2/28最終弁論終了!自分と弁護団の最終弁論書です。全ての方に感謝します、4/18最終弁論へぜひ

「2.9竪川弾圧」最終弁論、70人近くの方に参加頂きました、遠くは大阪、名古屋の仲間も。本当にありがとうございました!13時半に始まり、弁護団が1時間強、被告の園さんが1時間弱、それぞれ力強くアピールしました。また詳しくご報告します。次回4月18日15時〜東京地裁429号法廷での判決にぜひご参加下さい!

2/28最終弁論、「木星通信」さんの報告です:http://jupiter-press.doorblog.jp/archives/24008506.html
地裁前アピール映像1:http://youtu.be/xIxAGt3UYp0
関西大弾圧救援会の仲間が応援街宣:http://youtu.be/5kvexbMyII0
公安警察への抗議コール:http://youtu.be/EQxx5s1QxhU
すんなりと裁判所敷地内へ通行できない被告:http://youtu.be/xH6ZZLtEG3c
弁護団の最終弁論です:http://solfeb9.wordpress.com/2013/03/01/%EF%BC%92%E6%9C%88%EF%BC%92%EF%BC%98%E6%97%A5%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%9B%A3%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%BC%81%E8%AB%96%E6%9B%B8%E3%81%A7%E3%81%99%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%8E%EF%BC%99%E7%AB%AA%E5%B7%9D/

以下、ぜひごらん下さい:そもそもこれはどんな事件で、何が問題なのか?http://solfeb9.wordpress.com/2013/02/27/%E3%80%90%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%80%91%E3%80%8C%EF%BC%92%EF%BC%8E%EF%BC%99%E7%AB%AA%E5%B7%9D%E5%BC%BE%E5%9C%A7%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E6%87%B2%E5%BD%B9%EF%BC%91%E5%B9%B4%E6%B1%82%E5%88%91/
2/19、「関西大弾圧救援会・東京の会」と共に法務省検察庁へ出した抗議要請書
http://solfeb9.wordpress.com/2013/02/20/%EF%BC%92%EF%BC%8F%EF%BC%91%EF%BC%99%E3%80%81%E6%B3%95%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%80%81%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%BA%81%E3%81%B8%E6%8A%97%E8%AD%B0%E8%A6%81%E8%AB%8B%E6%9B%B8%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%BE/

そして、園の最終弁論です。


2.9竪川弾圧・被告園良太、最終弁論



1:これは全ての生きる権利をつぶすことだ


人は誰でも幸福で人間らしい生き方を望んでおり、他者のそれを犯す権利は誰にもない。まして強大な国家権力が私達の生きる権利を押しつぶすことは許されない。憲法を持ち出すまでもなく、それをしたらこの世界が破綻してしまうからである。私達は誰もが「人の歴史は圧政とたたかい生きる権利を獲得する歴史だった」と教わるし、近代国家の憲法や法律を学んできた専門家なら尚更そうだろう。


 だが今回の竪川弾圧は、正に自治体と警察権力が人々の生きる権利を押しつぶしている。路上や公園しか住む場所のない人を容赦なく追い出し、抗議したら不当逮捕・起訴したからだ。日本国憲法はあらゆる人に生存権と幸福に生きる権利を保証しており、野宿者や竪川の運動を度外視する事は許されない。


国家・行政に対して生きる権利を求める人々の叫びは余りに当たり前で、特別な事でも特別な人でも全くない。検察と裁判官は、いったい今がいかなる時代状況か考えてみよ。1990年代からの長期不況で凄まじい数の労働者がリストラされ、非正規雇用化し、住む場所も失ってきた。職場での労基法違反や退職強要、その結果のうつや自殺者も激増し続けている。冒頭意見陳述ですでに述べた事だし、現代社会の常識だ。そこで誰でも労働組合に入り、会社の責任者の所で交渉する。争議になれば労働組合法で保証された争議権を行使し、会社の前や社長の自宅前で大きな音で抗議する。また最低限の生活を求めて生活保護の申請に行っても、窓口で追い返されることも多い。自民党政権生活保護費を削減したため、さらに酷くなる筈だ。そこで支援者が一緒に窓口へ行き、交渉し、酷い対応には抗議する。本当にごく日常的で重大な活動だ。


そしてあの2011年3月11日東日本大震災により、東北で未だ数多くの被災者が仮設住宅住まいを余儀なくされ、復興住宅は現在までに何と56戸しか作られていない。そのため多くの高齢者が亡くなっている。沿岸部はメチャメチャのまま、仕事の再開もままならない。復興は遅々として進まない所か、財務省により何と数百億円もの復興予算が無関係な事業へ横流しされた事も発覚した。自治体や省庁に対して人々が抗議に立ち上がるのはごく当然の事だ。だから地元では様々な漁業・農業団体や住民支援団体が行政交渉を行っている。


