【連載】21世紀の民主主義ために・1:2009年1月1日

Ryota19812009-04-26


●「私たちのいない所で私たちのことを決めるな」

私たちにはどんな未来があり、そしてあなたや僕は何になっていくことができるのだろう。
前の日記で、僕はこう引用した。

“まさしくこの第三の地平、「グローバル」という地平には包摂され得ない無数の人びとの声や心情が、一体化する世界といかに結びつき、新しい社会のどんな歴史的主体を可能にしていくかに、二一世紀の歴史は賭けられているのだ。”
吉見俊哉『ポスト戦後社会』)

これを一言で言うなら「民主主義」だ。さらに言えばネグリが『マルチチュード』の中で書いた「全員による全員の統治」「絶対的民主主義」のことだと思う。日本でも世界でも、ぼくらは今や誰もが自分たちで自分たちのことを決める力を奪われながら精神的にも経済的にも追い詰められ、限界に達している。それは誰もが参加できる場や行動の広がりでこそ変えていくべきものだ。

1999年のシアトルでのWTОに反対するアクション以降、世界中で反戦、反貧困、環境保護の抗議が同時に行われるようになっている。世界中に進出する大企業と、彼らが自由に活動できるよう新たな土地を軍事力で保護・開拓しようとする列強国家に対して、「私たちのいない所で私たちのことを決めるな」と多くの人が言い始めたのだ。いわば異議申し立ての原点も世界中へ拡大してつながり始めたと言えるだろう。

その典型が、2003年にアメリカがでっちあげの理由でイラク戦争を起こした後に、石油会社や民間軍事会社が大量に入ってきたこと。それに対して03年2月15日に世界中で1000万人を超える人々が同時抗議デモをやったこと。それは最近でも、毎年の「G8」や4月頭の「G20金融サミット」やスリランカ政府の攻撃への抗議に続いている。
さあ、日本はどうさ?――私たちは政府や大企業に力を奪われているし、何より奪われていることを自覚できていないことが特徴だ。だから運動が少ないのだと思う。そうした状況の中では、「私たちのいない所で私たちのことを決めるな」は、戦争、貧困、環境破壊、そしてあなたや僕の個人的な生きづらさまでを貫くテーマになるのではないだろうか?

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●2009年1月1日、「年越し派遣村

たとえば2009年1月、日本では「年越し派遣村」が大きな注目を集め、世界ではイスラエルによるパレスチナへのあまりに残虐な攻撃に怒りの声が上がった。日本の貧困と世界の戦争、一見異なる2つのテーマが全く同時期だったのは単なる偶然ではない。金融恐慌が世界中を席巻し、アメリカではオバマ政権が生まれる中で、この世界のしくみが大きく変わっていくことを恐れるそれまでの支配者たちがむき出しの暴力を人々に向け始めたからだろう。それも最も底辺の人々から。

2009年1月1日、僕は日比谷公園の「年越し派遣村」にいた。製造業派遣で解雇された若者から長年野宿生活をしている年配の人たちまで、小泉の構造改革や調子に乗った大企業の使い捨ての被害を受けたもっとも弱い立場の人たちが集まっていた。

1970年代から、アメリカを中心とした金融グローバリズムが本格化した。福祉国家から新自由主義へ、世界の南側の国には多大な債務と市場化を押しつけながら、欧米各国の国内では製造業などを切り捨てつつ格差と貧困を拡大させた。それをIT化で実態が無いまま膨張させた結果、2007年前後のサブプライム危機をきっかけに08年、ついに崩壊した。世界中の人々を苦しめてきた罪がついに問われるときが来たのだ。

そして日本も80年代に新自由主義への移行を始め、東西冷戦とバブル経済の崩壊した90年代から本格化させた。与党と財界は一体化していき、大企業は2000年代に入って「景気が回復した」などと言いながら、実際には正社員を減らして切りやすく使いやすい派遣を増やしていった。そしてトヨタは北米やヨーロッパの自動車市場を制覇した。国内のぼくらの生活とは無関係な「景気回復」「経済成長」だったのだ。

