男、植谷雄高、谷川雁ら戦後史に残る左翼/思想家らが、これらの直接行動を類型化し、発展系や限界を思想的に提示している。これは今読んでもとても面白く参考になる。
これらが「戦術の自律性」だ。本書の大きな意義をぜひ読んでほしい。
 ジグザグデモは1960年の、戦後最大の運動=な日米安保反対闘争でピークを迎える。だがこの過程で、「身内からも諌められる」。共産党が前から対立をはらんでいたジグザグデモや実行者に、機関紙などで「過激、無意味、危ない、挑発者」と激しく批判しだした。
ジグザグに果敢な全学連が国会に突入した時も、その過程で学生の樺美智子が機動隊に殺された時も同様だった。
 さらに日々万単位が国会デモに押し寄せる中、全体をまとめる「国民会議」は、社会・共産党員や労働者などのデモ本体が、ジグザグや国会突入を試みる全学連のデモに合流しないように誘導してしまった。
戦後最大の人数で国会へ直接行動を行なうという、ピープル・パワーの最大の発露は、実現されなかった。
 こうして運動は決定打を欠き、日米安保参議院で自然成立した。軍事同盟は今に至るまで延々拡大した。全学連は左派政党と決別し「新左翼」の道を進み、ジグザグデモは激減した。81年生まれの私もほぼジグザグ経験がなかった。
★同じ失敗繰り返さない
 本書の第二の意義は、こうしたジグザグ戦術の発展に対する、「戦略」を重視する立場からの疑義・批判(さらに反批判)も、詳しく併記したことだ。なぜか? 著者は、運動の高揚時にいつも上記の不毛な批判や失敗が起きることを止めたいからだ。
 戦略とは、現場で例えれば「○○法案阻止とその段取りや、取り組む自団体の継続と拡大が大事だ。デモは穏健に済まして一般市民を増やし、明日以降にも備えよう」ということ。
対して戦術とは、「デモが幹線道路を封鎖する、国会に近づきマヒさせるなど、行動自体に無限の力も多彩な手法もある。今それを追求しよう」ということ。そこに「私のやり場のない思いを直接的にぶつけたい!」という、参加の重要な動機も加わるだろう。
 実際は両者は状況次第で混ざり合う事も多い。戦略も大事だ。だが戦略重視の団体幹部などが、戦術追求に対して「お前らのせいで目的が台無しだ」「警察と無駄に対立し、市民が引いてる」と批判する事が、逆からよりもかなり多い。
そして行動全体と切り離し、不参加を呼びかけ、孤立したデモは弾圧され、掴み取った「戦術」は継承されない。政府や警察の「デモは迷惑」論と無自覚に通底してしまう(権力の内面化)。
 この構図は2003年のイラク反戦、3・11後の反原発運動、2015年の反戦争法案で繰り返され拡大した。著者は前著『賢人と奴隷とバカ』で、日本社会の誰もが権力を内面化する2010年代とリンクする事を詳述した。
15年も阻止行動のピーク時に、国会前最前線で体を張る13人が弾圧され、その時間帯の主催者は過激派だ・無関係だと批判した。そして法案成立直後に「野党は共闘!来年の選挙に行こうよ」コールへ切り替わった。それを呆然と聞いていた人も多かった。
 こうして60年安保同様に、車道を突破・解放し、国会に近ずきマヒさせるなどの「戦術」は、議会政治や党勢拡大の「戦略」に従属した。
「戦略」面でも、権利を勝ち取り実現した国会前車道や街頭の解放的な路上大集会が、選挙候補者の応援時(=法で保証されてる)にしかできなくなる状態に変化した。
また、○○法案反対のスケジュール闘争と、特に国会前では偉い人の話を聞くばかりに戻った。
だが本来話を聞いている人全員にこそ能動的力があり、その象徴がジグザグだ。
野党共闘という「戦略」がほぼ終焉した今こそ、本書と『賢人~』の併読をぜひ。
 なお本書はもう一つのジグザグ潰しは、60年に警察が制定した「公安条例」だと批判する。ジグザグ禁止、縦3列で歩け、デモの事前届出制、機動隊によるデモのサンドイッチ規制だ。私も仲間と10年前まで、公安条例違憲、廃止を求めて「麻生邸リアリティツアー弾圧国賠訴訟」を闘い負けた。だが、廃止は必須だ。
 最後に。穏健/過激、団体/個人、戦略/戦術は、よく思われがちな二項対立ではない。著者はそれらを試行錯誤で横断・超越する「運動の組織化」(294~6頁)や、「戦術の多様性」(359~370頁)こそ、最重要課題だという(ここでの多国の事例がとても参考になる)。
強く同感だ。まさに議論と行動の始まりにしたい一冊だ。
『スネーク・ピープル――ジグザグデモ、あるいは戦術の系譜』
酒井隆史・著/洛北出版/四六版/414頁/2,800円+税/8月25日刊行

僕はこの間どうしていたか――闘病生活でつかみ取った命と変革

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皆さんお久しぶりです。数年前から、特にここ1、2年、疲れや頭痛で寝込む時間が増えました。不調は「起き上がってる時に頭痛がし続けて、止める方法がなく、また寝込むしかない」という状態に集約されました。

もう限界の中、「脳脊髄液漏出症」という難病に近い診断をされ、2回の手術をしました。それでも治らないから実家に帰った。時間経過を待ち、様々に生活改善し、新たに頭痛そのものの治療に通う中で、ようやく回復して来ました。

その過程で自分の不調を、3.11福島原発事故の被ばく被害の深化と結びつけて考え、街頭や官邸前でアピールをしました。動画をぜひ:https://x.gd/42ZLZ

そして自分の闘病・問題の本質・新たな被ばく者や避難者とは何か・社会/反原発運動への提言を書きました。苦闘の中で掴み取ったものを、時間のある時にどうかじっくり読んで下さい。

 

 

1:まず、私たちの全体状況。

 
①史上最悪の原発事故のため、「原子力緊急事態宣言」が今も発令中。これは戦争状態の宣言である。
 
普通に生活が営まれ、個別課題の社会運動もたくさんあるが、そもそも私達は、常に戦争下で爆弾が降り注ぐ中に、14年間住んでいるという事。
事故直後は、社会運動もこの状況を前提にした上で、個別の問題に発言や対抗をしていた。その習慣がなくなった。
また政府も、原発事故を終わったことにする事を基点に、様々な悪法(情報統制の秘密保護法など)を通してきた。
 
②では、14年間の爆弾とは何か? 9月にメルカリで売られていた、茨城県産乾燥キノコの放射能セシウム)が、1キロ当たり1万5755ベクレルだと発覚した。https://www.tokyo-np.co.jp/article/443157?rct=ibaraki  
事故後に勝手に国が引き上げた基準値は1キロ100ベクレルだが、事故前の基準値的なものは、そもそも1ベクレル以下だった。
 
つまり私達は日本中で、事故前の何と1万5755倍超の放射能が入った食品などを、食べてきた事になる。
放射能は最大級の毒物であり、どんなにわずかでも体内に入れば、どんな病気でも引き起こす事は、広島・長崎・チェルノブイリで証明されている。
 
