反原発運動(経産省前テント)が極右団体と関係することの何が問題なのか:その1

私も9.11の設置から関わり続けている「経産省前テントひろば」に、極右団体の代表が来てテント内で「対談」したという記事が出ました。
【Occupy経産省】 民族派新右翼、当局に「(脱原発)テント撤去するな」と要請http://tanakaryusaku.jp/2011/11/0003194

テントの運営委員会では、これを多くの人が問題視しています。10.27〜11.5の「原発いらない福島の女たち」「全国の女たち」の期間に東京側のテントの代表三人のうちの一人を務めていた私もそうです。針谷氏と「義勇軍」は極右政治団体であり、反原発運動や社会運動が関係を持ってはいけない相手であるということです(もちろんこれは彼ら固有の問題ではありません)。

でも、そうは思わない方、なぜそうなのかがわからない方も多いと思いますし、そのためtwitterは荒れています。そこで理由を説明します。私は3.11直後から東電前に立ち続けて行動した人間として、3.11前から反戦・反貧困・反差別と様々な運動をしてきた人間として、自分が関わる反原発運動で何度もこの問題が繰り返されていること、そしてともに反原発運動を担った仲間がいま次々と極右団体とその主張を容認する方向に吸い寄せられているように思えることを強く懸念しています。そして正体を巧妙に隠しながらデマと誹謗中傷を繰り返す針谷氏に怒りを感じます。私は仲間と多くの方に呼びかけます。誤った方向から引き返すべきだと。

まずは、経産省前テントの関連メーリングリストで、テントと関わりの深い様々な個人・団体が、様々な角度と理由からこの件を問題視しています。本人の許可を得て4つ転載します。「反原発運動と社会運動にとって何が問題か」、「彼らが働いた暴力の証拠」、「政治団体の政治的な狙いに私たちは敏感になる必要がある」、最後にテント運営委員(園)から見た問題点です。ぜひ、じっくりと読んでみてください。メールや運営委員会内での議論は今も続いています。


まずは、反原発運動の原則として何が問題なのかということです。反原発運動に関わる方で、やや強い調子ですが、先入観なく読んでください、それほどの問題であるということです。

Tと申します。

このMLで流れていることであり、関係者も多数おられると思うので書かせていただきますが、「経産省前テント」にネオナチ組織のリーダーを招き入れて「対談」したなどという行為・事態を看過することはできません。
これを容認・あるいは「一個人の行動」などと「テント」関係者の人々が無関係を装うならば「経産省前テント」の行動に一切協力はできませんし、私の周囲にも「協力すべきでない」と働きかけをせざるを得ません。

その理由として、

◆統一ナントカ軍の針谷は綱領に「反ユダヤ主義・反WASP」を掲げる正真正銘のレイシストであり、ネオナチに分類されるべき組織のリーダーである。また、その歴史観は「大東亜戦争」肯定であり大日本帝国の「慰安所」設置政策を否定し、在日コリアンを「チョン」などと臆面もなくブログで書く人物であり、街宣右翼在特会などの水準とさして変わらない。ただ「3.11ショック」で「脱原発」を言っているだけ。

◆反原発運動は、すでに多くの外国人や被差別マイノリティが参加している多様性のあるものになっている。そのような場・運動にネオナチを招き入れることこそ、運動の多様性の破壊すなわち運動破壊であること。「ネオナチも存在する多様性」などありえないし、そのような運動は在日外国人などの人々を切り捨てる「無意識の排外主義運動」にしかなりえないこと。

◆針谷は、8月15日の「反靖国デモ」に対して執拗に襲撃を繰り返し、「右からの脱原発デモの参加者がいたがそれはそれ、これはこれだ」などと勝手なことを主張しています。(2つ目の桜井さんの引用を参照)しかし、昨日殴り合って明日は「脱原発」で笑いあうなんてことは考えられません。また、このことは針谷=統一ナントカ軍が「意見の違うものに対しては暴力を行使していい」と考えている証左であり、このような人物・集団とあらゆる意味で関係性を持つことは、いずれ運動そのものを破壊されることになりかねないなどが挙げられます。