特に福島原発事故が起きた福島県は、放射能汚染で帰還不可能な場所が広がり、家も仕事も人間関係もあらゆるものを奪われた人が増え続けている。そして通常は100万人に一人しか発生しない「甲状腺がん」が、福島県県民健康調査会の公式発表だけでも福島の子ども38000人中10人に出た。心臓病、白血病、低線量被曝による健康被害も激増している。これほどの事態に、多彩な住民や団体が事故直後から東京電力や日本政府へ直接抗議する行動を行ってきた。福島県や周辺の余りに多くの農家、避難者、自治体が東京の東電本店に押しかけ、正門の前や社内の会議室で賠償を求めてきた。2011年5月には福島の親が何十人も福島から文科省に行き、文科省の中庭で役人を囲み放射線量の「年20ミリシーベルト基準」に「避難を抑え込むな、最も放射線に弱い子どもたちを被曝させるな」と撤回を求めた。本年2月22日にも、1万3262人もの原告団で作られた「福島原発告訴団」が東京地検と東電を包囲し、「史上最大の過失事故を起こした東電は自首せよ」「検察は早く告訴せよ」と迫った。翌日には新宿で「ふくしま集団疎開裁判」がデモを行い、「国は今すぐ福島の子どもたちを避難させろ」とアピールした。


だが今回の竪川の不当逮捕・起訴は、こうした生きる権利を求めるあらゆる人のあらゆる行動を潰せる道を開くことなのだ。つまり自治体や東電のような公益性の高い企業の責任者が、住民や市民に何も説明せずに逃げ回る事が許される。庁舎からの強制排除をやりたい放題になる。そして窓口に行っただけで「威力で業務を妨害した」と逮捕・起訴・長期監禁が可能になるのだ。もし私が有罪にされればそれがやりたい放題になる。どういう事かわかるか?子どもががんになり死んでしまった福島の親が、東電や首相官邸に来て「なぜ避難できるようにもっと早く賠償しなかった、避難指示を出さなかった、命を返せ」と言っただけで逮捕され、いつまでも拘置所に監禁できるのだ。全てを奪われた農家や漁師が財務省経産省に来て「復興予算を付けてくれ」「もう原発には金を使うな」と申し入れしただけでそうなるのだ。家や仕事を失い死ぬ寸前の人が、役所に生活保護を求めてもまともに与えられず、追い詰められて大声を出しただけでそうなるのだ。私を有罪にするとはこういう事であり、絶対に許されない。


しかも住民の苦情や要請に対応するのは自治体の基本中の基本の通常業務だ。税金で仕事をする者たちのあまりにも当たり前の義務だ。江東区は人権啓発活動も行っており、部落差別に反対する活動も活発だった土地だ。だがこれでは区役所を訪れる区民を職員が自由に選別し、少しでも職員の意に沿わない者は誰でも門前払いにしたり逮捕ができてしまう。要は自治体の業務が市民の生活や人権の保護ではなく再開発と警備業務に寄りすぎているのだ。自治体は聖域ではない。住民の問いかけに真摯に向き合え。
検察と裁判所は、このような規制や弾圧が本当に許されるのか答えるべきだ。裁判所は事の重大さを自覚し、必ず無罪にせよ。




2:「嘘」にまみれた検察求刑――行政代執行の正当化は許されない



それでは今回の検察求刑への反論に入ろう。これは全てが事実を捻じ曲げた悪質極まる官僚作文であると同時に、明確な嘘を何度もついている前代未聞の犯罪である。裁判所は無罪判決をするのは当然として、その過程でこの求刑を一切まともに扱ってはならない。


まず「嘘」の発生する構造から説明しよう。私はガラスを割るつもりはなかったので、逮捕後に全額弁償した。その直後の2,012年2月24日の原宿警察署での取り調べで、自ら公安検事と名乗った検事木下雅博が私に「いや〜…まさかガラス代金を弁償できるとはね…なかなか払える金額じゃないんだけどなぁ」と苦々しげに言ったことが忘れられない。これが全てだ。本当にガラス破損を問題にし、被害回復を求める者なら誰もこんな発言はしない。最初から器物損壊罪での起訴=長期勾留しか頭になく、そのためには私が弁償しない方が好都合だと思っていた者の態度だ。そこで調書で明らかなように、翌週の勾留期限直前の27日、28日に木下は集中的に江東区職員に聞き取りを行い、「園達が来たせいで業務を中断させられた」と言わせ、「威力業務妨害罪」に切り替え起訴した。本当にそうなら私達が来た時からいつでも逮捕が可能だった筈だが、それは余りに無理だったのだ。検察にとって被害内容はどうでも良く、起訴して長期勾留できれば何でもいいのであり、最初の目論見が壊れたため、無理やり新たな罪をでっち上げたのだ。


木下雅博は「私は公安検事、中核派革マル派の担当だが、正直君の事は知らなかった」と名乗ってもいた。公安は政治社会運動の情報収集と弾圧が仕事で、木下は2011年9月11日の新宿「原発やめろデモ!!!!!」で12人も不当逮捕・勾留する指揮を取った人間だ。明らかに木下は竪川の運動と私を潰すために出てきた。そのため起訴は「現場から隔離する事ありき」の極みとなり、論告はそれを後付けで正当化するから嘘まみれになったのだ。これが運動つぶしだとの指摘に検察は「およそ荒唐無稽」と反論したが、まずもって木下発言が全てを証明しているのだ。