③そして何よりも、爆発崩壊した福島原発は毎日放射能を出し続けてる。私達自身と、空気・土・水という生きる土台に降り注ぐ。
その結果福島と、福島と平野でつながる南東北から首都圏までの、約5千万人もが被ばくし続けている。さらに今も首都圏の人口は増え続けている。
 
④約5千万人は誇張ではなく事実。病気や死者が、激増しないわけがない(福島の子ども甲状腺がんから、東京にいた僕の不整脈や、「脳脊髄液漏出症」などと呼ばれる難病的な頭痛まで)。
 
僕は避難後も東西を行き来し、健康被害の聞き取りを続けたが、福島〜首都圏の方がはるかに病者や死者が多いのだ。
 
これは、人類史上空前の殺りくと人体実験だろう。
 
⑤さらに空前なのは、加害者の国・東電だけでなく、被害者の住民も、事故と被ばくを忘れたりなかったことにしている事だ。
 
考え続けると辛いから大丈夫だと思おう。避難は不要/大変すぎるよ。自分の病気は年だからだろう。あまり強調すると福島差別になるよね。老人や農家の土地への愛着を思え。電力消費地の関東は、福島を支援する立場であり加害者…。等々。
 
善意からでも、これは責任を逃れたい加害者の言動に、被害者も(自ら)包みこまれてしまったことになる。
加害者達は、住民が放射能との共存を選んだように見せかける「エートス」運動で、そうなるように仕向けた。
そして、私達は段々自他の体調不良や突然死に慣れてしまうのだ。何よりも未来のある子ども、若者たちが無視や犠牲にされながら⋯。
 
これは、チェルノブイリ原発事故後にウクライナの首都キエフの住民にも起きた現象だ。社会を歪みに歪ませ、大量の病者死者を生んでしまった。
だが日本の首都圏はより人数も忘却も大規模なため、社会の歪みも病者死者もより空前になっているのだ。 
 
こうして政府の放射能からの避難・防護政策も、要求する社会運動も、ほぼ皆無になった。「戦争と爆弾」は意識下から消えてしまった(最も「消された」のは福島原発の収束労働者だろう)。
 
それはなぜか。私達が誰も経験していない事態が起きた。つまり放射能問題という自然科学と、それを隠す国・社会の問題という人文社会科学の、両方をクロスさせねばらないない。そうして「全力で考えながら行動」しなければ、対処できない問題になったからだ。
 
⑥日本中で原発再稼動をしている。国は次の事故が起きる前提でいるし、実際このままでは起きる。
 
上記の戦争と爆弾は再び、より酷く繰り返されるし、何より国はもう誰一人避難をさせないと決意している。西日本も北日本もみんな当事者であり、逃げ場は無い。
 
⑦だが、私達にはどんな困難も変える力がある。運動と世論で事故翌年に全原発を止めたからだ。
 
また、国の被ばく安全論を嘘だと無視して全国に避難した避難者の、自律的な判断力と行動力も、既成秩序をひっくり返すものだった。
僕も、事故被害が拡大する新たな状況を何とか変えたいから、自分の病気と被ばくを積極的に結びつけている。あまりに結びつける人が少ないので。
 
権力者が原発・被ばくを止めないのは、核保有力を持ちたいだけではない。何よりもこうした私達のピープルパワーを恐れ、定着させたくないという理由が一番大きいと思う。
 
以上、書いた現状認識は、いつでも何度でも深く皆と話し合いたい。
 
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2:本題、自分の闘病と避難から見えたことです。
 
僕は全く病歴がなく、健康そのものだった。だが15年に突然心臓の不整脈になって何度も倒れた。これは311被ばくの影響があると思い、国に殺される訳にいかないから大阪に避難した。
 
避難者仲間らと、「ゴーウエスト」などの避難政策の要求・被ばく周知活動をした。https://www.gowest-comewest.net/
新たな病気になっても、回復・復活の過程で被ばくと結びつけて告発し始めた
(僕は長く社会運動をしてきた無理やストレスが、心臓や神経に来た面ももちろんある。だが放射能は、生物のそうした弱い部分こそより痛めつけるものでもあるのだ)。
 
だが、今回僕自身もついに、多くの東日本住民と同じく「避難は大変すぎる」や「考え続けると辛い」と思ってしまった。
今年の闘病生活の途中から、東京の実家に戻っているからです。だから動画の官邸前抗議などに行きました。
もちろん1回目の避難の前も後も似たように思っていた。だが2回目の今回は闘病しながらだから次元が違ったのだ。
 
今回、2回の手術後も、「起き上がったら即強い頭痛で動けない」「ずっと続く」「また横になる以外止める方法なし」「酷い時は寝てても激痛になる」という病状が続いた。寝込み続けるしかなくなった。
一人暮らしでは本当に何もできなくなり、死が頭をよぎり、東京の両親に頼るしかなくなったからだ。
 
実家で大きな生活支援をしてくれた両親には、大感謝しかないし、僕は恵まれていた(両親は被ばくの危険性は理解しつつ、高齢のため実家を選んでいる)。
この年で70代の両親に…申し訳ない…とか、「漏出症」の手術をしたのに治らない、真の原因や治療法は何なんだ…とか、様々な苦悩も抱いた。
 
何より東京に戻れば、当然全てのものから放射能と接する。安全な食品や飲料水を選ぶ、必ずマスクをする、雨には当たらないなどしか、できない。
 
僕はそれ以外のほぼ全てと放射能との関係を、闘病生活が予想以上に長くなったため、次第に考えないようになった。考えないことに慣れていった。そうでないと、逃げ場のなさに精神が崩壊するからだ。
東日本のみんなも、こうして今の状態になったのだろう(避難前にもそれはわかってはいた)。
 
病気になって避難し、被ばくの危険と避難の必要性を訴え続けてきた僕でも、再び東に滞在し続けているとそうなるのだから。
 
そして、病状が回復と悪化を繰り返したため、帰阪の希望をいったん棚上げした頃。同時に「帰阪=再避難は大変すぎる」とも思ってしまった。
病気が治る見込みがないまま一人暮らしに戻る。健康面、経済面、心理面。あらゆる負担が倍加し、孤立し、見通せない。大変すぎるからだ。
 
そこに、逆からの決定打が来た。福島で多くの病者死者を見てきた友人に、電話で言われた。「頭痛が全然治らず、難病化してるのは、東京での闘病生活で被ばくしている事も影響してるんじゃないの?――」
 
ああ、ついに言われてしまった。それは充分ありうる。僕の中の自覚と矛盾は極まった。避難後の僕は、ゴーウエストで「重い病気になったら被ばく地で治療する事になる。それでは被ばくも作用して治らない。病気のため移動も困難。重病になる前に避難しよう」とアピールしてきたからだ。
 
今、まさに僕がその状態じゃないか。「被ばくを考え続けると辛い」「避難は大変すぎる(特に2度目は)」と思いながら、被ばく地で治療してるじゃないか。
ネットに東京にいることを書かなかった。それは、矛盾することが辛いのと、東京はもう安心と誤解されたくなかったからなどです(見られ方を気にする自分の弱さも痛感した)。
 