日本の反原発運動は、私たちが思う以上に世界から注目されています。そして、その運動が「ネオナチとも協力関係にある」などということになったら、世界の嘲笑の的になるでしょう。

ちょっと想像してみてほしいのですが、たとえばフランスで原発事故が起こって国民戦線のようなネオナチがにわかに「反原発」を掲げたとして、フランスの社会運動が国民戦線を「仲間」として迎え入れると思いますか?あるいはアメリカのKKKだったら?とても考えられないことです。

問われているのは私たちの人権・民主主義意識です。「ネオナチを容認して外国人・被差別マイノリティを切り捨てる」ような運動に未来はありません。

「テント前広場」として「二度とネオナチ・右翼を招き入れることはしない」との対外的な態度表明を求めるものです。

追記:
なんとなく「ナショナリズム」的な気分にからめとられながら運動に参加して来る人々と、針谷=ナントカ軍のようなプロ右翼を混同するようなことは書いていないと思いますし、議論の仕方として混同するべきではありません。
そういうたとえで言うなら、「脱原発に右も左もない」などと言ってネオナチの登場を許す一部の人たちは、ナチの支持者を獲得しようとして「国民革命」を標榜したり「反社民政権」でナチと共闘して逆に自分たちの支持者をナチに奪われて最後には壊滅させられたドイツ共産党の轍を踏んでいるのではないでしょうか。
ネオナチとじゃれあう反原発運動など、すでに自ら破産を宣告するようなものです。
繰り返しになりますが、絶対に看過できませんし、一切協力できませんし、周囲に関わり合いを持たないよう働きかけます。
それは多分、私だけではなく少なくない人々がそうすることになるでしょう。
関係者の人々の賢明な判断をお願いします。
以上。

==========================

Tです。
この件、あまり延々とやりとりする気はないのですが、一、二点か指摘せざるをえないようです。

統一ナントカ軍が「綱領」で明確に掲げているレイシズム=民族排外主義は、広義の「思想」と言えなくはないとしても、他のものと等しい「思想の一バリエーション」で扱われるべきものではありません。
ナチがユダヤ人と被差別マイノリティを虐殺するに際して準備した「思想」が「ナチズム=レイシズム」です。ある日突然大虐殺が開始されたわけではありません。この「思想」は言わば、虐殺のための社会基盤を掃き清め、そして引き金を引かんとする指先そのものです。そして、虐殺は社会的条件が整った日に開始されるにすぎません。

右の思想があって左の思想があってみんな仲良く、、、という性質のものではありません。あるいは、少なくとも「綱領」に「反ユダヤ」などが掲げられているということは、かれらの言う「脱原発」も、民族排斥というかれらの大目的の一環ということです。私たちとは共通するものは何一つあるはずがありません。

赤軍派連合赤軍日本赤軍の思想と実践は私にはまったく支持できるものではありませんが、少なくとも「綱領=政治組織の目的」に、特定国籍者・民族・人種の排斥が掲げられていたわけではありません。

ネオナチと関わりを持つことで狭まる「運動の幅」は気になさらないのでしょうか?

ユダヤWASP排斥」を結社の目的とし、在日コリアンを「チョン」などと蔑称で呼んで憚らないネオナチと関わりを持つことで、在日コリアンユダヤ人というアイデンティティを持った者が行き交えなくなっても構わない、ということでしょうか?もしくは「日本の原発問題は日本人の問題だから日本国籍者以外は黙っていろor日本人に従え」ということでしょうか?

ネオナチと関わりを持つということはそういうことであり、これこそおそらく針谷のめざす「排外主義大衆運動」でしょう。私たちの運動がこんなものに堕落しても構わないということでしょうか?