そして何よりも江東区の2,012年2月8日の行政代執行は空前の暴力であり、翌日の私の抗議はそれと全く無関係なものと扱わなければ絶対に起訴などできない。そのため検察は江東区の嘘の経緯説明を丸呑みし、自らも逮捕当日を嘘で塗り固めたのだ。裁判で嘘は絶対に許されない。後は裁判官までもが嘘を丸呑みするかどうかだ。以下、その嘘を具体的に解き明かしていこう。


検察は最初に行政代執行は適法だと主張するが、2011年末までの経緯をわずか7行で済ませ、「簡潔に述べておく」としか言えない事が適法でなく違法である事を表している。私たちは第1回公判から、区が竪川河川敷公園の改修工事は野宿者排除が目的だと明言したことや、「強制排除はしない」と明言したのに2010年から強制排除の路線にシフトしたことを詳しく証言してきた。代執行直前の2,012年1月27日にも代執行手続きすら無関係に凄まじい暴力排除が行われたことがその証明であり、私達が裁判で主張し続けたこの日の件に一言も触れない検察は自らの不利を隠している。「移動や自主撤去が完全になされなかったことから」ではなく、続いていた話し合いを区が一方的に打ち切っただけなのだ。


また「許可なく占有している」と言い張るのは区だけで、竪川には何十年も前から野宿者がテントを貼って住み、地域住民にも溶け込み何の問題にされていなかった事も主張してきた。そして検察は国際人権規約日本国憲法の居住の自由を矮小化し、「憲法は所有権その他の財産権を保障しており、他人の所有する土地に権原なく居住する自由はない」とするが、噴飯ものの捻じ曲げだ。公園がもし一般的な私的所有物件なら、日本全国の公園に出入りする全ての人は住居侵入罪で逮捕や強制排除ができるが、そんな事はやられていないし、やられる訳がない。公園は文字通り誰もが出入りできる公共の場所であり、自治体は管理業務をしているに過ぎない。江東区が野宿者を敵視し狙い撃ち排除したから問題が起きているのだ。


 そして生活保護制度と「ホームレス自立支援制度」を挙げて「日本国では憲法25条の生存権が保障されている」と言う。だがこれは実態を見た事も経験した事も全くない高級官僚の戯言だ。生活保護自体が月10万円台前半の低額であり、行政の窓際で追い返される例も後を絶たない。しかもいま国は最大10%も削減しようとしているではないか!笑わせるな。そして「ホームレス自立支援法」が用意するアパートの多くは条件が非常に悪い。江東区が代執行で強制排除したAさんに「竪川から立ち退いて入れ」と言ってきた区のアパートも、1年経ったら追い出されるため生活の安定とは程遠い。職員が本人不在時に勝手に入室しても良いという同意書を書かされ、実際に入りこまれる。毎年2千万近い税金を使いながら、入居者の人格・実情を無視するため入居者はゼロに近いのだ。さらに生活が立ち行かなくなり生活保護を申請したら、「アパート利用者」であるという理由でもみ消された事もあった。このアパートは竪川追い出しの後に作られており、強制排除をするために作られたのが実態だ。アパート入居は今まで以上に権利と自由を奪われ、行政の監視対象にされるため、竪川に留まり続けるのは当然だ。


 さらに行政代執行の手続きを踏むことは区の違法と暴力性を何ら正当化しない。すでに強制排除すると明言している相手から「弁明機会」を与えられても当人の側には余りに無意味であり、行政側のアリバイ作りにすぎない。通知書を野宿者の小屋に一方的に貼り付けて帰った区の姿勢がよく表している。「除却命令の発令」も単なる強制排除のカウントダウン通知だ。そして代執行の理由は「公園の経年による陥没危機」ではなく、後出しのこじつけにすぎない。区は竪川の追い出しを2,006年から始めており、当時は陥没危機など全く主張しておらず、工事も一時中断した。もし陥没危機なら一刻の猶予もなく改修するはずだ。区は区民からの問い合わせに「工事後は公園の野宿者をゼロにする」と回答し、公園全体をスポーツ施設化して野宿者が住めない公園作りを計画していた。最初からそれが目的なのだ。江東区の荒木は昨年6月11日の証人尋問でこの経緯を弁護士から指摘された時に慌てふためき、言葉に詰まり、「覚えてない」を連発した。嘘をついているからだ。私も再度検察に言おう、これらの疑問に答えてみよ。


 もし今回裁判所が嘘を採用し、判決で行政代執行を正当化してしまったら、今後はタガが外れどんな理由でも行政代執行が可能になり、日本中の野宿者の小屋や様々な居住地に対してどんな理由でも行政代執行できるようにされてしまう。社会に凄まじい貧困が広がり続けるいまそれは絶対に許されないのだ。




3:2月9日の全責任は江東区にあり、検察主張は空前の嘘と暴力である



 検察と江東区の嘘は、私が江東区役所へ行ってから逮捕されるまでの説明で極まっている。「ただの暴徒が区の業務を妨害しただけで、区役所に一切非はない」と裁判官に思い込ませる事に必死だからだ。そのために検察は私の全てを2月8日の代執行と9日に区役所へ行く経緯から切り離している。そこで私はなぜ区役所に行き、何を行ったか、それはなぜかを詳細に述べる。