厳しい現実をいきなり自覚する事は、人に混乱と葛藤をもたらす。僕もそうなった。「どうすりゃいいか分からないよ、方策がないよ、ああまだ頭痛がする――」
 
だが、やはり病気根治のためには、そして自分の生き方を貫くには、帰阪という「2回目の避難=再避難」が必要ではないか。そのためには何が必要かを必死に考え、実行し始めた。そしてこれは公害なのだから、社会化するために動画の話もさせてもらったのだった。
 
同時に闘病が実って、ようやく病気の全体像がわかり、対処して、回復していったのだった。
 
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3.私達は何ができるか、何をさせればいいか
 
自分の事を長々書いてるのは、問題を可視化し、自分だけでなく莫大な被害者とその拡大を止めたいからです。
 
僕は、これまでの事態と新しい事態の、両方を経験したと思います。
まず、僕の闘病経験は、多数の人の経験でもあるはずだ。
 
フェイスブックの動画でも話しているが、原因がわからず名前もつけられないような病気で苦しむ人が、本当に多い。だから病院回りが増え、東京の様々な病院が予約で充満していることも見聞きした。大病も同じ。この間ずっとそうだっただろう。
 
だが、被ばくには10年後、15年後と後になって本格化する被害がある。ガンなどの大病も、僕のような生活困難症状も、今と今後、新たに激増していくのだ。必ず早急な対策が必要だ。
 
そして、最大の放射能防護策である、東日本からの避難。
1回目の避難をした皆も自分も、色々犠牲にしつつも、初期の危機感と体力気力で乗り切った。
 
だが今まで避難しなかった人や、今の僕のような再避難は、「どうすりゃいいか分からないよ、大変すぎて方策がないよ」と思って当然だろう。特に約10年ぶりに再避難の検討をする人を、僕は知らない。新たな事態ではないだろうか。
 
だが原発事故が半永久に続く以上、新たな避難者も再避難者も出続ける。しかも僕のように闘病と避難を同時に考えざるをえなくなる。必ず早急な対策が必要だ。
 
個々の努力も大事だ。
僕は今回困難をより実感した上で、それでも皆に被ばくの危険と避難の必要性を訴えたい。
そして全国の市民も、保養を受け入れるキャンプを本当に頑張ってきた。
 
ただ、これらは限度がある。社会問題には、私達の集団的対処や、国・自治体を動かす事が欠かせない。
 
僕は「病気のまま一人暮らしに戻る。健康面、経済面、心理面、場所。あらゆる負担が倍加し、孤立し、見通せない。大変すぎるからだ。」と書いた。
 
これが、一緒に避難する家族や友人知人が何人もいて、孤立せずに済んだら? 経済面や医療面のサポートがちゃんとあり、先を見通して生きていけると思えたら? 避難先で再出発ができるだろう。親の介護などのため、避難元へ無念の思いで帰る人も減るだろう。
 
これは、夢物語ではない。3.11直後に福島県双葉町が実際にやったことだ。何と「町ごとみんな」が埼玉県の学校に避難したのだ。
闘う井戸川町長のもと、自治体機能もそこで維持。僕も子ども向け演劇の支援に行ったものだ。工場建設=仕事作りの計画もあった。国もマスコミもまだそれを「福島差別」などと叩かなかった。
 
また、他にも強制/準避難区域が設けられた。範囲の少なさや補償の区切り方に大きな問題はあるものの、国の政策で避難を実行した。
 
そして、自主避難者に対しても受け入れ先は積極的だった。京都府福島県と連携していたので積極的に公営住宅に避難者を受け入れ、大阪市は支営住宅を開放した。その時の避難者は、今も避難者裁判を頑張っている。
 
他にも様々な公的支援がまだあった。12年6月には、避難の権利を保障する「子ども・被災者支援法」が全会一致で可決された。これらこそが「避難政策」だ。
 
だがその後、避難政策は全て潰された。避難者は風評被害者だと猛攻撃された。住民を逃がしたくない福島県と、事故を完全に終わったことにしたい安倍政権のせいで。これが私達が被ばくと忘却を受け入れさせられる、最大の理由だ。
 
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最後に…社会運動、反原発運動への提言
 
事態のフェーズは移っている。様々な運動に取り組む皆さんには、本文冒頭に戻った上で、運動を作っていただきたい。
 
「普通に生活が営まれ、個別課題の社会運動もたくさんあるが、そもそも私達は、常に戦争下で爆弾が降り注ぐ中に、14年間住んでいるという事。
事故直後は、社会運動もこの状況を前提にした上で、個別の問題に発言や対抗をしていた。その習慣がなくなった。
また政府も3.11を無かった事にすることを基点に、様々な悪法(情報統制の秘密保護法など)を通してきた。」
 
運動は日々本当に大変ですよね。でもこの習慣を復活させないと、悪政とのモグラ叩きだけが続くし、数少ない活動家が次々と病に倒れていくからです。
 
次に、反原発運動の皆さんへ。運動の高揚は福島原発事故があったからです。でもその後の福島の被ばく隠しの事態を、運動はきちんと問題化できているでしょうか?
 
「各地の原発に反対し、次の事故を防ぐ」事がメインになってますよね。その事と、福島や周辺の被害が正確に結び付けられている運動を、僕はあまり見てません。
それは、双方をつなぐ「放射能被ばく」や「被ばく者」を焦点化できていないからです。
3.11があって全原発は止まったのですから、もっと結び付けなければ原発廃止も不可能です。
 
まずは、国・福島県がやっている被ばく隠しの凄まじさを問題化して下さい。
原発や最も汚染された区域に、全国の若者を見学させたり移住させ続けています。ドローンなどの軍事開発の一大拠点工場が作られています。「福島イノベーション・コースト構想」です。
 
また、子ども甲状腺ガンの裁判で被害者が語る、凄まじい健康被害と苦しみも、その貴重さに比べて見過ごされています。
 
その際大事なのは、放射能は目に見えないまま拡散してます。だから、「場所(福島)」に行けば全て本質がわかるという問題でもありません。被ばく者や避難者という「人間への影響」こそを中心に見てください。
 
まずは各集会で、それをよく知る自主避難者の発言時間や回数をもっと増やして下さい。そして僕が書いたような、「被ばく者の状況」を取り上げて下さい。
僕も無理のない範囲でいくらでも話します(「活動家が運動のために言ってるだけ」とは思わないで下さいね)。
 
そして、すでにやっている運動はあります。避難政策を、国に法で実行させる「チェルノブイリ法日本版の会」が、全国にあります。 https://chernobyl-law-injapan.blogspot.com/
 
それと人が被る「脱被ばく実現ネット」が、貴重な「反被ばく」デモを行ないます。11月8日13時に新宿東口広場に集合です。でも共に人がまだまだ少ないです。多くの参加をお願いします。 https://fukusima-sokai.blogspot.com/
 