ネオナチ・ファシスト・民族排外主義者はすべての民衆の敵です。さしあたってそれに気付かないのは「差別する側」にいる特権にすぎません。しかし、その暴力はいずれすべての民衆に向けられうることをお忘れなきよう。今日調子のいいこと言っているから明日も信用できる、という連中ではありません。

ネオナチを拒否することと、「運動の幅」は別枠で考えるべき事柄です。ネオナチを受け入れて広がる「運動の幅」など、ジェノサイドのための社会基盤を掃き清めるのと同義です。「テントひろば」の方々には、運動防衛と「全社会と未来に責任を持つ社会運動」の観点から断固として「ネオナチ=民族排外主義者を拒否する」という態度表明を再度要請(お願いではなく)するものです。
以上です。


続けて針谷ら街宣右翼から暴力を受け続けてきた「反天皇制運動連絡会」から、その証拠です。

桜井大子です。

このかんの、針谷や右翼との「共闘」をめぐる問題についてのやりとりに、反天皇制運動を続けている立場からの、少なくとも反天皇制運動連絡会(反天連)
の意見表明を出していませんでした。とりいそぎ、針谷との共闘について議論するための材料を、紹介したいと思います。

反天連は毎年、2.11反「紀元節」、4.29反「昭和の日」,8.15反「全国戦没者追悼式」反「靖国」を実行委呼びかけで、そして12.23は反天連独自で反天皇誕生日の集会やデモをやっています。それらの行動への右翼の妨害はひどいものです。もちろん、そのなかに針谷も入っています。以下は、今年の私たちが行った8.15反「靖国」行動に対する針谷のTwitterです。それから、8.15行動実行委のウェブに、彼らの妨害の様子が分かる動画を紹介しています。声明もありますので、参考にしてください。
動画でも写っている右翼のナイフの持ち込みなど、声明でも抗議しています。http://815action.blogspot.com/search/label/%E5%A3%B0%E6%98%8E

これは針谷ではなかった。でも、私たちにとって彼らと針谷を区別するものはないです。針谷は彼らの中にあり、彼らを容認し、靖国や戦争責任(とりわけ従軍慰安婦問題)を問題にする人々に暴力的に対峙する思想の持ち主です。

以下の針谷発信のTwitterや、動画などでその一端を知っていただけるかと思います。判断の材料にしていただければと思います。

*私の説明はかなり端折ったものなっています。補足訂正などあったらよろしく。

> giyuugungityou 針谷大輔
> 現在靖国神社に向かっている。私の活動の原点ともいえる「英霊に対する感謝の念」を、しっかりと柏手を打って表して来たいと思う。 せめて今日だけは主義主張を下げて頂き、安らかな空間の邪魔をしないで欲しいものである。
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> 在○会界隈の方々にお勧めする檻を発見(他の右翼民族派の方にはお勧めしないようです?)既に右翼民族派側が公妨で3名逮捕。photozou.jp/photo/show/171ノ
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> なぜか、反天連デモ抗議に参加する事に、元愛国党書記長筆保未亡人のサポートをします。 photozou.jp/photo/show/171ノ
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> あれ、在○会系、自分達でこの檻の中に入って下さいと言っている。我々は無線で「義勇軍7名」とか流れて、機動隊の部隊に張り付かれてるわ(笑)檻の中に入って下さいはないわな。
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> 今日の九段下交差点の抗議、柵の中に押し込められてた300名位は、全部在○会系なのかな?まだ動員力が有るとしたらびっくりだ。
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> それにしてもうちの書記長は本当に反天連が大嫌いなようだ。我々が九段下交差で待機していた頃、姿が無くなった書記長は他の団体と共にデモに突入を試みていたらしい。合流したら「いてえいてえ、機動隊の野郎投げ飛ばしやがって」と、名誉の負傷?をしていた(笑)
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> 反天連デモ関係。げ、書記長ったら、見てた他団体からメール来た。「要注意です。デモに突っ込んで旗を奪取したまでは良かったが、その後機動隊にぶん投げられてました。逮捕されなくてよかったです。」頼むよ(笑)
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> @tsuji999 うちの書記長も「とにかく反天連だけは許さん」と言ってました。
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> @sunafsunafsunaf 右翼民族派は警察の言う事なんてきかずに勝手気ままに抗議が当たり前。彼らは警察の指示に従って抗議してましたね。我々と根本から考え方が違うのでしょう。
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> @shuhsann それでも右も左も関係なくやるべきが脱原発です。先日の7.31で一緒に歩いた人を今日のデモで見掛けましたが、主義主張の場と緊急時対応は別、私はまた脱原発では一緒に歩きます。君たちは危機感が無さすぎる!
> 8月15日
>
> giyuugungityou 針谷大輔
> @shuhsann 別に左右共闘なんて望んでない。右も左も関係の一言だけ!主義主張で言えば、この悼みの日に死者を冒涜する輩は、ぶっ潰す対象でしかない!それでも、我々は子供の命と緑の為には、一緒に歩きますが。
> 8月15日
>