検察の最大の嘘は、2月9日に予定されていた区と竪川の住民との団体交渉を、荒木が体調不良で前日に電話で断ったとしている事だ。2月9日に荒木は元気に出勤しており、私達が役所へ行った時も席にカバンとコートが置いてあったが、居留守を使い、別室で対応を協議していた事はすでに証明されている。検察は代執行の実施と荒木の団交約束を「なお」などとわざとそっけなく併記しているが、常識的に考えて団交の前日に代執行で小屋を叩き潰したのは裏切り・だまし討ちそのものである。団交を断ったのは荒木の体調不良でなく区が私達と一切交渉しない方針を立てたからにすぎない。留守電に今後どうするかも一切入っていなかった。住民を守るべき行政に団交の前日に小屋を潰され、暴力排除され、その後留守電で団交をキャンセルされる。こんな事をされて大人しく黙る人間がどこにいるのだ。私達が区役所へ抗議と説明を求めに行ったのは当然であり、市民の権利そのものだ。


 私は12年1月から竪川に支援で参加し、1月27日の強制排除も現場に行った。2月8日の朝にインターネットで竪川の代執行を知り、12時過ぎに現場に到着した。区は代執行の対象地外へ自主的に移動しようとしていたAさんも小屋もいきなり強制排除してきた。その場をフェンスで封鎖し、大量のガードマンと警察が支援者を包囲する酷い状況だった。区は「はい、排除!」の一言で首絞め、逆さ吊り、突き飛ばしと数々の暴行で強制排除した。「どいて下さーい、やめて下さーい」と自らを被害者に仕立てながらこちらを暴行し、カメラの見えない場所でこちらの足を蹴り、逆に職員と少しでも体が接触したら「○○が蹴ったぞー!」と不当逮捕の証拠を映像に残すがごとく騒ぎ立てた。これは9月13日の法廷で映像を流した通りだ。その後も仲間は行方のわからないAさんを必死に探し、病院近くの路上で雪の中放置されている所を発見された。余りにも、余りにもひどすぎる。私は多くの人に伝えるべく、夜には経産省前の原発反対集会に行きアピールした。そして翌日の区役所行動にも事前打ち合わせから参加し同行した。


 区役所では質問内容を決めており、数人の小規模な行動であり、私は検察の言うようにいきなり大きな声を出したのではない。最初は仲間が職員と交渉するのを聞いていたが、荒木の机にはカバンとコートが置いてあって居る事は明白なのに、「どこに居るかわからない」と繰り返し、探そうともしなかった。これまでのような別室を一切用意せず、窓口で撥ね退け続けた。代執行で奪われた竪川の横断幕の返却を求めても「持ち主がわからないので返せない」と言い張った。さらに私達を無断で撮影し始めた(だから映像が残っているのだ)。公務員が許可なく市民を撮るのは肖像権の侵害で違法だ。そしてこれまで区は竪川から交渉に来た時は何度も部屋に通していたのに(「抗議状況一覧表」で明らかだ)、窓口で酷い答弁を続けたまま私達の背後でジャージを着た数十人もの職員が包囲し始めた。区は代執行翌日から、抗議行動を見越して4段階の「区役所警備計画」を作っていたことが供述調書で発覚している。最高のレベル4を発動させたのであり、それは2月9日からの彼らの「通常業務」だ。代執行〜団交キャンセルと同じく対話拒否と追い出し路線への変更だ。


 検察は論告で私の行動と他の仲間の行動を必死に切り離そうとしているが、これほど不誠実な対応をされれば誰でも怒る。まず仲間も次第に声が大きくなっていった。そして私も、まるで前日の暴力を無かったことにする態度に「江東区は暴力をやめろ、江東区は人を殴るな」と抗議の声を上げた。そして区は公園全体を壁で覆って強制排除が外から見えないようにしているため、他の区民がいたので、聞こえるように大きな声で「今皆さんが利用している江東区役所が凄まじい暴力を振るっているのを知って下さい」と呼びかけたのだ。区に「静かにしなさい」と言える資格はない。カウンターは抗議の意思でほんの端に腰掛けただけであり、職場内に入ったり物をどかしたりもしていないので、職員業務を何ら妨害していない。


 私達が抗議を強めても職員は酷い答弁を繰り返し、ついにいきなり早口で退去命令を出してきた。それまで何の警告もなく、正に突然だった。検察は「退去させたのは正当」で「被告人はその場から動かず…繰り返し怒鳴り、近くにあったキャビネットやカウンターにしがみついた」と言うが、またしても事実を捻じ曲げている。まずこの唐突な排除通告にすぐ納得する者などいる訳がなく、私以外の全員も抗議している。区がなおも退去させたければ百歩譲って説得すればよい。だが退去命令の直後に先に多数の職員が私に飛びかかって羽交い絞めにしてきたのであり、それから逃れるために必死にしがみついた正当防衛だ。そして職員は私の両手両足を宙吊りにして庁舎外へ放り出した。他に2人の仲間も放り出された。検察は「必要最小限度の有形力の行使」「被告人の身体を引きずって傷つけることのないようにするための手段」と言い訳するが、一体どこの地方自治体に、話し合いに来た市民を羽交い絞めから宙吊りにして排除する権限があるのだ。正に噴飯ものである。


