3.11以降の直接行動と弾圧、そして市民救援会の未来に向けて【救援センター総会&福岡市民救援会総会のレジュメです】

3月29日の救援連絡センターの総会http://qc.sanpal.co.jp/info/1693/
3月30日の福岡市民救援会の総会http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/36893619.html で、こんな話をします。渾身の想いで書きました。ぜひ来てくださいね。


3.11以降の直接行動と弾圧、そして市民救援会の未来に向けて


園良太(2.9竪川弾圧当該/関西大弾圧救援会・東京の会/救援連絡センター運営委員)


★個人的前史:2002年アフガン反戦運動から社会運動へ参加。08年10月に「麻生邸リアリティツアー事件」で不当逮捕される。10年2月から国賠訴訟を開始して原告になる。仲間の救援活動にも09年以降に関わり続ける

1:東京の直接行動と弾圧

・ 3.11後に反原発デモの参加者が激増。東京は私たちも3月18日から「東電前アクション」を開始し先陣を切った。4月からは「原発やめろデモ‼‼‼」が拡大し、爆発的なサウンドデモの路上解放へ。
・ 焦った政府・警視庁は5月7日の渋谷デモでさっそく4人不当逮捕。8月に3人、911に何と12人を大弾圧。これで爆発的なデモが潰された。
・ 救援活動のあり方や運動への右翼参加を批判して、原則的な左派の人々が離れていく。残った人々と外部の人々が「首都圏反原発連合」を結成。
・ 私は911の直後、「差別・排外主義にNО!9.23新宿デモ」で「公務執行妨害不当逮捕された。その後も東電前Aや「経産省前テントひろば」などに関わり続けたが、翌12年2月に江東区による竪川河川敷公園の野宿者排除に抗議して不当逮捕・起訴され6月まで勾留されてしまう。311も出られず。権力による運動からの隔離。
・ その間、「反原連」は再稼働反対の首相官邸前の金曜行動を盛り上げたが、6/29以降、警察対応の甘さやスタッフによる参加者規制が大きく批判される。反原連も批判し返して運動が分裂。「シングルイシュー」。それらを批判する人々・私たちが反原連からネットで「へサヨ」扱いされる。「アカ」「過激派」「プロ市民」の現代版。
・ 警察は完全公開のツイッターを見ながら、明らかにこの分裂と左派叩きをコントロールしようとしてる。分断統治が東京警察の戦略。官邸前行動や新しいデモには対応を甘くして「話せばわかる」と思わせ、従来からの反戦デモ等には厳しいまま弾圧を重ねる。結果、自主規制がまん延している。その中で911の12人大弾圧=デモ崩壊はまるで歴史から消されている。


2:関西と福岡の直接行動と弾圧

・ 官邸前と同時期、大飯原発のゲート前に「監視テント」設置。再稼働阻止の直接行動へ。12年6月30日―7月1日ゲート前を封鎖。焦った政府・警察庁は三か月後の9月にテントを建てた1名を不当逮捕・起訴。
・ 続けて関西で震災汚染がれきの押し付け・橋下大阪府政・関電に反対する直接行動が盛り上がる。関電前抗議で1名不当逮捕・起訴。警察署前での「仲間を返せ」抗議行動が白熱!(車上ライブなど)。さらに大阪市役所前にがれき反対の監視テントを多数設置!
・ しかしこれらの中心人物を次々逮捕・起訴。大飯弾圧と合わせ計11人逮捕、6人起訴。これが「関西大弾圧」。大飯からの直接行動が全国に広がる事をつぶす狙い。連続弾圧して救援活動で疲弊させる。全国の実験台。

★福岡の直接行動と弾圧
いち早く「市民救援会」が立ち上がる。12年5月、がれき反対闘争。今後は川内原発再稼働の反対へ。
13年6月、Kさん不当逮捕・起訴。生活保護バッシング、反原発、市民救援会への弾圧。個人狙い撃ち。


3:私に対するその後の弾圧

13年4月8日:オスプレイに反対する沖縄150人上京団に抗議に来た右翼「頑張れ日本」らに被害届けを出され、麹町署による自宅への呼び出し弾圧が始まる。判決直前の揺さぶりだ。反戦運動右翼弾圧。
4月18日:東京地裁大野勝則裁判長、江東区の暴力も抗議の権利も全て切り捨て懲役1年、執行猶予3年判決。判決前の昼休みデモ・判決抗議デモ@霞ヶ関、報告集会
8月26日:右翼被害届の件で東京地検に送検された事が発覚し、地検から呼び出し。今度は控訴審の前の揺さぶり。抗議声明や地検抗議行動の結果、不起訴になる。
11月19日:控訴審判決。高裁は「イエス!抗議 ノー!排除」Tシャツを着た被告と全員を裁判所立ち入り禁止にする暴挙。八木は被告と傍聴者不在のまま、一審と同じ判決。私たちは2時間に渡り裁判所前を占拠状態で抗議や寸劇を行った。昼休みデモ@霞ヶ関、報告集会@亀戸を開催。その後、上告しない事を決定。次に弾圧→有罪にされたら刑務所域になる3年間の執行猶予期間が始まる。
14年2月17日:裁判が終わり救援会も解散する2月19日、園の自宅に突然東京都から「損害賠償請求権取得通知書」が届く。差出人は「地方公務員災害補償基金」東京支部。39614円払えと。やれることは何でもやってやれという最後の弾圧。
3月26日:抗議書を送ったのにまたも東京都から請求書が届く。


4:東京のいまに戻って・・・

・ 「逮捕される方が悪い」や自主規制は終わらせよう。新大久保カウンター逮捕で広がる「黙秘せず、謝り、罰金を払ってでも出る」はやめよう。議論が必要。
・ 「市民救援会」の模索。13年11月に弾圧当事者が集まる「なくせ公安!」集会開催。「12.6秘密法弾圧」が発生、組織や背景の無い個人が起訴までされる状況に、救援連絡センターと個人有志が協力し合う救援活動で対応。
・ 今後国会闘争が再び激化する。市民救援会を増やし動こう。全国に増やし、つながろう。常に起こる新しい事態に対し、全国の市民救援会が横に団結してたたかおう。その相談をしていこう。
・   弾圧〜勾留〜裁判は相手の土俵。こちらがペースと主導権を取り戻す事が最重要。創意工夫あふれる闘いを展開していこう。

<11月19日、竪川弾圧控訴審の第二回目当日。この日傍聴に集まった100人近くの人々が、東京地裁・高裁の門の前の路上を埋め尽くした。ところが、裁判が始まる3時になっても、裁判所は人々を敷地に入れようとしない。理由は、傍聴希望の人たちが着ているTシャツの柄。「yes抗議no排除」という文字がダメなのだという。門の前には、裁判所の警備員職員計30名ほどによるピケ。この柄のどこがどのように問題なのか?と聞いても、職員からの答えはない。被告となっている当事者を含め、裁判に関心を持つ大多数の人々が締め出されたまま、時間は刻々と過ぎていく。裁判所前を埋め尽くした人々の間に高まった熱量が、「傍聴させろ!」「中に入れろ!」というシュプレヒコールとして爆発する。100人の人々が、一人一人はバラバラに、しかし全体では優雅なダンスを踊っているかのように揺れ動く。裁判所入り口に向かってそれぞれが一歩踏み出した。人々の渦の全体が大きく身震いする。二つある裁判所入り口の一方が、傍聴を希望する仲間たちによって、実質的に包囲、封鎖された。シュプレヒコールは鳴り止まない。仲間の怒りの前に、職員、警備員はなす術もなく立ち尽くしている。(『まけたま』11号、救援会の仲間より)