湯浅誠さんが言うように、もともとまともなセーフティーネットがほとんど無かった日本では、一度貧困になればその状態がずっと続く。貧困を見えなくさせられていたこの社会では誰もが自分を責めてしまうし、「自己責任」の言葉が投げつけられる。

派遣村の最大の意義は、貧困に苦しむ人たちの存在とつながりをとてもわかりやすく社会へ示したことだと思う。屋内だけじゃ世間はわかろうとしない。東京の中心地をテントで占拠し、厚生労働省の講堂へ入っていく。たくさんのボランティアとマスコミが集まり交流する。野宿者が政治家たちへ直訴する。そのすべてが民主主義をダイナミックに表現していた。そして今、派遣切りや正社員切りの巨大な波と、新しい労働/生存運動が追いかけている。「自由と生存のメーデー」もある。どこまで地平を切り開いていくかが試されているのだ。

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●孤独とコンプレックス、生きている実感の無さ

そして問題は経済だけじゃない。外国人との交流が少ない狭い列島に、1億人以上が押し込められてきたこの国では、ぼくらは常に他人との小さなちがいを気にさせられる。

これまでは「誰もが経済的には中流だ」と言われてきた。学校や地域では誰もが「良い子」「良い主婦」「良いサラリーマン」の型をはめられてきた。お互いの個性を認め合い高め合うことをしてこなかったこの社会では、経済や「型」が崩壊した今でも、今まで以上に見た目や内面の細かな差異で差別化をしようとする。それを企業の広告(最先端の資本主義)が後押しする。

「モテ/非モテ」。「草食系男子/肉食系女子」。「腐女子」。自分はおしゃれだろうか。自分は異性に気にされているだろうか。自分は人に迷惑をかけていないだろうか。自分は人を傷つけていないだろうか。そもそも自分に生きてる価値なんてあるんだろうか――。

他人の視線を気にしながら、ぼくらの手元にある携帯電話やmixiはどんどん発達していく。コミュニケーションを広げる良さと同時に、メールのレスの早さや「足あと」など、自分がどれだけ人から「気にされているか」で価値が決められすぎる面がある。Mixiニュースにやたら「モテ」関連の話題が多いのは偶然じゃない。広告代理店など、ひとの内面に食い込むようになった資本主義がぼくらの差別化を後押ししている。だが電子空間での「関心」の手触りはもろい。

そして身近な関係を超えようとしても、政治や社会との関わりはテレビが流す「永田町のニュース」しかわからない。ビラを配ればすぐに警察が飛んでくるような街ならなおさらだ。

こうした孤独、もろさ、閉塞感に耐えられなくなり、秋葉原という<現実>へ飛び出そうとしたのが、去年6月の加藤智大君だった。だがそれは無関係な18人を殺傷するという最悪の結果を伴っていた。

他人の存在に敏感になるのも、自分の存在に不安を感じるのも悪いことじゃない。力で人をコントロールするよりはるかにマシだ。時代の変化にいち早く反応したり、痛みに共感する優しさや繊細さとなり、新しい関係性を生み出しうるから。僕もそうありたいと思っている。でも、「資本」や「世間」など自分たち以外の力でそうさせられていたら、横並び日本社会の息苦しさをより強化するだけになってしまう。

この経済的な苦しみと、内面の苦しみこそ、“「グローバル」という地平には包摂され得ない無数の人々の声や心情”だ。企業に生活を左右されるのも、コミュニケーションを支配されるのも、「私たちのいない所で私たちのことを決めるな」と言うべきものではないだろうか。狭い島国だから起こっている問題なら、それは世界へ飛び出ようとする運動や、世界中で苦しむ人たちとつながっていくことで解決され、未来をつくりだしていくべきなんだ――。

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●2009年1月1日、パレスチナ戦争

だからこの話題とつながってくる。同じ2009年1月1日、イスラエルパレスチナへ猛烈な空爆をしていた。1月3日には地上軍が侵攻する。世界4位の軍事費を持つイスラエルの武力は、パレスチナ側の何百倍だろうか? そこには圧倒的なアンバランスさがある。