 突然外に放り出された私は当然怒り心頭だった。起き上がると柔道家のような巨体の職員がすでに建物内への入口に立ちはだかり、立入りを阻止された。検察は私達が大声を上げていた事で強制排除同様に立入り阻止を正当化しているが、それは窓口職員に責任がある。荒木への面会強要ではなく「居るのに居ないと嘘をつくな、きちんと対応しろ」という人として当然の要求だ。検察の「荒木に当不当の問題は生じても違法性の問題は生じない」という主張をそのまま「私に違法性の問題は生じない」と検察に返してやろう。


 私は早く仲間の元に戻りたかった。不当な入口封鎖に「中に入れろ」と口で抗議するのは当然だ。しかも区は2人1組で挑発するように私たちの無断撮影を続け、抗議しても絶対にやめなかった。これは区の逮捕を前提とした証拠集めであり(見事に裁判で使われたではないか!)、警察からやり方を教わっていると直感した。だから歩き回って撮影を振り切ろうとした。宙吊りでの排除や2人1組の撮影は警察がいつも使う手法であり、区は竪川の強制排除でも警察権力をフル活用したからだ。何とひどい自治体か。代執行通知、1月27日の強制排除、2月8日の代執行強行からこの日までの区の対応は、暴力と無責任の極みなのだ。それら全てへの怒りが押し寄せ、抗議の意を込めて壁を蹴るのと同じ感覚で窓ガラスを蹴った。割る気はないので強い力は込めておらず、分厚く大きな役所のガラスは割れる訳がないと思っており、側に人がいない事も確認した。それが大丈夫だったので別の場所も蹴ったら、脱出用の薄い部分のため割れてしまったのだった。  


私は飛びかかってきた職員に実に手際よく倒され、実に手際よく警察に引き渡され、原宿署に勾留された。割る気はなかったのでガラス代を弁償し、被害を回復させようとしたが、検事木下が冒頭の策動を行い、不当にも威力業務妨害で起訴されたのだった。


 以上の経緯は江東区に全ての責任があるのは明らかである。暴力代執行と団交のキャンセル。窓口でのこれまでで最も酷い対応。警察と密着した警備方針だ。そして「威力業務妨害」などでっち上げ弾圧である事も明確である。


第1に、私がガラスを割るまで逮捕できなかったのは、それまでの行動が威力業務妨害などに当てはめようのない通常行動だからだ。別件で逮捕・勾留できれば切り替え起訴が可能になるのはどう考えてもおかしい。なぜ最初の罪状で起訴できないなら一旦釈放にならないのか。別件の罪状を問うなら一から捜査をやり直すのが当然で、勾留は拷問だ。公安警察・検察が長期勾留を目的に現行の法制度の欠陥を悪用した以外の何者でもなく、その際威力業務妨害が最も使い勝手が良いだけの話なのだ。


第2に、この日の庁舎管理権行使は違法な暴力排除そのもので、それに抗議するのは正当だ。
自治体が住民の話を聞くのはあまりに当然の通常業務であり、竪川の仲間も2,006年から何回も江東区役所内の会議室に通されて話し合いをしてきた
。証拠資料の「抗議状況一覧表」の通りだ。人数も初期は40〜50人、最後に会議室で話し合った2011年1月も24人も参加している。今回の私達は10人弱しかいない。逆に江東区が竪川に来てひざ詰め話しあったことも何度もある。区が今までと同じ対応を取れば済んだ話であり、いかに追い出し路線にシフトした結果か分かる。そもそも庁舎管理権はあくまで「内部規程」であり、一般来訪者にいきなり当てはめて強制退去させるのは違法で、紛れもなく通常業務ではなく権力的業務だ。悪いのは庁舎からも追い出し、竪川での団交もキャンセルした区である。


第3に、威力業務妨害の根拠は全て嘘であること。警備計画表の存在が全てだ。私達が来た事で職員が通常業務を中断させられたのではなく、私達が来たら職員は警備計画表に基づいて対応する事がこの日から「通常業務」に組み込まれていたのだ。警備計画書では私達が区役所駐車場に着いた時点から警備体制を敷くと決められており、村松らは私が逮捕され消えた後も19時過ぎまで「警備」を続けていた。私の動向とは関係ないのだ。それでも検察が「通常業務の妨害」と言い張ったのは、警備業務への妨害では立件できないからだ。公務執行妨害にできるほど私が強い抗議をした訳ではなく、逆に職員が私を強制排除した事こそ明らかにやりすぎだったからだ。


検察はそれを隠すために「職員に通常業務があることは明白であって」「職員の各証言が符合しており、虚偽の証言をするメリットは全くないこと」を上げるが、「ね、裁判官、わかるでしょ?わかるでしょ?よろしく頼むよ」と田舎芝居をしているにすぎず、裁判で区が自ら認めた警備計画を今さら隠している時点で論外だ。そして職員も検察も、「警備計画」の存在を隠す程度なら誰からも罪に問われぬ現状なのだから、「虚偽の証言をするメリット(=起訴ができる)」は「ある」のだ。


