【2.9竪川弾圧】保釈のあいさつ/自分の冒頭意見陳述書

園良太です。このブログが江東区竪川の野宿者排除抗議で止まっているように、翌日江東区役所で「器物損壊」で不当逮捕されていました。
全ての経緯は「2.9竪川弾圧救援会」http://solfeb9.wordpress.com/
2月29日に「威力業務妨害」に切り替えられて起訴され、東京拘置所へ。3回の裁判を経て、ついに6月14日、東拘から出られました!皆様本当に本当にありがとうございました! 6月14日午前に面会に来た仲間から保釈の見込みだと伝えられ、部屋中をソワソワ動き回って待つこと2時間、12時の昼食時に看守から告げられました。渡されたダンボールに服、本、生活品を詰め込んでキャリーに乗せ、挨拶を交わしたりともにシュプレヒコールを上げてくれた隣の房の人に挨拶をしようとするもできないまま、一階に行きました。そして全ての荷物を新聞の全ページに至るまで看守がチェックし、入所時とは反対側の出口へ。14時半についに外へ!陽の光に慣れてないのでめちゃくちゃ眩しく、仲間からは肌が真っ白だと言われました。そういう場所にいたんですよね。迎えに来てくれた2人の仲間と大きな荷物を持ちながら小菅駅へ向かい、帰宅し、その日は疲れ果てて眠りました。
その後、大きな負担をかけてきた家族や身近な人とまずゆっくり話すようにしながら、部屋を片付けたり仕事を始めたりして生活を再建しています。
保釈金は200万円も払わされ(裁判が終われば戻ってくる)、「保釈条件」なるものをつけられました。もし破れば何と保釈取り消しで東拘へ逆戻り、保釈金が没収されます。1:実家に住め。2:江東区役所、竪川河川敷公園に立ち入りするな。3:二泊三日以上の外泊は裁判所の許可を取れ。これは行動の自由が大きく縛られます。さらに運動現場で公安が保釈期間こそ再弾圧を手ぐすね引いて狙っていると思うので、デモ現場に行ったときに公安のねっとり絡みつく視線は今まで以上にプレッシャーでした。しかし負けません。こうした現状すべてを変えていくために、ともに闘いましょう!

獄中でたくさん思考し、読書し、論文やイラストを書きました。今後どんどんここにアップします。まずは5月18日の初公判の主張です、言いたい事の多くをここにまとめています、世界を変えるために!


園良太:2.9竪川弾圧裁判の冒頭意見陳述書


はじめに

 強者であることに甘んじる支配者の時代は必ず終わらせる。弱者が必ず世界の主役になる。それが歴史の真理だ。
 弾圧からちょうど百日目、ついに初公判を迎えた。ここまで支援して下さった全ての仲間に心から感謝したい。
 その仲間達を潜在的犯罪者と見なして荷物を再チェックし、少人数しか入らせず、すぐ退廷させる「警備法廷」を勾留理由開示公判に続いて採用した事を許さない。それは今回の竪川排除と私の起訴が、誰の目にも明らかな暴力であり猛批判を受けると権力が自覚している事の表れだ。その意味で江東区と検察の敗訴は最初から決まっている。
 裁判所は警備法廷と全ての排除をやめ、全員入れる法廷で公判を開催せよ。傍聴妨害に来た警察関係者がいるなら全員帰れ。そして裁判所は敗北を自覚する権力に速やかに敗訴を宣告せよ。


1.「背景」こそ全てである


 私と仲間は完全な無実であり、公安警察と検察の政治的弾圧であり、犯罪者は江東区だ。この3点が核心である。以下に説明する。
 行政に対する野宿者運動を「威力業務妨害」扱いで逮捕・起訴する弾圧は過去に何度も行われてきた。96年の東京都による新宿西口地下通路の強制排除への抗議や、昨年の大阪釜ヶ崎で野宿者の選挙権回復を投票会場の前で周知活動していた事に対する弾圧などだ。全てに共通するのは、行政も検察も出来事の背景を全力で消し去り、形式主義的な議論をもって刑事犯罪などとし、運動を暴力集団に仕立てあげる事だ。
 背景とは、まず野宿者と運動がなぜそこにいて何を訴えているのかだ。次に行政がそれに対しどれほど暴力的で違法な排除をしてきたかという隠せない事実だ。この背景こそ全ての本質にして世界の未来を左右するものだ。過去の有罪判決はこの背景への言及と判断をことごとく避ける事でもたらされており、それは裁判所の許されない暴力だ。そして政治的偏向だ。起訴されたら99%以上有罪という日本の現状は、このような事実の隠蔽とねじ曲げがなければできない世界の非常識であり、今こそ全面変革する時だ。


