【大晦日に】「忙しかった」と「出会いがあった」

12月24日に早稲田の「あかね」で「今年を振り返る一文字をみんなで書こう」と言われ、僕は悪い方向にも良い方向にも
「開いた」と思えたので「開」と書いた。そして今年1年の感想を聞かれ、少し沈黙したあとに出てきた言葉は「とにかく忙しかった」だった。何て味気ない。「絆」でも「原発」でも「絶望」「希望」でもなく「忙しかった」。でもこれが率直な本音。
「3.11」を境に激変したと言う人は数多いし、逆に僕には「その前から問題は続いていた」と主張する友人たちもいる。どちらもよくわかるのは、原発をはじめとした資本主義と近代国家の矛盾が極限まで来た問題は前から続いて深まっていたけれど、その色んな問題に取り組んでいた僕自身は確実に3.11を境に死ぬほど忙しくなったからだった。慣れてきたけどさ…。

2002年春に初めてデモに参加してから10年近く、多様な問題とたたかう人たちに出会い続けてきた。だから僕も多くの問題に取り組むようになったし、今年の年明けは沖縄高江の米軍ヘリパッド建設への反対(新宿ど真ん中デモ)と、http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20110307 http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20110223
チュニジア・エジプトのアラブ革命への呼応 http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110302 http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110203
が自分の中でクロスしていた。がむしゃらに運動をやった。衛星映像で見る、崩壊する近代国家が自らの正しさを暴力で無理やり証明するデモ虐殺が、日本では南端の沖縄のさらに北部の小さな村の住民をメチャクチャな基地工事で踏みにじることだと思った。「日米軍事同盟」の維持と日本の軍事主義拡大の最前線だ。この国の支配層は見えにくい場所で暴力を振るうことを実感し、本当に忙しいと思いながら3.11を迎えた。日本の社会運動は人数が少ないし、かなり疲れ切っていたのだ。自分の生活もある。

でも3.11に黙っていられなかったのは、国家と資本の暴力がむき出しになったからだ。沖縄同様に東京から「見えにくい
場所」福島をおもう時、まだ自分たちには余裕があるはずだ、今やらなきゃ全てが終わると思った。だから仲間ととも3.18から東電前へ抗議に向かった。初日の告知はhttp://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110318
その思いは「東電前抗議への参加や責任追及を迷う/見送るすべてのひとへ呼びかけ」にまとめている。この文章がのちに『ボクが東電前に立ったわけ』の元になった。http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110321

この日を境に死ぬほど忙しくなったのは、まだ他の運動が少なく注目が集中したからだった。そしてユーストリームやたんぽぽ舎の連続講座で新しい人との出会いが連続した。これは本当に嬉しくて新鮮で、大変なこともたくさんあったけれど、有意義なことの方が多かった。数人で始まった抗議は「東電前アクション」になった。
そして高円寺の「原発やめろデモ」は、国家のひどさに気づいた多くの人たちがなだれ込むように参加する場になった。僕も参加し2回目からは手伝い始めた。その会議とデモは楽しかった。右翼問題では色々議論したけれど、その意義は大きかったと思う。それを9.11のデモで警察が12人もの不当逮捕で叩きつぶしてしまった。

夏は身近な誰もがしんどい時期だった。原発問題が長期化する。デモの度に警察は不当逮捕し救援に追われる。僕は自分の本のテープ起こしとまとめ作業もやりながら何とか完成させた。内容から構成まで非常に世話になった杉村さんと三一書房には感謝してもしきれないよ。http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110823/1314092641
その直後、9月23日、また警察に不当逮捕され新宿署に12日間勾留された。

原発運動が拡大し、次第に分散し、他の課題もやらなきゃと思う中で、行かなきゃと思う場所や会議が多いから忙しさは変わらない。それでもこの4か月、「経産省前テントひろば」が存在したことは大きかった。常に運動が続いている、そこに行けば誰かに会える、「原発いらない福島の女たち」のようにそこを拠点に大きく展開できることが次への希望を与えてくれる。それが来年まで続いている。だから「忙しかった」の次に来る言葉は「出会いがあった」だった。

こうして僕は変革と社会運動が自分の人生に落とし込まれてきた。3.11以降、運動の規模拡大だけでなく、どれだけの人がそうなるかも大事なことだ。

今年、3.11の地震原発事故で亡くなったり大きな被害を受け続けている人が数え切れないほどいる。世界中で軍隊や資本に殺されてきた人がいる。「明けましておめでとう」なんて言える訳がない。でも来年は少しでも良くなることを考えて前に進むしかないんだ。
色んな人の顔が浮かぶ。3.11の前も後も、様々な時期に出会ってきた友人や仲間がいる。そしてネットやリアルでお互いを知っている人もいる。怒り、悲しみ、苦しみ、笑い、喜び、希望――みなさんにとって今年はどんな年でしたか? 
人が人として大事にされることにしか未来はない。今年お世話になったり、注目して下さった全ての方に心から感謝します。僕は大したことはできていないけど、わずかの経験と行動を活かしたいとがむしゃらになってきた。来年は体調や生活も大事にしながら、福島をはじめとした厳しい状況とつながる、より大きな視野から世界を変えたい、次の本もみんなと作っていきたい、未曽有の事態にやることは山積みだ。

来年は野田や財界と正面対峙になるだろう。放射能の具体的な健康被害が次々多くの眼に明らかになるだろう。でもあきらめたらおしまい。つながっていきましょう!