311事故の健康被害を調べ、実際に治療している超貴重な医師がいます。岡山県の「三田医院」の三田茂医師です。彼をぜひ、各地の集会発言や内部学習会に呼んでください。
http://mitaiin.com/ (トップ頁にいきなり「被曝対応」!)
被害をまとめた「『新ヒバクシャ』に『能力減退症』が始まっている」という論文は、大きな反響を呼びました。
 
最後に。僕は、このまま病気が落ち着いたら関西へ戻るつもりです。
被ばくから逃れて根治するため、やり残した事のための「再避難」です。
 
今いる東京には、本当に無数の思い出や人間関係が詰まっています。惜しまぬ支援をしてくれた家族がいる。
そしてこの間も運動現場で、10年会ってなかった人でも、向こうから「久しぶりだね!」「会えて嬉しいよ!」と何度も言われました。僕も同じだよ。本当に泣けるよ。
原発事故さえなければ」と何度口を出たか。国は全く何てことをしてくれたんだ!めちゃくちゃ名残惜しいんだよ!でも、やはりここには長くいられないんだよ。
 
生き続けていかなきゃいけないし、物事の本質から目を逸らすることはできないから。関西でも多くの大切な人間関係や思い出ができました。
 
原発事故の避難者は、「国内避難民」だとよく言われます。その大変さも、協力者や支援の必要性も、「難民」だからです。
 
僕は避難後に、「人と一緒に落ち着いて定着・定住したい」という思いが次第に強まりました。理由が不明確でしたが、自分が1人で避難し難民化し、長期化してるからだと思えば、納得しました。
 
再避難。生きるための2度目の難民化。大げさではないよね。故郷への思いを半身に持ちつつ、関西の友人仲間とも生き続けたい。世界を少しでも良くしたい。今度こそ、健康に定着できたらいいなあ。
 



 

連載:来たるべきその時(革命)のために③ 野党共闘路線の終わりと、2011年3月11日~4月10日からの総括開始

連載:来たるべきその時(革命)のために③ 野党共闘路線の終わりと、2011年3月11日~4月10日からの総括開始
 
長く体調不良になり中断してました。書ける日が出てきたため、連載再開します。
また今年の都知事選、衆院選兵庫県知事選の結果は、一つの運動時代が完全に終わったと思いました。次を考える時でしょう。
<運動の爆発も革命情勢も必ず来る。いつ、どう来るかは誰にもわからない。でもそれに備えることはできるし最も大事な事だから、近い過去の経験から今をたたかう人々の備えに役立てる。>
なお2000年代の情勢と運動は、今後の連載で同時に触れていきます。
 
 今は運動も社会も「3.11以降」だ。その運動は、11年~15年の国会前など街頭直接行動と、16年~今までの野党共闘路線に大別される。後者が意味や役割を終えたのだ。
自民党の石破は「平成の琉球処分」といわれた、2013年に自民党の沖縄選出議員5人に辺野古移設反対の公約を反故にするよう恫喝をかけて屈服させた人物である。
立憲民主党の野田は、2012年の首相在任時に多くの反対の声を振り切り、原発事故以降初めて大飯原発の再稼働をおこない、公約に一切なかった消費税の10%への増税をおこなった。
このような2人の国家主義者を党首とする2大政党によって争われる今回の選挙は、2012年の民主党政権の崩壊以降に始まった、多党化と2016年の安保法制反対運動によって主導された野党共闘路線の政治サイクルとしての一つの終焉を物語っている。”(人民新聞10月20日号、末岡友行)
 
これは都知事選で蓮舫が石丸伸二にすら負け、兵庫県知事選で斉藤が勝ってしまった事とも共通する。議会オルタナティブの消滅2024年。
僕は東京や大阪で街頭直接行動に全力をかけ、結果身体を壊しながら、状況を見てきたつもりだ。そもそも論を確認したい。
 
①首都圏発の「国民連合政府」~野党共闘は、戦争法や自民党を止める手段を、街頭でできる全てを尽くしきらないまま、戦争法成立により選挙に「移した」こと(消去法)
②その現代選挙は、小選挙区制で一本化しないと自民に勝てないという、「負け戦」に近い舞台だったこと。
③負け戦で何とか勝つために、「立憲主義」以外の合意点や課題を後ろに下げる「譲歩」、社会変革的には「後退」から進めたこと。
(以上は一定必要だったと思うし、頑張ってきた人々をくさすつもりはない)
④それを「共闘の前進」と言い続けてきたが、今や「選挙」は、保守二大政党、ポッと出の石丸、デマまみれの斉藤に収斂されてきたこと。一方で社会変革は、待ったなしで求められていること。ここは世界共通だ。
こうした総括をしながら、私達は絶望も同じ事の繰り返しもせず、第3ステージの民衆運動を作る時だと思う。
 
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それは、第1ステージの振り返りが基礎になる。近年最大の盛り上がりの経過・良い点・反省点で、今なぜこうなっているのか・次の高揚時にはどうしたらいいかがわかるからだ。
 
「3.11以降」とは、①日本列島(広くは北半球)が放射能汚染で壊滅し始めた事。また壊滅を隠す嘘と強権の政治が始まった事。それはここでまとめたのでぜひ一読を。https://note.com/jinminshinbun/n/n804f912ef677 
②数十年ぶりに大勢の人々が運動に関わり始めた事。核と戦後日本、経済成長などを根底から反省し拒否する可能性があったこと。シールズやその同世代は3.11が学生で直撃して始動したし、僕より年上の大人も大挙してやってきた。
これから振り返るのは、要はそうした新旧の人々が同時行動する時に起きる、ハレーションと試行錯誤の現代版だ。これはとても普遍的だから。
 
時系列で書くと、
①新旧が協力する奇跡と高揚
②改良か、革命か。つまり原発廃止だけでまとまるのか?それとも放射能汚染や原発労働者差別などの単純な「反原発」に収まらない問題を掘り下げたり、沖縄・安保・戦争責任・反資本主義などの社会変革に広げるのか? ということ。
③反弾圧か、警察ともなあなあでやるか。
④そうした時、僕や周囲はどんな経験な対話や失敗をしてきたか
snsを交えた主導権争い、罵倒や暴力的行為
⑥党派的引き回しや囲い込み
⑦議会と街頭。
 
次から国の動きに加え、自分、素人の乱、東電前アクションなど、フリーター労組、旧ヘイトスピーチに反対する会、首都圏反原発連合、共産党民主党など、大飯原発~汚染がれき反対運動への大弾圧、しばき隊&あざらし、シールズと「直接行動」など、やり取りと、今だったらどうするかを具体的に書きたい。今後のために。
 
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2011年3月11日~18日

2011年3月11日、東日本大震災福島原発事故。東北の人々は、地震津波で多大な死者を出し、それらと放射能からの大規模な避難を余儀なくされた。
関東の人々は地震被害が直撃ではなかったものの、放射能が広く降り注いだ。そして「意味不明な計画停電で動けない」「家にこもって原発作業員に祈れ」「頑張ろう日本の洪水CM」にさらされた。
これは支配層の計画的な扇動だ。社会統合の崩壊→人々が大規模に西へ避難したり、政府や原子力村の打倒に立ち上がる事を恐れたからだ。

twitterはここで最初の力を発揮した。「安全、大丈夫」と言い張る国に対し、そうではない事実を探し、知り、共有する場として一気に広がったからだ。
そして敏感な人々や仲間は、すぐ西日本へ保養や避難に行った。被曝の知識と移動の経験が足りなかった僕は東京に留まり、運動仲間と互いの生存を確かめながら、反原発の緊急学習会などへ通った。