2.野宿者は社会の犠牲者であり、その運動は社会を変える


 第一の背景は、なぜ野宿労働者が増えているのか。日本の高度経済成長は大勢の下層労働者を必要としてきた。今と違って大企業の下請労働や公共事業がたくさんあったからだ。だが「金の卵」と呼ばれても実態は不安定な日雇労働も多く、暴力団が介入して搾取される現場があり続けた。日本は決して「一億総中流」ではなく、格差社会であり続けたのだ。
 そこで日雇労働者が支え合い、搾取と闘い、生き延びるために始めた運動が東京・山谷の争議団であり、今回不当にも警察に家宅捜索された山谷労働者福祉会館だ。
 だが90年代のバブル崩壊で仕事は激減、公共事業も削減され、大企業の海外移転で国内産業は空洞化した。日雇仕事がなくなったり、会社をリストラされた労働者は簡易宿泊所にすら泊まれなくなり、野宿する人数が激増した。ここで行政は生活保護などの福祉拡充で対応するのが本来の仕事なのに、前述の96年新宿のように何と強制排除を始めたのだ。それは、当時の首相、橋本や小泉が「構造改革」で福祉や医療予算を次々削減した反映であり、このような国策によっても野宿者は増加させられた。
 2000年代は格差がさらに広がり若者や女性も野宿者が増加。トヨタ六本木ヒルズの企業が巨万の富を誇る一方で、派遣切りで会社の部屋からも追い出される人やネットカフェや友人宅を転々とせざるをえない人が増えた。東京の家賃や物価の高さと、リーマン・ショック後に派遣切りが社会問題化した事は、ここにいる全員が知っている筈だ。だが行政はますますヒルズ型の再開発と弱者の強制排除を対応策にした。今回の江東区がまさにそうだ。そして日本は98年から14年連続で年間自殺者が3万人を超える異常事態になったのだ。
 なぜ行政は最大の被害者である野宿者を強制排除するのか。山谷も新宿も資本主義社会の矛盾が凝縮されていたからだ。この実態を国は積極的に隠そうとし、当事者が起ち上がれば理不尽に憎悪し、抑圧してきた。また豊かさに浮かれる社会も無関心だった。そのため不況の本格化後は国が公安警察暴力団寄せ場でやらせていた排除と憎悪を地方自治体も内面化したのだ。
 後述の江東区の手法は公安警察そのものだ。そして無関心だった社会に「野宿者は自己責任」「不法占拠者」とデマを張れば、野宿者と地域住人を分断し、福祉の無策と強制排除を正当化できると思えるようになったのだ。
 だが竪川の野宿者は自己責任ではない。今回2月8日の行政代執行で家を潰されたAさんは、若い頃から港湾の倉庫作業を20年以上も行い、食料、衣類、惣菜などの倉庫でフォークリフト玉掛けの作業をしてきた。だが仕事が少なくなって会社が倒産し、ちょうどバブル崩壊後の20年前から野宿するしかなくなったのだ。竪川へ来て15年以上になるという。60歳を越え体の具合も悪くなっている。野宿者の多くは仕事減、高齢、病気や労災によるケガを抱えており、その対応は社会責任だ。だが行政の用意するアパートの多くは条件が非常に悪い。江東区がAさんに「竪川から立ち退いて入れ」と言ってきたものも、毎年2千万近い税金を使いながら、入居者の人格・実情無視のために入居者はゼロに近い。家賃無料は一年間だけで、一年経てば追い出される。しかも区の職員が本人不在時に勝手に入室しても良いという同意書を書かされ、実際に入りこまれた仲間もいる。さらに生活が立ち行かなくなり生活保護を申請したら、「アパート利用者」であるという理由でもみ消された事もあった。それでも区は「アパートに入れるのだから」と強制排除を正当化しているし、むしろアパートは強制排除をするために作られたと言える。アパート入居は今まで以上に権利と自由を奪われ、行政の監視対象にされるため、竪川に留まり続けるのは当然だ。
 だから野宿者は「不法占拠者」ではない。まずAさんのように長年竪川では周辺住民と共生してきた。今も差入れをしてくれたり声をかけてくる人はたくさんいる。公共地の公園の一部に住む事は不法でも何でもなく、やむにやまれぬ事情があるのは同じ不況の時代を生きる住民にもすぐ分かるからだ。そして野宿生活で風雨や危険にさらされながら一人で生き抜くのは厳しい。仲間と寄り集まり、多様な支援者と助け合っていくために竪川や各地のテント村ができたのだ。みんなで食事を作って分け合い、体調は大丈夫かと声をかけ合い、テントもみんなで作り、何でも一から話し合い行動を決め、追い出しがあればみんなで反対する。血も涙もない競争社会が人間をボロボロにしていく中で、生存と尊厳を守って他者と連帯する貴重な場所なのだ。江東区がそれをあからさまな凄まじい暴力で壊すから、東京中から様々な支援者が集まってきてともに反対する。これが野宿の仲間と私たちが竪川にいる「背景」である。


