2010年を振り返る:その1

★沖縄・高江で米軍ヘリパッド建設が強行。現地情報は「やんばる東村 高江の現状」:http://takae.ti-da.net/
「沖縄・高江を救え!」12月22日防衛省への抗議申し入れ:http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20101222
26日「緊急アピール&デモ」やりました!http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20101227
次は1月10日15時「★アメリカ大使館へ伝えたい、みなさんの「高江にヘリパッドはいらない」の声を★抗議と申し入れの呼びかけ」:http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20101231
18時半から防衛省への抗議申し入れです、集まろう!http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html
18日「今年を振り返り、今と来年を話し合おう!」やりました:http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20101228

2010年を振り返る:その1
(2009年の振り返りは http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20100103#1262456500

2010年とは何だったのか。5月28日、鳩山前政権は「普天間基地の県内移設」を発表して沖縄の民意と政権公約を裏切り、民主党幻想は消えた。沖縄県知事選後の12月22日には北部・高江の米軍ヘリパッド工事再開が強行され、予想通りのむき出しの押し付け開始に県民の怒りは爆発し続けている。9月7日に尖閣諸島/魚釣諸島沖での漁船衝突事件が起き、日本中の政治家・マスメディアと・多くの市民・インターネットが「反中国」に染まり、異論が許されなくなるファシズムがついに始まった。そして11月23日に朝鮮半島大延坪島で砲撃事件が起きて、日米韓の軍事演習が激化し、朝鮮学校の高校無償化が再び見直され、年末に決定した「防衛大綱」の内容は「日本がいよいよ自分から戦争をします(動的防衛力!)」という宣言になった。同じ11月に石原都知事は「今年は公設派遣村をやらない」と言い放ち、12月に菅政権は法人税は減税するのに年金支給額を減額することを発表した。9月15日に東京の宮下公園は強制封鎖され、全国各地で野宿者排除と警察の異常警備が加速し、不信と憎悪の中で裁判員が死刑判決を連発させられた。これが2010年だ。

どうしてこうなったのか。まず保守政治が戦後一貫して続いた日本では、常にあらゆる運動が圧力を加えていなければ、民主党政権も次第に態度を変えていくだろうことは目に見えていた。メディアも社会運動も政権交代に期待しすぎて、態度変更を根本から止めていく動きは作れなかった。民主党自民党と同じ穴のむじなで、今やそれ以上に悪質だ。さらに野党に自民党がいる恐ろしさとは、「右」から政権を批判し「右」へと引っ張る力の方が「左」よりはるかに強く見えやすくなることだった。これは今のアメリカととてもよく似ており、他の少数政党も右翼政党ばかりとなる(来年はさらにそうなるだろう)。それは尖閣事件以降特にあからさまになり、市民の中の右翼排外主義も「政権打倒」を合言葉に在特会、田母神&チャンネル桜幸福実現党と全てが勢いづいた。そして社民党共産党も存在感の消滅段階に入り、尖閣事件では全ての政党が「日本固有の領土」と言い放つ始末だった。

市民運動の一部の期待も巻き込みながら民主党政権は始まったが、日本の対米追従と軍事化、植民地主義と排外主義、新自由主義と財界の圧力が政権交代だけでは変わる訳がないということだった。民主党政権に関係者が参加した、またはもともとつながりがあったという言論人や市民運動や大手の労働組合は多い。そうした所は沖縄米軍基地の問題でも貧困問題でも政権に期待し、協力したりした。その分政権が明らかな右傾化を始めても、自民党政権時代のような批判ができなくなった。いや、しなくなった(私が東京で知る範囲では)。そこにリーマンショック以降の深刻な経済不況が追い打ちをかけ、自らの組織、権益、関係性を守るために汲々とせざるをえなくなった。「貧すれば鈍する」。こうした市民運動や批判的な言論・メディアそのものの右傾化と地盤沈下の最終的な始まりも2010年の特徴だ。

年上の仲間によれば、1990年代半ばに旧社会党が政権に入った時も市民運動の中に同じ期待・失望・転向が起きたという。その時旧社会党は「自衛隊日米安保は合憲だ」と認めてしまった。そして今やあまりにも1930年代と似ている。私は11月に横浜の「反APEC」デモに行く途中の電車内で、自分が右翼と警察の暴力に囲まれながら生きている気持ちになり、心底恐怖したが、それに貧困も加えた流れは今後も強まるだろう。「このまま権力や右翼を批判する運動や言論を続けていたらそうなる」という恐怖心こそが人を「転向」に追いやっていく(もちろん私が感じたような暴力と抑圧の恐怖は、在日朝鮮人の人々がはるか昔からより強くさらされていたものだった)。

その結果、例えばこれだけ沖縄の基地反対が盛り上がった時期でも、東京の大規模集会・デモは1月30日日比谷野外音楽堂の6000人を最後に、後は4月25日の社会文化会館での1000人デモと夜の明治公園のキャンドル人文字だけだった。せめて数年前なら日比谷野音や明治公園で何度か行われたはずだ。継続的な街頭デモは出来たばかりの弱小グループ「新宿ど真ん中デモ」くらいになり、だからこそ人が集まったが、実行委の疲れは溜まっている。また宮下公園が暴力的に封鎖された後も工事を阻止する機会があり、デモの出発場所にしていた平和団体や、多彩な労働組合・反貧困運動が現場でスクラムを組むなど頑張れたはずだが、現場に来たのは少なかった。そして反中国デモや在特会デモの危険性を敏感に察知し反対しようとするのは、個人の若者の非暴力直接行動だけという場合が多くなり、しかも(だからこそ)警察は不当弾圧してくる。
そうして反戦や反差別の鋭い運動は、少数で一人がいくつも掛け持ちする状態が続いている。直接行動の称賛ではなく、動く事態に正面から反対の声を上げる人が減り続けていることが問題なのだ。

だが希望もある。新宿アルタ前で街頭アピールを続けてきたが、東アジアの戦争と軍拡はあまりに事態推移が早いため、何が問題かをていねいに説明すれば関心を持ってくれる人は多かった。そして「沖縄を踏みにじるな!新宿ど真ん中デモ」や、宮下公園の占拠/表現/生存運動といった根底からの街頭アクションは長く続いたし、フリーター労組も様々な人が争議を助け合いながらやり抜き続けている。
もちろん自分たちの運動ばかり持ち上げたいのではなく、他にも新しい行動は色々生まれているだろう。腹をくくるしかない状態により、何が問題でどうすれば良いのか見えやすくなったことは確かなのだ。そして沖縄・朝鮮・中国でたたかう人々とつながる回路はピンチの時こそ開かれている。私たちの底力が問われている。まずは運動の中で感じた「今年とこれから」をフリートークしていきたい。(続く)


(10月「反中国デモ」への抗議の座り込み)


(11月の「反APEC」デモ)


(9月、宮下公園の強制封鎖)