そして僕は、動く自分達と「全員家で祈れ」との落差から、これは戦前戦中の手法を使った支配戦略だと気づいた。それを打ち破るには、事故の責任者を名指す行動が必要だと思い、首相や大臣らが集合していた新橋の東電本店前で3月18日から抗議を始めた(なお最初の抗議はたんぽぽ舎の3月12日)。

この状況は、次の原発大事故、大震災、侵略戦争の発生時にも必ず作られる。当時まとめた文章を読んで下さい(自著『僕が東電前に立ったわけ』のベース)。https://ryota1981.hatenadiary.org/entries/2011/03/21
 
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2011年3月18日~4月10日

snsや動画配信の世界は、今でこそ炎上・有象無象・デマ拡散が極まったと言われる。マスコミ不信を前提に、ネットに対する評価も割れている。だが3.11後の時は、「嘘ばかりつき私達を黙らせるマスコミ/事実がわかって反原発の声を上げられるネット」という構図が明確化した。

つまり、最高の権力者や命を壊す放射能に、被害者の民衆が対決するという、本来の階級対立とネットの使い道がはっきりした。今でも最大の成功例ではないだろうか。
(つまり99%VS1%。この普遍的な階級対立の構造がうやむやにされてるから、例えば「兵庫の斉藤&立花に協力することが権力との対決だ」と錯誤されてしまう)。

まず、動画配信。僕らが東電前抗議を始めた時、黎明期のIWJ、個人配信者、海外メディアが次々配信や取材をしてくれた。「ようやく抗議が始まった」と。街頭での声は配信で家にいた人々に伝わり、責任追及の必要性を共有した。
そして参加・協力者が3人から増え始め、3月27日・4月1日に東電前には400人が集まり、終了後の話し合いで「東電前アクション」を立ち上げた。3月27日の既存団体の定例デモにも1200人集まった。前の月は20人だ。

東電前では、様々な人々が、重苦しさの中で溜め込んでいた思いや主張を爆発させた。それがそのまま責任者全員への追求になった。
東電抗議とその拡散は、震災と原発を同じ扱いにして黙らせる最初期の圧力を突破した。

次に、SnS。「原発やめろ」という言葉とデモだ。人々が声を上げ始めると、今度は「電気が足りなくなる、対案出してみろ」「原発は専門的問題だ、無知な素人は黙っていろ」という権力者や右派の圧力が降り注いだ。よく見る光景だが、人々の覚醒を防ぐために相手も必死で圧力をかけてきた。

これに対し、「#原発やめろ」という投稿がtwitterを席巻した。西日本への初期保養から戻ってきた素人の乱の人々が、4月10日に「原発やめろデモ」を企画して投稿した事がきっかけだ。

彼らの強みは、皆高円寺近くに住んでて毎晩集まり、体験や状況について様々話し合いながらデモを準備できたことだ。―「ぐちゃぐちゃ言われるけど、原発やめろでいいじゃん!」ー心の叫びであり一番シンプルな言葉が、デモ参加と結びついた。
こうして「専門家/素人」で黙らせる次の圧力をこれまた突破した。
 

3つ目に国際連帯。この場合は海外からの(やや情けない)影響と言える。事故直後から欧州各国で反原発デモが多発し、ドイツは脱原発を決断した。Twitterで日本にもすぐ伝わり、「遠方ですぐ動いてるのに当事者の自分達が動かないのはおかしい」とデモへ促した。
世界民衆の同時課題、同時行動であり、ネットはそれを媒介した。それが本来の使い道と可能性だ。今年のガザデモで発揮されているが、もっと、常に行われれば世界は変わる。

そうして迎えた原発やめろデモ第一回は、ぺぺ長谷川氏が亡くなる前に「個人的に過去最高のデモ」と書いていたと思う。高円寺駅から集合場所へ人の波がうねり続けた。デモは路上とゴール場所の公園を占拠した。


初参加者は同じ思いの人が大勢いる勇気を、企画者やスタッフは見たことない人々が次々参加する感動と衝撃を味わった。根底には共に、国家の圧力や事故の絶望感を行動で打ち破る解放感があった。

こうして東電前抗議や、原発やめろデモ第1回は、人々が立ち上がる時に必須な「共感と勇気の連鎖」を生んだ。
これを作り成功させることこそが、今も日々最も問われていると思う。(続く)
 
※ここまで読んで、「今の運動はダメ、自分達は良かったと言いたいだけじゃん」と思う方もいるかもしれません。そんな事を言いたいのではなく、これから自分(達)の葛藤や失敗もたくさん書いていきます。
 

2011年3月18日

3月27日




連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第2回 自分の目覚めと00年代と「9.11」

 予告編&第1回:https://x.gd/fdig7

1、準ひきこもりが歴史や社会運動と出会う

僕は一番多感な10代後半に人間関係から遠ざかっていたため、社会問題に関心を持った。9.11以降の運動に参加し、世界を獲得していった。

81年6月に東京で生まれた。中学2年(95年)の初夏に、小学時代から仲良く遊んでいた先輩達に突然暴力を振るわれ続け、ショックでそれ以降ずっと人と話ができなくなった。学校には行くが完全に一人、外出できるが誰とも話さず、孤独に浮遊し続けた。

勉強にも乗れず、97年に高校は工業高校に入った。そこでも一人で、また横並びの校則が厳しかったため、環境に疑問を持った。なぜこんなに自分は辛いのか?横並びさせられるのか?学校とは?なぜこうなった? それが自分を責めるよりも周囲=社会の成り立ち=戦後史などに関心を向けさせた。親が持っていた何でも体制や流行を批判する雑誌『噂の真相』や、自分で探した本など読み始めた。

2学期からすぐに都内の定時制高校に移り、誰とも話せず読書や町歩きを続けた。援助交際~少年犯罪など同時代で身近だった。一方小林よしのりの『戦争論』が、「戦後日本は平和ゆえのミーイズムが蔓延してそれらに行き着いた。戦前戦中の滅私奉公に戻り、誇りを取り戻せ」などと叫んで時代をつかんだとき、体験や読書経験などからそれは嘘だと思った。

一方小林よしのりの『戦争論』が、「戦後日本は民主主義と平和ゆえのミーイズムが蔓延してそれらに行き着いた。戦前戦中の滅私奉公に戻り、誇りを取り戻せ」などと叫んで時代をつかんだとき、体験や読書経験などからそれは嘘だと思った。


理由は、高度成長以降、日米安保の元で企業戦士と消費社会を作る事に専念し、家庭も学校も地域もそのために作られた。だが冷戦とバブル崩壊後にその画一性が矛盾を極めたからで、根本的な平和主義や民主主義を達成していないことこそ問題で、目指すべき方向性だからだ。