3.江東区の6年間に渡る極限暴力


 では、江東区と検察が「業務」という言葉で最も隠したい第2の背景である江東区の6年に亘る極限の暴力を明らかにしよう。区は竪川の工事計画を06年に発表したが、野宿者に一方的な立ち退きを求めるものだった。公園を私企業に売り渡し、野宿者を排除する事が目的だと区は明言したのだ。その後当事者と支援者が必死に交渉する中で、区は「強制排除はしない」と明言した。だが、09年から工事は再開され、11年夏に強制排除路線へシフトしてきた。ついに11年冬、国際人権規約憲法にも違反し、激しい批判にもさらされている行政代執行の手続きを強行してきたのだ。強制排除を避けるために、野宿の仲間は工事がすでに完了していた場所に移動したが、そこでも区は嫌がらせと排除を開始した。
 1月27日、100名のガードマンと警察官、区職員、公安警察を動員し、座りこみで抗議する人々に突入してきた。殴る、蹴る、引きずる、逆さ吊りにするなどの暴力によって、多数のケガ人を出しながらフェンス設置を強行し、公園の西側三分の一を封鎖してきたのだ。人々はフェンスに包囲された中で生活を続けている。このフェンスにより、生きるために必要な水場への通行を遮断され、アルミ缶や古紙を集めて生活の糧を得るために必要なリヤカーの通る事が出来た道もふさがれてしまったのだ。江東区の結論は野宿者に死ねというのも同然だ。
 公園のまわりには警察官が徘徊し、区に雇われたガードマンに生活を24時間監視され、ビデオに録画されている。同時に区は「野宿者やその支援者と称する者たちのせいで、公園の安全な利用が確保できない」「不法占拠者が工事を妨害している」といった非常に悪質で差別的な宣伝を行っている。その目的は、周辺に住む住民の憎悪を煽り、野宿者に敵対しているという構図を作り出す事だ。実際に江東区では強制排除の手続きと歩調を合わせるかのように少年による野宿者襲撃が後を絶たない。11年12月11日には、公園のトイレの中で寝ていた男性の上から、小中学生が水をかけ、集団で殴る蹴るなどしながら外に引きずり出し、自転車で引きずり回しさらに暴行を加え肋骨を折る、という事件が起こってしまった。放火や投石も繰り返されている。率先して野宿者を暴力排除する江東区は事件を扇動しているのだ。
 そしてついに2月8日、区は残る一軒のテントに行政代執行の強制排除を強行した。排除のまさに直前に公園の野宿者との「話し合い」を約束していたにも関わらずだ!排除の直後に区は話し合いを一方的にキャンセルした。追い出しを達成するためには、どんな嘘でも平気でつき、人をだます事もいとわないのが、何度も繰り返されてきた区のやり方なのだ。区はまたも100人以上の警察・職員・ガードマンでAさんの小屋に突入し、周りの仲間の両手両足を抱え上げ、殴る、引きずるなどしてAさんから引き離し、荷物の全てを強奪し、小屋を破壊したのだ。小屋から引きずり出されたショックでAさんも倒れてしまい、そのまま職員に救急車に放りこまれ、病院に拉致され、その後は真冬の路上に放り出されたのだ。