続けて、富山大学の小倉利丸さんから、極右団体には明確に政治的なねらいがあり、それを読む必要がある、というものが穏やかかつ鋭く書かれてす。小倉さんのブログはhttp://www.alt-movements.org/no_more_capitalism

小倉利丸です。桜井さん、どうもありがとうございます。


ぼくの印象ですが、テント広場の運動が右翼と「共闘」することはありえないと思っています。ぼくはテント広場の主宰者ではないですが。むしろ今問題になっているのは、右翼によってテントのありかたが、警察の暗黙の右翼へのサポートのもとで、強引に妥協を強いられているということで、問題は「共闘」ではなく「強いられた妥協」の問題だと思います。9条改憲に反対する運動を担ってきたひとたちが始めたテントですから、それが9条改憲を主張する右翼とどうころんでも「共闘」はないと思います。強いられた妥協のあり方では賛否はいろいろありえると思いますが、妥協は緊急避難的ともいえ、修復は可能と思います。


ぼくは、左翼ですし、とりあえず世間のレッテルでいえばマルクス主義者ですから。(かなり逸脱しているので、アナキストだろうともいわれますが、それも否定しません)また、ながいこと富山県立近代美術館天皇を素材とした作品に対する右翼による作品廃棄要求(それに美術館と教育委員会が屈したのですが)に反対して運動をしてきたので、言論表現の自由の問題にずっと取り組んできているという意味では、市民的自由主義者に近いですし、自由をないがしろにしてきたことが左翼の伝統にあることについては厳しい批判をもっています。


じつは、当時の富山県立近代美術館での作品撤去の運動のなかでも同様のことがありました。当時、作品廃棄を要求する圧倒的多数の右翼に対して、一水会鈴木邦夫表現の自由を擁護するような論調を張ったのです。(『ず・ぼん』第一号、ポット出版に鈴木の文章が掲載されています)しかし、だからといってぼくたちは一切かれらと共闘するつもりなどなかったです。彼や一水会などが本気ではないと思いましたし、かれらがまず取り組むべきは、同じ右翼陣営のなかでの天皇についての表現の自由についての議論ではないのか、なぜそれをやらずに(回避して)あえて口出しをするのか?とぼくは思っていました。今回は事態そのものはもっと大きいですが、構図は同じだなあというのが最初の印象です。


右翼側が、テント撤去であれテント支持であれ、なぜテントに関心をよせるのか、その動機に大変関心があります。普通に考えれば、価値観やスタンスが異なる場合には、別に運動を組み立てることがいちばん自分たちの目的にかなうやり方だし効率的でもあるとおもいます。右翼が原発に反対であるなら、かれらなりの独自の運動を組み立てればいいのであって、他の運動に介入すること、こともあろうに自分たちとは真逆の方針を立てている人たちが始めた活動にあえて「共闘」的介入するのは、道義的にも運動の筋の通し方としても僕には理解できません。また、テント広場に反対し原発に賛成する右翼にとって、むしろ最大の問題は、原発賛成運動そのものの再構築ではないのかと思います。テント広場などに構っている暇はないだろうと思います。

あえて、理解しようとすれば、右翼を排除する左翼の狭さを宣伝するネタにするとか、右翼と手を組むいかがわしい左翼という印象とかを与えて左翼側を撹乱するとか、いずれにせよ運動を混乱させる目的くらいしか思い浮かびません。あるいは、運動の先頭に赤旗や黒旗がひるがえろうが日の丸が翻ろうがどっちでもいいんじゃないの、という人たちがいることを見透かして、日の丸を先頭に立てれば、右翼運動の活性化につながる、というビジネスチャンスと考えているのかもしれません。