そうして僕は戦争反対・反権力の思いは固まっていった。こうして90年代以降、生きづらさをきっかけに社会運動に来る人が増えたのは偶然じゃないだろう。

99年後半から、ため込んだ思いを図書室の会報に書き始めた。それを機に徐々に人と話せるようになっていった。01年春、社会学を学びたくて夜間大学に入学。その年9月11日に、米国ニューヨークのwTCビルにハイジャックされた飛行機が突っ込む「9.11事件」が起きる(写真1)。世界は激動し、僕の目は世界に開かれ行動したいと思い、その半年後にアフガニスタンへの報復攻撃反対の「ピースウォーク」に初参加していく。

言いたいのは、今もコミュニケーションや自己不全に悩む多くの人たちに、社会運動を通して原因を社会化し、自分を解放する道がある。特に閉塞を極める日本では皆がそうしてほしいという事だ。

 

2.9.11は世界をどう変えたか

10代の僕が日本の政治や戦争に反対し始めた先には、世界の長年の南北格差があった。パレスチナ問題、北側先進国による南側の植民地化、今も続く経済的搾取。

ソ連が解体して米国は90年代に一人勝ちし、マックやマイクロソフトなど米発のグローバル企業が世界を覆った。世界中の紛争に介入し、引き起こし、軍事覇権も欲しいままにした。

「9.11」の実行犯は、南側のアフガンのイスラム教徒らの怒りから生まれた「アル・カイーダ」だった。北側世界の中心・米国NYを突き刺した。

激怒した米ブッシュ政権は、「対テロ戦争」と称してアフガンを大規模空爆した(写真2、3)。冷戦までの国家対国家戦争ではなく、敵は対象も場所も不明確な「テロリスト」だと規定し、延々と攻撃を続ける。軍事力が圧倒的に上でも続ける「非対象戦争」の中で、社会も恒常的な戦時体制にしていく。これが米国、欧州、日本に急速に広まった。経済のグローバリズムは世界中への非対称戦争と一体になった。軍需産業民間軍事会社や監視社会化はますます増長し、正当化された。

ここで日本が憲法9条を主張していたら違っただろう。だが自民党が政権復帰していた。小渕、森の不人気を挽回するため登場した小泉純一郎政権は、即座に米国を支持した。「テロ対策特措法」をほぼ全会一致で成立させ、自衛隊の艦隊をインド洋に派兵し、支援(写真4)。マスコミも「テロを許さない」の大合唱。テロ扱いすれば何でも悪、はここから始まったのだ。そして米軍も自衛隊も、仮想敵=ソ連が消えても「テロリスト」を作ることで延命し続けた。

これに対し日本の市民・平和運動は、「テロにも報復攻撃にも反対」を掲げて大きなデモや集会を始めた(テロにも~と言うか言わないかは議論になり、分かれた)。世界の反グローバリズム運動も、99年に続く01年のイタリア・ジェノバwTO会議で反対運動を爆発させた後、対テロ戦争への反対を世界規模で展開した。

アナキスト学生運動も行動を開始。また90年代から地球規模の環境問題に市民が対応するnGO阪神大震災で始まったnPOが広がっており、アフガン攻撃に対しても彼らは反対に立ち上がった(ピースウォーク)。これらが絡み合いながら、巨大なイラク反戦運動へと結実していく。(続く)



 

連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」予告編と第1回

★はじめに★

昨年著書『賢人と奴隷とバカ』を出版した思想家の酒井隆史さんに、2010年代の社会運動と思想の総括を人民新聞でインタビューしました。
今の閉塞感の原因を話しているので、ぜひ読んで下さい。
 
酒井さんは「近年を総括する言説や議論が無さすぎる」と言います。
そして、「園君も同時代の運動経験を総括してほしい、貴重なものになる」と言われました。
また20代前半の友人達に「不調で現場に行けないなら、公開文章を書くのがいい」「90年代以降の運動資料が全然ない」と言われました。
そこで、2000年代と10年代(3.11以降、写真1)の運動経験と全体状況を振り返る連載を始めます。
主な視座は、
①運動になぜ行き始めたか、00年代のアフガン・イラク反戦運動小泉政権、反貧困/フリーター運動と政権交代、反差別の振り返り
②10年代、3.11以降の反原発の街頭での運動爆発。第2次安倍政権と戦争法案への反対。そこからなぜ真の社会変革や路上占拠などに行かなかったか、成功・対立・自他の失敗の総括(これがメイン)。
③反原発から反ヒバク、放射能からの避難へ全体が行かなかった総括と、今までの自分や人々の被害実態
④それらの結果今どのように閉塞しているか、流れを変えるにはどうしたらいいか。
 
タイトルは<来るべきその時(革命)のために>。
運動の爆発も革命情勢も必ず来る。いつ、どう来るかは誰にもわからない。でもそれに備えることはできるし最も大事な事だから、近い過去の経験から今をたたかう人々の備えに役立てる。 
まずはお知らせします。不調でもやれることをやりたい!
 
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連載「来るべきその時(革命)のために―2000年代~2010年代総括」第1回 前史としての1990年代
 
世界は冷戦崩壊後、日本は冷戦&バブル崩壊後の1990年代に大きく変わった。1回目は前史としての90年代と現在とのつながりをたどる。僕は10代なので運動経験ではない。
・先立つ80年代後半、中曽根政権が国鉄をJRに、電電公社をNTTに民営可した。日本の新自由主義の始まりだ。それで中曽根は日本最強の国鉄労働組合を解体し、社会党ナショナルセンターの「総評」も解体。日本の社会運動は、今に至るまで労組の組織的参加やストライキが激減し、韓国のキャンドルデモに見られるような規模やパワーが奪われた。
「市民」と「個人」の運動がますます強まり、良さもあったが、チェルノブイリ事故後の反原発運動の高揚は90年代に入ると収束した。「日本の原発は大丈夫だ」と増え続けた。
 
・90年前後の社会主義圏の崩壊で、米国は世界の軍事と経済の一極支配を狙った。日本に自衛隊海外派兵の協力を求め始めた。まず91年イラク湾岸戦争を仕掛け、日本を「金しか出さない」と批判。慌てた海部政権は92年に「PKO法」を成立させ、戦後初の戦争後の海外派兵を可能に。PKO法への反対は、90年代最大の反戦運動や国会での抵抗を生んだ(写真2、3)。
 
新自由主義、海外派兵、金権腐敗政治の混乱は、93年に非自民党の細川連立政権を生んだ(1955年体制の終わり、裏に小沢一郎)。94年には初の社会党村山連立政権が成立。同時に社会党は安保・自衛隊天皇制を認め、96年には社民党に変わり大幅縮小した。
またアジアの民主化などで、日本軍「慰安婦」の被害者が次々名乗り上げ、日本政府は戦争責任に一定の謝罪や賠償に応じざるをえなくなった(河野談話村山談話)。
総じて、90年代前半は様々な地角変動が起きていた。
 