この時の区は何から何まで暴力犯罪だった。仲間が排除されたAさんに近づこうとすると暴力的にブロック。何とかたどりつき、一緒に皆のいる安全な所に行こうと言うと、本人も納得し一緒に歩き出した。すると再び職員らが間に割り込み引きはがそうとしてきたので、Aさんは疲れ果てて倒れこんでしまった。そこへすかさず区が動員したと思われる医療関係者が来て、こちらが説明すると一度は納得したものの、再び別の職員が「本人は一緒に行きたくないと言ってる」などと大嘘をついて再び仲間達の両手足をつかんで宙吊りにし100メートルも排除したのだ。抗議しても「行政代執行だから」としか答えず、仲間の救急車への同乗も阻止され、Aさんはもはや意識を失ってしまった。その後仲間が何とかAさんの病院を探しだすと、Aさんはいなかった。後から来た区の福祉事務所の役人や病院職員に生活保護の手続きを勝手に進められ、それを拒否して病院を出たのだ。自力で生きてきた自負を持つAさんが、いや誰であっても、強制排除した張本人が勝手に進める生活保護など受け入れる訳がないのだ。区は誰一人Aさんに付き添おうともせず、疲労の極みのAさんは粉雪降る路上に倒れこんでしまい、仲間が何とか見つけたのだ。まさに区による殺人だ。
 以上が江東区の「業務」の正体だ。区は6年に亘りあらゆる嘘と暴力を竪川の住人に行使してきた犯罪的な加害者なのだ。そして団体交渉の約束に、過去最大の暴力で答えられた私たちが、次の日怒りとともに団交再設定を区役所に要求しに行くのは当然ではないか。私は原発反対運動で経産省前にいた関係で、1月27日も2月8日も遅れて現場に到着したため、9日はきちんと参加したかった。そんな思いで、通常の業務時間に、誰もが利用できる区の工事担当窓口に行った私たちを、区は再び暴力で踏みにじった。責任者の荒木は逃げ出し、抗議と質問に何らまともに答えず、こちらを挑発するようにビデオ撮影をされた。そして大勢の職員に包囲され、飛びかかられ、はがいじめにされ、竪川同様に両手足を持って宙吊りにされたまま建物の外へ放り出されたのだ。職員は訴訟記録で「外まで推進した」「抗議者達が外に出るのを手伝った」などと今供述しているが、噴飯ものの嘘であり、暴力排除そのものだ。排除時への言及と写真を、膨大な供述調書の中にほぼ全く載せていないのは、自分達の嘘と暴力が露呈し不利になると分かっているからだ。隠されたものに本質があるのだ。
 そして区は民間企業ではなく公務員であり、「業務」ではなく団交要求を暴力排除し建物に入れさせないという違法な「公務」をしていたのだ。“威力業務妨害”の客体に値せず、最初からでっち上げだ。しかも職員は竪川強制排除と同時期の「1月後半と2月9日に、区役所への抗議行動に対する警備計画を作り、9日もそれに基づいて排除した」と供述しており、職員動員表まで載せている。つまり竪川排除が猛攻撃させて当然の暴力だと自覚し、直後の抗議行動を実際に織り込んだ上で強行排除したのだ。まさにマッチポンプ的確信犯であり、8日の暴力排除と9日の暴力排除は最初からセットなのだ。これは区の地方公務員法違反なのである。
 以上のように、江東区の2月8日までの6年間もの暴力と、団交の約束を強制排除で蹴散らす最低最悪のモラルと、区役所での強制排除こそが最大の「背景」だ。“威力業務妨害”とは、この「背景」を全て抹殺した上で、私たちの全ての行動が「威力を用いる絶対悪」で、江東区の全ての「業務」が「絶対善」だと決めつけなければ不可能なものだ。およそこの世にそんな現実自体がありえないが、嘘と暴力しか使えない江東区と検察は今までも今後の法廷でも仮想現実をでっち上げるだろう。威力業務妨害とは弾圧法であり、検察は人民弾圧機関そのものなのだ。だが私たちは役所の中や職員の脳内で裁判をしているのではないので、当然にも裁判官には独立した現実に基づくまともな判断−私は無罪、公訴は棄却、江東区が有罪―を求める。そして区は竪川排除工事を全て撤回し、住人に謝罪せよ。