ぼくのような60代=60年代世代にとっては、右とか左という価値観やイデオロギーのもつ意味は多かれ少なかれある種の常識の範囲のなかにあると思いますし、天皇制の問題や歴史認識の問題、あるいは言論への右翼テロを経験してきた者たちにとっては右翼との「共闘」がありえないことだ、というのはあえて説明すべき事柄以前のことでしょう。しかし、原発事故に直面して、始めてアクションを起こし始めた人たちにとって、右翼と左翼という問題は非常に理解しづらいことなんだと思います。必要なことは、なぜ右翼との「共闘」がありえないのか、言い換えれば、たとえ脱原発という同じ(ようにみえる)ゴールをかかげても運動はなぜ別にすべきなのか、ということをかなり丁寧に説明することだと思います。異業種交流とか多文化共生といったことではないんですから、この説明はけっこう大変なことだと思います。


最初に書いたように、なぜあえて右翼は賛否どちらであれテント広場に介入しようというのだろうか?その動機は何なのか?です。個人の右翼的心情の持ち主がフラっと現れて意見を述べるというのとは違って組織としての行動ですから、政治的な思惑をきちんと判断することが必要だと思います。


今年の春に新宿のデモで日の丸の旗をみたときは、正直言ってかなり凹みました。デモに出ないで帰ろうかと思いましたが、なぜ新宿なんだろう?なぜ芝公園や代々木公園ではないのか?なぜ彼らは独自のデモを組織しないのか?いろいろ疑問が浮かび、やはりデモに出ようとおもいなおしました。彼らは本気で原発を止める運動を担うつもりがあるのではない、別の思惑があると感じたからです。


最近、右とか左とかは関係ない、自分はどちらでもない、という感想をよく見ます。正直そう思っているのだろうとおもう場合と、そういいながら実はどっちかというと右あるいは左というのが本音だ、という部分をちょっとオブラートに包んで、大衆に媚びるように発言してるんじゃないかと勘ぐらざるをえない場合もあり、一つではないですが、いずれにせよ、この国ではあえて自分の価値観を率直に表明できないことの反映だと感じます。ぼくは左翼だよとか天皇制に反対だと言うことがはばかられるだけでなく、支持政党や信仰している宗教すら口に出せないという雰囲気があります。これは事実上、民主主義の根本が機能できない環境になっているということです。こうした雰囲気はなくさないといけないと思います。そうしないと真剣な政治や社会についての議論ができない。


経産省のテントひろばへの右翼と警察の介入は続くと思われます。時間のあるときはぜひ出かけて行くことが大切と思います。

このMLの趣旨にあわない書き込みで申し訳ないです。

このMLはディスカッション用ではないので、もし、何かご意見などあれば、直接私宛にいただきますよう、よろしくお願いします。

小倉利丸


最後に、テントの全体運営から見て何が問題化、運営MLで僕が最初に問題化した時の文章です。 私は「ボクが東電前に立ったわけ」という本でも、反原発運動が戦争・差別問題とのつながりを通して深まっていく道すじを書いています、ぜひご一読下さい。http://honnoco.blog.fc2.com/blog-entry-60.html

園良太です。
義勇軍」は6月11日の「原発やめろデモ」で直前に出演が発表され、スタッフ内や外から批判が集まり、取りやめになりました。スタッフ内部での議論をよそにtwitter上では「全部左翼が悪い」などと言われ続けていると共に、以降「右も左もない」を標榜して「右からの脱原発デモ」(端的に語義矛盾)を主催し、私たちの周りの若い世代も行き始めています。これは長く続く課題です。当初から批判していた「ヘイトスピーチに反対する会」のブログで友人が6.11の件を指摘した文章が最も的確です。http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-98.html
そして園は毎回疲労困憊の中同じことを説明し、駆けずり回り、苦悩しました。これは現代日本で運動が広がる時の宿命かと思っていますが、これで終わりにしたいです。

風邪で寝込み続けていたんですが、「何だこりゃ!?」と飛び起きざるをえないようなことなので。
16日朝、「統一戦線義勇軍」という右翼ファシスト団体の議長の針谷氏がテントに来たことをフリージャ―ナリストの田中龍作氏が記事にしています。
【Occupy経産省】 民族派新右翼、当局に「(脱原発)テント撤去するな」と要請
http://tanakaryusaku.jp/2011/11/0003194
そしてこれがtwitter上(=運動に関わり始めた多くの方が見る媒体)で非常に反響を呼び支持されています。
http://twitter.com/ で「経産省」「右翼」で検索してください。
つまり「今までは金で雇われたエセ右翼が妨害に来ていた、どこかに本物の右翼=愛国者がいるはずだ、あ、やっと来てくれた!経産省に抗議しテントを支持してくれてる右翼だ!」ということです。

