「3・11天皇出席の震災3周年追悼式典ー全国一斉黙祷反対!集会・デモ」に反対するみなさまへ――なぜ集会・デモが必要なのか。

★「3・11天皇出席の震災3周年追悼式典ー全国一斉黙祷反対!集会・デモ」http://www.labornetjp.org/EventItem/1393836246860staff01 が開催され、僕も発言します。話の内容を掲載したいと思いましたが、例年同様に今年も行動への反発意見があるので、答えておきます。

(※併せてぜひ。事故直後の「今こそ抗議が必要な理由」http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110321

1:事誤認実。「この行動が否定しているのは追悼式典と全国一斉黙とうである」
まず、批判者はタイトルや告知文全文をきちんと読んでほしい。そもそも3.11に政府主催の追悼式典と全国一斉黙とうが行われている事を意識していないのではないか。
この行動は12年から始まった政府主催の3.11式典と一斉黙とう式を批判している。被災者も全国の個人も、このような儀式がなくても黙とうをしたい人は自分から行う。死者との関係性や思いは人それぞれだからだ。個々人が個々人で黙とうする事を否定しているのではない。私も数多くの人が震災で亡くなった事は辛く悲しい。
ここまで大規模な式典と一斉黙とうを行うことの不自然さをまず考えたい。

★<天皇皇后出席のもと、実行委員長である首相や政府・財界、各国、遺族の代表らが参加し、「国歌斉唱」に始まり、午後2時46分の一斉黙祷と安倍の式辞や「天皇のおことば」を中心に、「慰霊」と「復興への誓い」をするのだといいます。また、昨年は官公庁や学校、企業などで、天皇とともにする黙祷の強制が目立ちました。校長が突然「黙祷」と叫んで生徒に黙祷を強いたり、わざわざ電車を止めて乗客ともども黙祷を強制した電鉄会社さえありました。今年も間もなく「弔旗掲揚、一斉黙祷」の指示がだされることでしょう。http://www.labornetjp.org/EventItem/1393836246860staff01

2:追悼式典と一斉黙とう強制は、事故の責任逃れと被害を隠すための、死者の政治利用である。では、なぜ安倍政権がわざわざ天皇を呼んで式典をするのか。原発事故の被害と責任を隠すためだ。まず政権は被災者・被災地の事を何も考えてない。仮設住宅から復興住宅への移行は遅々として進めず、被災三県での高齢者の痴呆や死亡数が急増している。莫大な復興予算を無関係な事業に使い、オリンピックを東京に呼んでますます大都市だけに金を使う。現地の怒りと悲しみは増すばかりだ。それでも3.11に安倍が「追悼」をすれば「被災地を想ってる」というポーズを取れるし、天皇も出せばより説得的だと思っているだけだ(その模様は街頭ビジョンで一斉中継され、公共空間のあり方も支配する)。

しかも式典と一斉黙とうには原発事故とその被害の話が全く出てこない。式典は原発問題を隠し、「11年に震災がありました」で終わらせるために行われる。これが阪神大震災等では国家式典をしなかったのに、東日本大震災で行う理由だ。原発事故の被害は空前の規模だ。20キロ圏内の住民は故郷も家も仕事も全てを奪われ過酷な避難生活を強いられ続けている。避難者支援が打ち切られ、帰還政策だけが進められるが、被曝被害が拡大している。「100万人に1〜9人ほど」しか出ない子どもの甲状腺がんが公式発表だけで33人に達した。
毎日収束作業員が厳しい被曝をしながらの作業を強いられ、それでも汚染水は止まらず世界中の海・大地・空気を汚染している。収束作業員・除染作業員の給料は露骨にピンはねされ、世界中への原発輸出と国内再稼働を何の反省もなく推し進めて、東電や原発製造責任を問われるべき大企業がそれで再びぼろ儲けし続けているのだ。安倍の「汚染水はコントロールされている」発言で作業員に迅速な作業が強いられ、使い捨てがますます強まった。

個々人が個々人の判断と関係性で行う追悼・黙とうを、わざわざ政府と天皇が「式典」「全国一斉黙とう」の形で「上からの指示・強制」形式にする。それは政府―天皇―大企業の責任逃れと被害隠しを「受容せよ」ということに他ならない。そして「国民」として再統合し、ナショナリズムを強化する。この3年間政府が出し続けた「がんばろう日本」「絆」「風評被害」といったスローガンが被害を覆い隠してきた事を思い出して欲しい。

デモは東電前を通ります。原発事故の責任を追及しよう!

3:天皇制は原発責任と戦争責任の根源。

アジア各国を侵略・植民地支配し、中国の人々一千万人を始め虐殺と略奪の限りを尽くした日本の戦争の最高責任者は天皇だ。まずもって天皇はその責任が問われねばならず、天皇が出席して「追悼」はありえない。
そしてその天皇と戦争責任者たちが戦後も生き残るために、米国の要請に従い再軍備等を行った。その一つが米国の核戦略に沿った原発の導入だ。読売新聞の正力松太郎が暗躍した事も知られている。政府や東電と同様に、いやもっと根本的に、天皇天皇制には原発事故の大きな責任があるのだ。

戦後の天皇制はこうした権力の都合の悪い事態で発言し、「民衆は一つである」と演出し続けた。責任追及を誤魔化すという「政治利用」だ。それが極っているのがこの国家式典だ。そして同じ理由で世界中から批判されるのが、そう、靖国神社と8月15日正午の一斉黙祷。侵略戦争を正当化し、戦争責任を無視し、戦死そのものを美化しているから。かつて日本がアジアを侵略し、いま東京の権力が福島原発事故を引き起こした、この権力が周縁に暴力を押し付けたことを全て覆い隠しているから。そう、3.11国家式典は新たな「靖国」作りなのだ。

国家式典への批判行動は根本的な責任追及であり、その行動があたかも被災者を冒涜するかのように受け取るのは、権力の狙いを読み取り、歴史を知り、根本から批判する事をやめましょうという事にしかならない。
事故と被害の隠ぺい、死者を利用した安倍政権と天皇制の強化は許されない。一緒に反対しましょう。3.11行動へのご参加をお願いします。ともに未来を変えましょう!

「★原発事故は明白な国家犯罪です。まず国家・責任企業による謝罪と完全な賠償、事故収束―全原発・関連施設の閉鎖によって責任を果たすべきです。それを、被害者への謝罪や反省ぬきに天皇のもとでの一斉黙祷を強いるのは、ひとえに「国難」を乗り越えて「原子力立国の復興」を誓い合うためにほかなりません。天皇のもとでの国民こぞっての「追悼」によって、被害者の憤怒を鎮め、「遺された者」には被ばくや被害に甘んじて原発推進に挺身せよというのです。」
http://www.labornetjp.org/EventItem