4.より大きな背景は国=自治体のトップダウン化と非正規化、利益最優先、警察権力との癒着と強大化


 これらは現代日本の国家権力の方向性が地方自治体にまで貫徹された結果で、原発問題でも明らかにされた日本の根本的病理であり、許されない事だ。
 90年代から政府の「構造改革」は自治体や教育機関に対してトップへの権限集中と補助金の削減を同時に進めた。また貧困の増大により自治体の税収と学校の学費収入なども減った。そのため自治体は利益最優先の事業をトップダウンで決定し、安上がりな非正規雇用の職員や民間委託を増やして実行させるようになった。それが、今回の江東区だ。いま、東京下町の自治体は「不況で税収が落ちているから、スカイツリーの観光収入に期待する」と明言して客を呼びこむ再開発に突進している。だが自治体は営利企業ではなく、全ての住民の幸福・福祉のために存在しているはずだ。開発のために野宿者を追い出し、金持ちのための街に変え、税収入の理由の経済格差をさらに拡大させるのは本末転倒だ。野宿者が不法占拠しているのではなく、自治体と企業が街を勝手に不法に改造しているのだ。
 トップに権限が集中すると、どんな歪んだ計画でも部下は逆らえなくなる。江東区長の山崎は熱烈な開発推進者であり、担当の荒木は「工事が進まないと何億もの損害が出るから代執行は行う」と言っている。一度決まった計画は変えられず、滞ると自分たちの評価に直結すると焦っているのだ。そして非正規雇用の職員やそれに準ずる立場が増えると、どんな業務も命令通りに機械的に進める事しかできなくなる。区役所での強制排除は現場にいもしなかった土木部長が部下に命じた事が供述調書で明らかにされている。対話の姿勢など皆無ではないか。常にトップダウンの排除だから相手の「背景」を何ら考慮しないむき出しの暴力になるのだ。そんな職員が、より非正規雇用そのもののガードマンに最も弱い立場の野宿者を攻撃させるのだからタチが悪すぎるし、命じたトップの責任は重すぎる。職員もガードマンも、生活のためにトップに使われるだけの空しさ、苛立ち、恐怖心を相手にぶつけるから暴力排除になるのだ。何があっても「江東区は正しい、野宿者と支援者が悪い」と強弁する仮想現実の供述書に、現代の組織人の悲しくも腐り切ったロボット状態が見て取れるのだ。警察も検察も全く同じである。
だが誰でも仕事を失い、野宿を余儀なくされうる時代だ。その時、自分が強制排除をされたらどうなるかを考えてみよ。抗議して止めさせなければ自分が殺されてしまうのだ。絶対嫌だと思うだろう。子どもでも分かる事で、全ての人が自分の問題として止めなければいけない。
 だがこうした絶望的な再開発が「渋谷ヒカリエ」など東京中で行われ、渋谷区もそのために宮下公園や美竹公園からの野宿者排除、公園封鎖と行政代執行、支援者不当逮捕を強行してきた。これも渋谷区長が取り巻きの議員とほとんど独断で、スポーツ用品会社のナイキと癒着しながら進めた計画だ。非民主的なトップダウンは利益最優先の企業とすぐ癒着するのが必然なのだ。東京都は「アジアヘッドクオーター特区構想」などとして、国際競争を勝ち抜くための規制緩和の街づくりをぶち上げている。だがそれはどう考えても自治体と大企業による街の私物化であり、野宿者を強制排除し死ねと告げる許されないものだ。東京で生まれ育った私は余計許せないし、不必要がよく分かる。裁判官も、狭い下町を無理やり要塞化したスカイツリーと、のびのびと和気あいあいとした竪川野宿者テントを両方視察すれば、どちらが人間の生存に必要か分かるだろう。そして3・11の大震災と原発事故は、どんな開発も地震津波には耐えられないし、開発より人間の命が大事だと改めて明確にしたではないか。震災を教訓にしよう。被害者を思いやろうと連呼する国も自治体も実際には真逆の事を目指し、実行しているのだ。東京に次に地震が来ればそんな無茶な建物は全て倒壊だ。その前に人間が共に生きていける街へ転換せよ。