しかしこれが問題だらけなことは、経験豊富な皆さんなら理解されると思います。
まず「義勇軍」のHPはhttp://www.giyuugun.jp/ です。横領に「我々は敵権力、白人集団(WASPユダヤフリーメーソン)との全身全霊をもった闘いを貫徹するものであり、これに逆するスパイ、敵対者はそれを容赦なく排除する。」と掲げており、針谷氏は自身のブログで「我が皇軍従軍慰安婦設置のようなことをするはずがない」と書いています。南京虐殺も「虚構性がある」と書いています。http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid5.html http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid27.html
そして実際に組織暴力を行使してきたことを、山谷、反天連、立川テント村の方々は骨身に刻まれていると思います。もちろんその主張は「脱原発」を主張し始めた今も変わっていません。これが欧米の運動ならファシスト歴史修正主義者として普通に市民社会の敵です。

それをこの記事は、あたかもテントが彼を迎え入れたかのように書かれています。記事にはありませんが、「対談」中にテント入口には日の丸が掲げられていたそうです。僕は9.11のテント設置から関わり続けており、一応いまは3人の本部代表の一人ということになっていますが、もちろん知りませんでした(風邪で寝てました)。ほとんどの方が今も知らないと思います。これはファシスト受け入れ、集まりの合意形成、両面から問題だと思います。

次に、針谷氏の発言として
“一方で「原発以外のことは言わないでほしい。原発以外(のイデオロギーで)街宣をすると一般の人から嫌われてしまう」と釘を刺すことも忘れなかった。”
と書かれています。これは、これまでテントを支えてきた改憲阻止の会やこの緊急会議に関わる様々な運動団体の皆さんに対して、非常に失礼なことではないでしょうか?
実際テントには今まで「改憲阻止の会」や「辺野古基地建設反対」という旗が掲げられていましたが、それぞれ意味を込めていたでしょうし、参加者からの異論は上がっていません。それらの旗を「外せ」と言ってきたのは11月9日に襲撃してきた右翼であり、問題や運動の分断を狙っている訳です。針谷氏はそれと同じことを繰り返している。
誰がテントの現場で体を張ってきたのか。それを針谷氏とこの記事は全くわかっていない。「タダ乗り」になっています。

twitterをご覧になっていない方も多いかと思い、提起しました。
ネットは怖いです。誤った解釈がすぐに広がって「事実」になってしまいます。そして、私たち若い世代には空気のようにナショナリズムが広がっており、あの記事のような「描き方」を受け入れやすくなってしまっています。その行き着く結果が日の丸の乱立するデモであり、反フジテレビデモであり、在特会です。
このような団体のパフォーマンスにテントが使われることの拒否を求めます。

確かにテントは「反原発のための場所」です。しかしそれには留まりません。
原発問題は他の問題と構造的につながっています。ゆえに言うまでもなくそれはあるキャラクターを認めるか否かの問題ではなく、私たちが戦争や人種差別を否定するか肯定するかの問題です。これでは自分も、何のために体を壊すまでテントで体を張っていたのかわかりません。
確かにテントは「開かれた場」です。しかしそれを創ってきて現に支えている「私たち」が存在します。「私たち」は何者でしょうか。この日本社会と世界が抱える不正義や不平等――今の戦争、過去の侵略戦争とその責任、差別、貧困、原発――を変えるために活動を続け、3.11を機につながりを強めたのではないでしょうか。それをテントに、運動に初めてきた人たちに、上から押し付けるのとは違う形で共有して、ともに動いていける場作りこそ、皆さんの目指しているものであり、現代日本社会を変えるために必要とされているものではないでしょうか。
みなさまの賢明な判断をお願い致します。

イラストレーター・壱花花さんのHPより:http://18787.main.jp/fuushi.html