・だが96年頭に橋本龍太郎政権が成立、自民党が政権復帰。前年、沖縄少女暴行事件に対し、沖縄の怒りが爆発(写真4)。それへの対処と称して、沖縄普天間基地辺野古に移設するSACO合意を米国と結ぶ。また97年に日米新ガイドラインを決定。PKOに続く軍事化を進めた。
そして、住専山一証券の破綻を利用し「構造改革」を開始。新自由主義・金融資本主義・グローバリズムを一気に進めた。消費税も5%に上げた。これによりリストラや倒産が激増、98年には自殺者が初めて3万人を突破した。自民党新自由主義政党に変わり始め、新たな時代も支配し始めた。
「お気楽なフリーター」ではなく、不安定な働き方が急拡大した。今も運動に40~50代が少ないのは、長年不安定雇用にさらされ、身も心も疲れきっていることが大きい。
 
・90年代前半に抗して、戦争責任、日本軍「慰安婦」、フェミニズムを否定するバックラッシュが一斉に始まった。「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりらが97年に「新しい歴史教科書を作る会」を結成。98年に『戦争論』出版。侵略戦争サブカルで美化し、今に至る流れを作った。政界では安倍晋三日本会議が同じ主張と組織化を強めた。
・小渕、森と自民党政権は継続。日の丸君が代を国旗国家にする、更なる海外派兵法、盗聴法による監視社会化など着々と進めた。
 
・さて、社会と文化の変化だ。バブル経済は90年末に終わり、93、94年に就職氷河期が到来。僕が社会問題に目覚めた社会不安の深刻化――95年阪神大震災オウム真理教事件、96年女子高生援助交際、97年少年犯罪とサカキバラ事件、ひきこもりや不登校などなど。戦後の若者運動からここに至る流れを、僕は大学の卒論で書いた。https://ryota1981.hatenadiary.org/entries/2009/12/30
 
・それに遅れて、文化表現もどんどん内容が暗くなる(今の90年代ブームは、わざと暗くなる前に限定している)。今に至る「失われた30年」の始まりだ。これらを縦に貫く戦後史への構造的視点の無さにより、いつも「今」しか見えず、私達がどこから来て、どこにいるのかを見えなくしている。いつまでも人々を政治から遠ざけて、閉塞させている。
 
・1970年生まれの知人から、「90年代の運動が一番盛り上がりに欠けて辛かった」と聞いたことがある。国内は停滞し、国際連帯も見え辛かったからだろう。大学の運動は縮小し続け、90年代末には各大学の寮や学生会館が潰されていき、小奇麗で自治ができない○○タワーに建て替えられた。こうした自治つぶしと監視の強化は社会全体で進んだ。
 
・だが世界では、99年にシアトルWTOへの反乱で反グローバリズム運動が始まり、00年代には巨大なうねりを作っていく(写真5)。ネグり=ハートも『帝国―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』を刊行。そして、「9.11」と国内外の新たな反戦運動を控えていた。僕も大学に入り動き出していく。(続く)
 

 

【大阪市廃止への賛成論に対して・元都民の声・大阪の良さは地域商店街と人のつながり】

【拡散願い・大阪市廃止への賛成論に対して・元都民の声】
こちらでもお知らせした「否決勝利を喜び、三度目の投票やこれ以上の大阪破壊をさせないため緊急アピール行動へ! 11月2日17時~19時大阪市役所前」をやりきりました。いいねを頂いたみなさんに感謝します。
 
市役所前で訴えた内容をこちらでも共有させて下さい。「大阪の成長を止めるな」の呪文ではない、未来構想をみんなで打ち出さないと、維新の会は無くせないと思います。
 
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大阪市役所前行動でやりきったけどだいぶ疲れた。都構想に一番賛成した北区で、「大阪変えたい」と一番賛成した同世代30~40代の男性へのアピールに(僕は39歳)、東京出身者として力が入りすぎたからです。以下訴えました。
 
「東京が失った変えてはならないものが、まだ大阪にはあります。地域商店街や人と人との会話・つながりです。それを活かし発展させる事が未来です。都構想は再開発と民営化でそれを壊します。
 
僕の東京の地元私鉄には隅々までチェーン店とコンビニしかなくて泣きたくなるし、それで小学校の同級生の米屋や食堂も潰されてきました。
でも大阪に移住してから、代表的なチェーン店のカフェベローチェをようやく初めて見たのは、私鉄沿線ではなくここど真ん中の淀屋橋でした。大阪にはまだアーケードと個人商店があり、物を落としたら拾ってくれて話しかけてくれる!(だから反都構想の街宣でも数多くの会話が生まれた)
 
そんな大阪の良さとは正反対の都構想。そのおこぼれなど皆さんには来ません。電通パソナ・吉本やウーバーイーツや「GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)」のように、安倍や維新と仲良しの企業や、独占的な超企業だけに行くのです。今日も明日も奴らは密談しているでしょう。市民のための市役所や府庁ではなく、どこぞのホテルで、税金を使って!
大阪や全国の衰退は、地場産業の育成をやめ、USJ等の外や東京の大資本に投げたから起きたと思います。地域単位で産業、商店街、会話を再構築すれば復活できます。それがポストコロナ、ポスト気候変動です。
 
だからよく言われる「大阪市民は分断されている」は正確ではないと思います。実態は、主に私と同世代の「働き盛り」男性が、維新との癒着や再開発のおこぼれをもらえるという幻想を見ていることがメインだからです。安倍ースガの岩盤支持層と同じ、「新自由主義右翼」思考(『世界』11月号『誰が安倍政権を支えてきたのか』より、その数有権者の約2割。ちなみに維新が山本太郎をやたらと意識しているのは、「上記の幻想で騙そうとした30~40代」に対して事実を働きかけていた、つまり対象が被って悔しかったからだと思います)。
 
実際は非正規から正社員まで、99%におこぼれなど来ません。そのうちコロナでまた大量リストラにあい、個人商店も潰され、政権も維新も推進するウーバーなどのマッチングサイトで働かされます(今まさに激増中)。雇用契約すら結ばないから自転車で事故しても労災も払わない、非正規雇用より酷い「マッチング労働」ですよね。
 
また、たまたまおこぼれが来たとしても、汚い利権に魂と未来を売るだけです。
汚い吉村や、維新の口だけモブ議員に、あなた達を代表させるのをやめましょう!自分の住んでいる地域と人間関係に目を戻し、そこから出発しましょう!そうすれば性懲りもない大阪市廃止の繰り返しは終わり、未来が拓けます。

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4月27日に大阪府庁へ出した「新型コロナウィルス 感染症(COVID−19)を残り超えるための要請書」(回答待ちです。また直接行きます)

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2020年4月27日 大阪府知事 吉村洋文様

【新型コロナウィルス 感染症(COVID−19)を残り超えるための要請書】

                   コロナ生活補償を求める大阪座り込み行動

1 感染の拡大を抑え、医療のオーバーキャパシティを抑えるために、経済活動は必要最小限にして、自主隔離を各自が行う必要があり、そのため必要な生活保障、事業継続保障を行うこと。