 最後に、自治体の警察権力との一体化も許されない。ごく一部の権力者と資本家のためでしかない再開発に、それ以外の大多数の人々から反対の声が上がるのは当然であるため、再開発の主体は警察権力を必ず使ってくる。江東区はその極致であり、今回の弾圧は「あらゆる抗議の犯罪化」だ。区は常に制服警察や公安警察と一緒に竪川へ排除に来たし、職員の排除方法も警察が不当逮捕をする時のやり方と全く同じだった。両手足を持ち上げ宙づりにする。必ず撮影を無断に行って私たちを挑発しつつ、2人1組で撮影者を守り、私たちが少しでも抵抗したら公務執行妨害をでっち上げられる証拠を集める。その時のために背後で公安が待機する。強制排除でAさんを負傷させた責任を問われないよう、仲間から引きはがして病院に拉致する汚なすぎる戦略。こんなやり方は全て一般人では思いつけないものであり、職員は絶対に警察の指導を受けている。私は過去2回それで警察に不当に逮捕されためよく分かるし、だからこそ許せないのだ。区が竪川に突入した両日は経産省前で原発反対の大集会が行われて私も参加していたまさにその時であり、支援者が被っていて注目も経産省前に集中する事を知っている公安警察が「竪川が手薄になるからチャンスです、やりましょう」と区に入れ知恵をしたとしか思えない。区は最早警察の民兵へと化しているのだ。これは全て渋谷区や墨田区の強制排除でも同じだった。横浜市生活保護の窓口に警察OBを配置し、福祉削減に対して当然起こる抗議を全て廃止・弾圧するという江東区と全く同じ愚策を始めようとしている。そして当のスカイツリーは都内最多77台もの監視カメラを設置し、すでに2人も建造物侵入罪で不当逮捕し、4月30日には自衛隊まで出して何と「テロ対策訓練」を行った。この笑うしかない過剰防衛と人権侵害は、スカイツリーが開業前から史上最大の不良債権だと明確にした。自治体は警察と完全に一体化しているから異常に気付けないのであり、トップダウンの談合の必然であり、警察や警備会社はひたすら権限と商機の拡大に利用しているのだ。
 だから何かあればすぐ不当逮捕を乱発する。それに乗じて全ての運動を萎縮させ、潰したい公安が起訴攻撃をしかけてくる。その際器物破損では起訴出来なくなったため、直後から威力業務妨害のでっち上げに切り替え、その筋書きに沿って大量の職員に嘘と悪意だらけの証言をさせ、職員もヘコヘコ応じてしまう。その結果長期勾留で私も家族も仲間も心身ともにボロボロにされる。私は最初にあらゆる権利を奪い取られる保護房に5日間も叩きこまれ、実刑の先取りのごとく100日間も監禁されてきた。こんな弾圧は絶対に許されないのだ。
 昨年から反原発デモで何十人も不当逮捕され、全員不起訴になり権力のでっち上げと明らかにされた。今裁かれるべきは警察と検察だ。それと癒着するなら自治体も同罪だ。住民全体を管理し、争わせ、弱者から順に弾圧し殺していく破滅への道だからだ。だから今すぐ起訴を撤回し、弾圧の全てを謝罪せよ。裁判所は今すぐ私を勾留から解放せよ。そして弾圧した側を裁く制度を確立せよ。
 竪川開発と同様に、私たちと無関係な資本家の金融取引が全ての経済と生活を破壊するこの資本主義社会はもう終わりだ。ギリシャやフランスの選挙の結果は、単なる政権やユーロへの是非を越えたシステムそのものへの「NO!」の叫びだ。それはずっと前から巨大なデモやゼネラルストライキで叫ばれており、日本のマスコミが隠しているだけだ。商品と商品、モノとモノとの関係ではなく、人と人との関係で話し、生産し、行動する場所を今こそ作り出す事が必要なのだ。それが日本では竪川を始め各地の野宿者テント村や経産省前のテントであり、世界では昨年エジプト、欧州、米国ウォール街と世界中に広がった街頭占拠なのだ。それらは今この瞬間にもこの法廷を含めてグローバルに連帯し世界中を変え続けているのだ。
 だから私たちは一つの排除も分断も弾圧も許さず、必ず助け合いながら生き延びていく。一部の権力者で資本家が世界を支配できる制度が全ての問題の根本であり、私たちはそれを必ず変えていく。私がこの文章を書いていた5月4日、横浜市に虹がかかったという。私はそれを見るために即時開放と無罪を勝ち取り、虹のような未来を必ず創っていく。これが私の決意表明である。      (終)