そして第4に、私達の行動は行政への政治的交渉・抗議であり、民間企業への営業妨害とは別物だ。行政は区民からの苦情や要請に対応するのが仕事だ。一体これまで行政交渉をこんな理由で起訴され4ヶ月以上も勾留された例があるのか?これを許せば、日本国憲法で保証された表現の自由や請願権は根こそぎ奪われてしまう。そのため弁護人は「威力業務妨害に当たらず、起訴は長期勾留目的の弾圧」と公訴の棄却を主張してきた。


だが検察の「ね、裁判官、分かるでしょ?」の稚拙さと酷さはここで極まる。何と「独善的、自己中心的」「規範意識
欠如している」などと私の人格を罵倒した上で、「訴因は裁判を求める検察官の主張事実であるから、それをどのように構成するかは検察官の責務であると同時に権能であるところ、被告人が‥通常業務を妨害したことは動かしがたい事実であり、これら通常業務がいわゆる非権力的業務と認められることは明白なのだから、威力業務妨害罪と構成することについて全く問題は認められない」と反論するのだ。ありえない決めつけ、こじつけ、居直り、悪意だ。問題は事実をどう構成するかであり、検察が飴細工のように出来事を無理やりつなげて起訴するなど許されないからだ。「被告人は危険人物だ」「職員は嘘をつく訳がない」「起訴の内容は検察が決めるから口を出すな」という3段論法だけで裁判が成立すればもはや法など無関係になる。行政・警察・検察が「この人物は暴れる」と決めつけてマークし、でっち上げ逮捕し、検察が裁判官に「この人物は暴れる人間だから外に出さない方がいい」と演出すれば、まさしく誰でも逮捕と長期勾留ができるからだ。これは戦前の治安維持法の「予防拘禁」の復活である。「嘘」で塗り固めた末の予防拘禁など絶対に許されない。


自治体と検察にとって、今回を警備業務への妨害ではなく「通常業務への妨害」で有罪にできれば、市民が行政に抗議要請をした際にただ大声を上げたりしただけで、「職員が通常業務を中断して対応せざるをえなくなった」として「威力業務妨害」に仕立て上げられる。自治体は抗議要請対応も本来業務という「重石」を捨て去る事ができ、どんな悪政も可能になり、自治体・警察・検察は自らの意のままに誰でも逮捕・起訴・長期勾留ができる恐るべきフリーハンドを得られてしまうのだ。例え市民側が逮捕の瞬間や行政・警察側の動きを映像に撮って「不当逮捕」と訴えても、市民が抗議活動に来た事実だけで逮捕・起訴できるなら無意味になり、裁判は逆に行政側の映像が証拠に使われてしまう。そうして今後も増え続ける行政への抗議を全て潰す事が「威力業務妨害起訴」の狙いなのである。そう、今後福島の被害者や全ての貧困者が立ち上がった時のために。私たちはそれを絶対に許さない。




4:自分、家族、仲間を潰すためだけの起訴=長期勾留は絶対に許されない



裁判官は今一度考えるべきだ。例え全ての経緯・背景を脇に置いても、区役所の窓口や廊下で大声を出した、物理的な被害は一切ない、こんな事で4ヶ月以上も監禁できる訳がないだろう?これまでの「威力業務妨害罪」が、対象を民間企業でなく自治体にし、「抗議行動への対応が通常業務を妨害させた」なる理由で逮捕・起訴・長期勾留したことがあるか?ある訳がない。それは公安警察・検察が、日本はどれほど不当逮捕・起訴でも一度捕まえれば長期勾留や完全隔離をやりたい放題になり、本人と周囲に多大なダメージを与えられる事を熟知しているからだ。私は連中を絶対に許さないし、裁判官は実態を知るべきである。 


私は最初に勾留された原宿警察署に着いたらいきなり強制的に全裸にさせられたので、抗議してツバを吐いただけで「保護房」に入れられた。布団と枕が与えられず一日中蛍光灯に照らされ寝られない、歯磨き・入浴・読書・執筆を一切禁じられる、時計も人の気配も無いので社会感覚を壊される、食事は手掴みで食べさせられるという酷い虐待を受けた。そして現行犯逮捕で証拠は現場にしかなく、住所も判明しているにも関わらず「証拠隠滅と逃亡の恐れ」を理由に勾留延長と接見禁止を検察が要求し、裁判所が認め、23日間も外の家族や仲間に会えなくなった。さらに起訴されると拘置所に移され、勾留は果てしなく続く。私はさらに3ヶ月半追加された。予定していた仕事も活動も生活も全てできなくなった。東京拘置所に移された長期間、私は独房・接見禁止に大変苦しんだ。留置所と違い土日は面会すら出来ず、苦しみ悩みも一人で抱えて煩悶しなければいけない。仕事と生活は当然破壊され、拘禁症状は全身を覆い、釈放後もしばらく回復しなかった。4ヶ月半も誰とも話せず、全く移動せず、作業もできないのだから当然である。