 2 生活保障には家賃の補填、免除(府営住宅を含む)、債務の利子の免除・元本の返済猶予(介護福祉士等就学資金貸付、母子・父子・寡婦福祉資金、ヒューファイナンス大阪、中小企業向けの貸付け制度、生活福祉資金貸付、保育人材確保のための貸付事業、大阪府育英会大阪府公立高等学校修学奨励費を含む)がまず行われる必要があり行うこと。家のないものには公共住宅の無料開放や簡易宿泊所などの無料の貸切りを実行すること。また現在借家、借地しているものの追い出しの禁止を行うこと。

 3 またテナントに入っている商店は家賃負担が売り上げの3割を占めるのが普通であり、休業保障だけでは家賃負担で潰れる。このままではコロナショック中に小商いの大量倒産が起きる。安心して休業し、必要最小限の経済活動にするためにも家賃の補填や免除を行うこと。

 4 家賃の免除、債務の利子の免除、元本の返済猶予を行うと株や不動産投資信託などが暴落するリスクがあるためコロナショックがひと段落するまで金融市場の閉鎖を要請すること。銀行への必要な資金は公的資金を投入すること。

 5 生活保障のために世帯に必要な一定範囲の光熱水費、通信費は免除する。また電車、バスも無償化する。そのため一定の公的資金を、電気、ガス、水道企業体、通信会社、公共交通機関に補助、もしくは公有化すること。

 6 新型コロナウィルス 感染症が拡大している状況化では住民税、中小企業の事業税、自動車税国保料、健康保険料、年金の基礎年金部分などの各種社会保険料を免除(一律納付猶予、減免規定にCOVID-19を加え申請なしに一律減免を行うなど)すること。また医療費、介護費も無償化すること。

 7 学費・保育を無償化(府内にある公私立の認可・無認可を問わない保育園・幼稚園、フリースクール、私立小学校・中学校、府立高校を含む公立・私立高校、府立大学を含む公立大学・私立大学、各種学校など)するとともに、払った授業料に対しては補償金により返還すること。必要な教育が在宅で受けられるよう、無料のネットの環境や無料の教育コンテンツを充実させること。

 8 基礎的な生計費を保障するため、ベーシックインカム(個人への一律給付金)を実施する。自主隔離が必要な期間中、毎月、生計に必要な一定額を全住民(在日外国人や野宿者など住民票のない人も含む)に支給する。

 9 ただしベーシックインカム(毎月の一律給付金)ついては世帯毎でなく、個人に給付を行うこと。生活保護においても現在地主義をとっていることから、野宿者など住民票がない、住民票が異なる市町村に存在する住民にも、居住地で支給できるようにすること。また振り込みのための銀行口座などがない場合にも受給を行えるようにすること。また入国管理局の収容施設から仮放免中の住民にも一律給付金の受給を行えるようにすること。また総務省の指針では「外国人のうち、短期滞在者及び不法滞在者住民基本台帳に記録されていないため、対象とならない」とされているが、技能実習生や留学生として滞在資格が喪失して、大阪府で生活する住民が数多く含まれている。指針の対象外者であっても一律給付金の支給を行うこと。上記の措置が国費で難しければ、府費によって支給を行い、一律給付が全住民にいきわたるようにすること

10 企業の解雇を完全禁止するとともに、有給休職を取得したり、休職を自由にできるようにする

 11 新型コロナウィルス 感染症のリスクにさらされながら働く医療関係者や運送労働者、介護労働者、保育労働者、学童保育労働者などの危険手当支給、または待遇を大幅に改善すること

 12 公的資金を防護具や医療器具、製薬の生産に向かうよう、公的資金を導入するとともに、その生産に関わる知的所有権オープンソースにする。特にワクチン、製薬の開発のための知的財産権は共有化すること。

 13 医療関係者の緊急養成の講座を短期間で行うとともに、退職した医療免許などを持つものに必要な職場で仕事をするよう、志願を呼びかけること。また必要な病床(想定フェーズ4における15000床)、宿泊施設を公的資金によって早急に確保すること。

 14 北の「先進国」は南の国(第3世界の国)の脆弱な医療対策のために増産した必要な防護具、医療器具や薬、短期的な人材育成、人材派遣、また必要な資金援助を行うこと。また南の国への債務の帳消しや、経済制裁の中止を政府に要請すること。

 15 食料生産を保障するために、小規模農民への補助金を行うとともに、都市住民も家庭菜園などで農業生産を行うよう奨励し、住民にも土地を貸し与えたり、公共の緑地帯、オープンスペース(公園を含む)での栽培も認めること

 16 自主避難と同時に、虐待やDV、ハラスメントなどから逃げだすためには公共の場所が不可欠である。家庭にいられない、いづらい人間が、家から逃げ出せる場所の確保を、公共施設を開放して行うこと。その場合、換気をして、社会的距離を保ちながら「逃げ場所」の公共施設(図書館など)を開くことやシェルターの増設、緊急の被害者へのアウトリーチや24時間の電話相談を行える十分な体制の整備を行うこと

17 COVID-19の検査体制の拡充と、病院、保育所学童保育児童養護施設、刑務所、老人介護施設障がい者支援施設、各種シェルター(あいりん地区の臨時夜間宿泊所やDVからの避難施設)、一時保護施設、生活ケアセンター、など密集状態が避けられない施設での感染防止策を行うこと。また上記の施設にマスク、消毒液の十分な供給を大阪府は保障すること

18     国、大阪府、が行う生活保障、事業継続保障対策が、住民に周知されるよう広報を行うこと。同時に、デジタルデバイドなどで情報が行き渡りにくい生活高齢者などへの支援を考えること。また、住民が困っていることなど相談しやすいよう、総合相談窓口をつくること。

19 十三市民病院のコロナ指定病院化は、現場労働者に一切話がなかった。吉村府知事はこのような記者会見での一方的政策発表とトップダウンを即座に中止し、全てにおいてまず私たちコロナ生活被害者や現場労働者に聞き取りを行うこと。それに基づいた政策案を作った上で、市民が傍聴可能な形での府議会審議で決めていくこと。事業継続支援が行われていな状況を棚に上げて、大阪府の休業要請に従わない店舗の店舗名公表を行わないこと。

20 必要性や緊急性のない事業や開発(投資的経費、開発関連予算)、訴訟(あいりん総合センターの立ち退き訴訟など)は一旦停止し、都構想関連の経費の執行も停止し、必要な資金が新型コロナウィルス 感染症対策に行くようにするとともに、医療体制、生活保障、事業継続支援のための職員体制の見直しを行うこと。内部留保や富裕資産への臨時課税を実施すること。特に大阪万博・IR(カジノ)の誘致、夢洲舞洲の開発、地下鉄新なにわ筋線・北梅田駅の開業、大阪公立大学の新キャンパス建設と森ノ宮東の開発、リニア新幹線の新駅と新大阪の開発、あいりん総合センターの解体工事とあいりん地区の開発関連の予算を執行停止にすること

大阪府の権限を越えるものについては、国に要望を大阪府から行うとともに、必要性について社会的に発信を行うこと。以上の要望項目について大阪府から回答を行うこと。

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