1948年からイスラエルが行ってきた「占領」は、物資を入れない、自由な行き来をさせない、少しでも反抗すれば射殺するという全面的な支配だった。その上に起きたこの戦争は、パレスチナ国家と人々を地球から抹殺するかのような大攻撃だった。パレスチナは60年間生活の全てを武力で抑えつけられ、自分たちのことを自分たちで決められない状態が続いてきた。すべてが封鎖されれば経済的に苦しいし、無力感や絶望感に襲われるだろう。

そして21世紀世界を規定してきたアメリカの「対テロ戦争」は、爆弾を落として「民主化」という名の市場経済を押し付ける支配を世界中へ広げるものだ。いわばアメリカのイスラエル化だった。今回のパレスチナ攻撃は、「対テロ戦争」のひとつの終着点、ぐるっと一周してより破滅的な形でパレスチナへ戻ってきたのだといえるだろう。

そして日本はアフガニスタンにもイラクにも自衛隊を派兵した。そして今ソマリアの「海賊」対処法案が衆議院を通過したことで、ついに自衛隊は武力で人を殺してOKになった。北朝鮮の「ミサイル」騒動で国内は臨戦態勢になった。戦後日本の根本・憲法9条は、いま本当に死のうとしている。

だが絶望だけじゃない。パレスチナ攻撃への反対は世界中に広がった。イスラエルの横暴を「ハマスとの報復の連鎖」などと片付けられない真実の情報がインターネットを駆け巡ったのだ。アラブ移民の多いヨーロッパでは我がことのように毎日すさまじい反対デモや大学占拠が行われ、アメリカ製の武器を積んでイスラエルへ向かう船はギリシャで活動家にストップされた。イスラエル国内でも反対デモが行われた。

そして僕も1月1日に派遣村にいながらテレビで爆撃の報道を見て、爆弾の下にいる人たちのことを想像していた。極限状態が現れたこの日比谷は、きっとパレスチナとつながっている――実際大阪・釜ヶ崎では野宿者がイスラエル領事館にデモをした。国境なんて関係ない。戦争も貧困も根っこはおんなじだ。
そうして僕も1月7日に新宿で反戦デモを知らせるビラをまき、1月11日には新宿でのイベントとデモをやり、400人以上が参加した。1月10日も1500人のデモや、札幌から熊本まで日本中で反対アクションが広がったのだった。Youtubeなどを使いこなすメディア・アクティビストは、マスメディアの支配するこの世界を突き破って運動とつながった。

この、パレスチナ空爆される人々の絶望も、彼らとつながり抗議する欧米の不安定な学生やフリーターたちの怒りや表現も、その姿を伝える金の無いメディア・アクティビストの動きも、“「グローバル」という地平には包摂され得ない無数の人々の声や心情”だ。今は間違いなく世界の歴史の転換点。では、彼らは、僕らは、いかにして一体化する世界と結びつき、新しい社会の主体になっていくことができるのか――。

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●あなたの苦しみから、未来を拓いていこう!

労働と生存の新たな地平を切り開いた「年越し派遣村」。
「自分たちのことを自分たちで決めよう」を本気でやろうとした「京品ホテル」とその弾圧。「自由と生存のメーデー」。
秋葉原事件を受けて広がったぼくらのこころやコミュニケーションについての議論や実践。
世界の絶望と世界の連帯の希望が見えたパレスチナ反戦。地道に、広がりの時を待ちながら続く日本の反戦平和運動
そして、「麻生邸リアリティツアー」での弾圧やその後の盛り上がりと、<すべての人の民主主義>を求めてその後始まった「麻生を倒せ!ないかくだとう」。

ここ半年間に自分がメインで関わったことを中心に、問題のありかと運動の希望を連載していきたい。ぼくは何を考え、悩み、動いたか、まわりにはどんな魅力的な人たちがいるか――共通のテーマは「民主主義」
。共通のテーマは「民主主義」。そう、まだ見たことのない21世紀のデモクラシーを! あなたも僕も、歴史の主役になっていくときが来たんだ。(続く)