外で支援に奔走してくれた家族と仲間も大きなダメージを与えられる。親しい者を国家権力に奪われた非日常の凄まじい緊張感を想像せよ。「逮捕されれば犯罪者」の視線が強い日本社会は尚更だ。面会時の東京拘置所の圧迫感、僅か15分しかない面会時間での意思疎通の難しさも計り知れない。6月14日の保釈の際も、200万円もの保釈金を払わされたのだ。懲役1年求刑とは「本人も周囲もあと8ヶ月こうした地獄の経験をせよ」ということで、目眩がするほど「荒唐無稽」である。それは江東区役所の職員、弾圧を企図した警察、検事木下雅博と後を継いだ検事に当てはまることだ。


弾圧は釈放後も続く。竪川公園への出入りを禁じられ、仲間と引き剥がされる保釈条件がつけられ、証拠調べが終わった今も延々続いている。裁判の話を現地で共有することも、現地の支援に自分が入ることもできず、盛り上げを激しく妨害されている。始まった裁判でも被告人や傍聴人をまるで犯罪者扱いする警備法廷が採用され、保釈後も着用Tシャツの文字を理由に私は裁判所から排除されそうになる異常事態が続いている。運動つぶしの起訴の影響はどこまでも続くのである。


 これが現在関西の反原発運動への不当逮捕・起訴でも行われている。昨年9月から大飯原発の再稼働や放射能汚染がれきの拡散に反対した人々が、違法な事は何一つしていないのに10人以上も逮捕され、何と6人も起訴された。その人が何をしたかでなく、運動の中心にいるかどうかだけで狙い撃ちされた。暖房がなく野外と同じ寒さの大阪拘置所現地は大変な救援活動を強いられている。極めつけは2012年11月13日に逮捕された最も心身に不安を抱えていたPさんが、適切な医療を求めても与えられずに著しく持病を悪化させられ、憲法研究者が「憲法36条が絶対的に禁止している『拷問』だ」と抗議声明を出した事だ。Pさんは留置所で通常と違う薬を説明もなくいきなり与えられた。処方箋を見せろと言っても拒否され、副作用や離脱作用が強い薬を本人承諾もなく飲まされた。大阪拘置所へ移管された際には、薬を一切与えられない状態が数日間続き、Pさんは固形物が全く喉を通らない状態にまで症状が悪化してしまった。持病のある者に対して必要な薬を与えず、苦痛状態のまま取調べすれば自白強要や誘導尋問も簡単にできてしまう。また裁判に万全に望める訳もなく、裁判の公平性は全く担保されない。絶対に許されない事だ。接見した専門医は、このまま勾留されつづけること自体がPさんに「悲惨な苦しい状況を強制し」、持病のさらなる「症状悪化をきたす」ものであって、医学上も許されないという意見書を裁判所に出すまでになった。また2013年2月19日に法務省検察庁にも保釈要請書が出された。こうした努力と世論の高まりでようやくPさんは3ヶ月半後の2月25日に保釈されたのだ。


これは私の問題が受けた経験の極限の姿であり、問題は制度そのものにある。そこで私もその要請行動に参加し、検察庁法務省へ竪川弾圧の抗議要請書を出して以下を要求した。


1.検察は「2.9竪川弾圧」の起訴と有罪求刑を取り下げること。
2.無罪判決を行うこと。
3.不当で暴力的な行政代執行に許可を出さないこと。
4.監獄法を改正し、留置所・拘置所から「保護房」を撤廃すること。
5.検察は根拠のない接見禁止と勾留延長の申請をやめ、裁判所は認めないこと。
6.刑事法の起訴と勾留延長の要件を厳しく改訂し、簡単に起訴・長期勾留できる現状を無くすこと。
7.保釈金と保釈条件の制度を廃止すること。
8.「威力業務妨害」への切り替え起訴を廃絶し、関西の被逮捕者を全員釈放すること。
9.全ての社会運動への不当逮捕・起訴を一切やめること。


以上のように、この国で逮捕・起訴されれば判決を受ける時にはすでに十分すぎるほど心身と生活を破壊されているのだ。繰り返す。裁判所は今回の竪川弾圧で、本当にこれだけの被害を被告人に与えるべきだと思うか、答えてみよ。その延長にある大阪拘置所の現実を直視せよ。これこそ「国家権力による人々への弾圧」であり、「予防拘禁」が復活しているのだと今こそ理解せよ。有罪判決は裁判所の死である事が自ずと導き出されるのだ。




5:生きる権利を求める行動が世界を変える!



私は全ての人に現在の竪川を見て欲しい。検察は求刑で「未だに江東区役所の対応を非難していることを考慮すると、反省の情を見て取ることはできず、再犯のおそれは大きいと言わざるを得ない。」と言った。検察は去年から眠り続けてこの2月に目を覚ましたのか?「荒唐無稽」な「嘘」はここに極まった。その後江東区が何をしてきたか知っているだろう!公園全体を封鎖して野宿の仲間を苦しめながら無理やり「開園」させ、少年の野宿者襲撃が激化しても何ら手を打たない所か公園封鎖でそれを誘発している。そして2012年12月5日には竪川現地へ前代未聞の2度目の行政代執行を行った。小屋を撤去できなかった腹いせに2Mもの鉄板を張り巡らせて小屋を包囲した。しかも水道を止め、トイレを使用不可にし、野宿の仲間全体を「拘禁」してしまったのだ。出入り口は壁の中を這うように進んでたどり着く一箇所しかなく、一番狭い所で横幅35センチしかない。竪川の住民が根負けして出て行く事を狙った余りに人権無視の兵糧攻めだ。竪川の仲間全体を犯罪者と見なし「拘禁」しているのだ。また住民と支援者全員が今や役所への立ち入りも禁じられ、職員が入口に並んで封鎖される。昨年の庁舎追い出しがさらにエスカレートしているのだ。こうした中で竪川の仲間は本当に疲弊させられている。「反省」せずに「再犯」しているのは江東区であり、もはや野宿者への殺人そのものだ。


この裁判の残された最大の焦点は、「予防拘禁」と行政代執行を判決文で認めさせない事だ。野宿者排除や生活保護削減等に抗議して役所に来た者は誰でも不当逮捕できる事が判例で確定してしまうからだ。今後例えば原発再稼働を止めるために立てたテントをいくらでも代執行で潰せるし、福島の被害者と支援者が東電や政府に直接押しかけても、責任者がどんなに嘘をついて逃げ回っても許され、追求する私たちの側が逮捕されるという形で広がるからだ。


ひとつの弾圧は常に全体への弾圧を先取りしている。こうした江東区・警察・検察の動きは、原発再稼働、憲法改悪、貧困拡大、治安政策の強化にひた走る安倍政権の動きと完全に一致している。2月21日にさっそく自民政権初の3名の死刑が執行されたように、重罰化も果てしなく強まっている。裁判員制度は民衆どうしの連帯ではなく民衆が民衆に死刑宣告をさせている。「共謀罪」「新たな捜査手法」「ACTA」に代表される情報や自由を統制し相互監視を張り巡らせる悪法もこれでもかと出てきている。福島では原発事故の実態と被害を表面化させないため、日本政府や国際原子力ロビーIAeaが最大限の圧力をかけ、住民を逃がさないようにしている。除染ビジネス、避難区域解除、「復興」アピールのための運動会やビール大会の開催など、県・市町村・学校・病院が国に抑え込まれている。まさに子どもたちへの大量虐殺だ。


社会のあらゆる局面・あらゆる問題で情報を隠し、自由を奪い、私たちどうしを争わせながら、自民党政権は純粋極右化を強めている。中国・朝鮮・韓国への排外主義と戦争扇動が極限まで行われていいる。そして沖縄に基地とオスプレイを押し付け、辺野古と高江に凄まじい暴力を振るっている。「アベノミクス」なる金融緩和=格差拡大政策で私達の目をごまかしながら、参院選で勝利し、改憲と戦争体制の完成を本気で狙っているのだ。それは「世界の問題も自分の問題も事実に気づく必要はない。どんなに辛くても被曝しても逃げずに黙って働く事だけしていろ。少しでも反抗したらすぐに弾圧するぞ、最終的には死刑だ。お互いを相互監視しながら、不満は自分より弱い者や東アジアにだけ向けていろ、もちろん死にたくなったら勝手に死ね。」という恐るべき体制だ。


それを変えるのがテントを張って生き抜く事や直接抗議行動だ。竪川の仲間は粘り強く闘い続けており、野宿者がテントを張って生き抜くことは日本中、世界中でますます増えている。そして関西で弾圧された人々は、大飯原発前や大阪市役所前でテントを張って画期的な直接阻止行動をした人々だ。さらに昨年、オール沖縄で反対するオスプレイを押し付ける空前の暴挙への怒りから、沖縄の人々は普天間基地を閉鎖に追い込もうと基地内に座り込みし、テントを建て、入口を車で封鎖して果敢な実力行動を展開した。今年1月末には何と沖縄の150人もの全市町村長と議員が上京して銀座デモと首相請願行動を行った。全てはつながっているのだ。


だから私はこの裁判は絶対に負けられないと呼びかけ続けてきた。どんな弾圧をかけられても、私たちの団結と生きる権利を求める行動を止めることはできない。それこそが人間の歴史を作ってきた事実は今までもこれからも変えられない。私たちを弾圧で止めることはできない、私の初心は強まる一方だ。冒頭意見陳述の最後を再び述べて終わりにしたい。」


「竪川開発と同様に、私たちと無関係な資本家の金融取引が全ての経済と生活を破壊するこの資本主義社会はもう終わりだ。商品と商品、モノとモノとの関係ではなく、人と人との関係で話し、生産し、行動する場所を今こそ作り出す事が必要なのだ。それが日本では竪川を始め各地の野宿者テント村や経産省前のテントであり、世界では昨年エジプト、欧州、米国ウォール街と世界中に広がった街頭占拠なのだ。それらは今この瞬間にもこの法廷を含めてグローバルに連帯し世界中を変え続けているのだ。
だから私たちは一つの排除も分断も弾圧も許さず、必ず助け合いながら生き延びていく。一部の権力者と資本家が世界を支配できる制度が全ての問題の根本であり、私たちはそれを必ず変えていく。虹のような未来を必ず創っていく。これが私の決意表明である。」


裁判所は無罪にせよ!