ギリシャが猛烈ゼネスト

いい加減日本のマスコミは負傷者報道・「迷惑」報道から入るのをやめるべきだ、動かない自分たちへの「あれは暴動だから」というアリバイ作りみたいだ。日本だっていつ財政破たんしてもおかしくないんだから。おかしいと思うことがあれば街中で声を上げることから始まるんだから。それこそが「政治」だ。この「島国監獄」に囚われた、12年連続で3万人を超えた自殺者や数々のひきこもりにとっての希望だ。
財政危機のギリシャ スト突入http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100505/t10014247091000.html
デモ隊の火炎瓶で3人死亡 ギリシャ一斉スト大混乱http://www.asahi.com/international/update/0505/TKY201005050167.html
現地の写真です:「大学生詩を撒く」よりhttp://daigakuseishiwomaku.blogspot.com/2010/05/blog-post_06.html

ランシエールは「政治」を「ポリス」と対置する。彼のいう「ポリス」とは、統治の秩序であり、しかもそれは制度だけでなく、感性的な水準にまでおよぶものである。そして「政治」とは、この制度的かつ感性的な「ポリス」に対する「切断」として生じる。したがって、ランシエールのいう「政治」は、それ固有の内容をもつものではない。何らかの「ポリス」の秩序に対して、「分け前なき者の分け前」が要求されるときに「政治」が発生するのである。それは必然的に「平等」を出発点とし、「ポリス」の秩序にとって「不和」としてあらわれる。
 公共選択論が思い描く秩序は、この「ポリス」の統治であるといってよい。そこでは係争の契機は排除され、すべての行為が利害を調整するプロセスとなる。われわれが「政治」を失っているとすれば、そうした調整に没入し「平等」や「不和」への感受性が損なわれているからである。だが、そうした「平等」や「不和」こそ、「不純」なる教養の賭け金ではなかったか?……それは、「かつて割り当てられてきた場所からずらし、そうしてその場所の運命を変えるような活動」であり、「今まで見られる場所を持たなかったものを見えるように」することだった。”
(白石嘉治『不純なる教養』より。http://rakuhoku.blog87.fc2.com/blog-entry-548.html

「九州帝國blog版」の小野さんが訳してくれたので(おつかれさまでした!)、現地情報の翻訳を転載します。
http://blog.livedoor.jp/hesalkun/archives/51837055.html?1273116543

ギリシャの状況についてアナキスト系のサイトに掲載されたリポート記事を訳した。
http://libcom.org/news/war-zone-athens-three-people-dead-many-buildings-burning-general-strike-march-turns-battle-

※“police work permitts”ってなんやろ?


<以下翻訳>

戦場化したアテネゼネスト戦闘化、三人死亡、ビル炎上多数

Submitted by taxikipali on May 5 2010 15:14

アテネで 財政緊縮政策に反対する抗議者たちと警察とが戦闘する中、マーフィン銀行で起きた火災により三名が窒息死した。

報道関係の労働者もゼネストに参加しているために報道機関は少なく参加者数の正確な数字は得られていないものの、5月5日に呼びかけられておよそ20万人(海外の報道機関は共産党系組合であるPAMEのデモ参加者2万だけを取り上げている)が参加したゼネストアテネの抗議デモで頂点に達した。PAMEの抗議者たちがシンタグマ広場を離れた後、主要デモ隊の最前列が議会前に到着しスタジオ通りの端で最初の衝突が起きた。デモ行進はその後「無名戦士の広場」に踏み込み、国会警備隊らを後退させ、議会を占拠しようとしたが、デモ隊鎮圧に激しく気合いの入った機動隊に押し返された。その後まもなくして議会周辺で火炎瓶や石を投げる抗議者たちにより議会周辺で戦闘が始められ、機動隊の車両一台が燃やされ、警察はさらなる催涙ガスで応戦、鼻を刺すような耐えがたい臭いがアテネに充満した。さらなるデモ隊がシンタグマ広場に到着し、戦闘は市街地中に広がり五時間以上続いた。

衝突のあいだ、アッティカの郡本部〔?〕を含む複数の政府機関のビルが燃やされた。この記事を書いている時点で、財務省に火が放たれ、大火によって重要な税金関係の文書が失われたとの報告が入っている。しかし奇妙なことに燃えているのは建物の四階部分で、火炎瓶が届くような高さではない。建物は崩落寸前とのことである。

進行中の事態に迫られてラジオ局やテレビ局がストを中断した後に、ギリシャ現地時間で14:00時に放送されたニュースでは、三人の労働者(妊婦一名を含む)の死亡に至ったマーフィン銀行スタジオ通り支店の火災の原因は抗議者たちに帰せられた。しかしこの報道は裏付けを欠いたままである。類似の事件は三年前にもあり、数名が死亡したPanepistimiou通りのKappa-Marousiビルの火災は当初アナキストの仕業だとされたが、後にそれは警察の催涙ガスが原因であったことが判明した。

消防隊員らがビルから退去しようとする様子をとらえたビデオ
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/8661385.stm

三名の労働者の悲劇的な死亡の知らせがアテネを駆け巡った後、ギリシャの首都には新たな衝突が広がり、燃やされたマーフィン銀行の外には、同社の幹部が火災現場を訪れようとした際には多数の群衆が押し寄せていた。群衆は、スト破りに労働者を駆り出したうえに12:00から退去勧告が出されていたにも関わらず彼女らを建物の中に監禁したとしてその幹部を非難、攻撃し、そこで群衆と警察との衝突が生じた。

議会ではギリシャ共産党が労働者の死亡について、政府に雇われたファシスト工作員グループの仕業だとして政府を批判した。この共産党の主張は、早朝に50名のファシストが組合旗を掲げてPAMEのデモに参加しようとしたという事実に基づいており、そのファシストらはあぶり出され、追い立てられた果てに警備隊の中に逃げ込んだ。ラディカル左派連合は議会で、労働者の死亡事件の背後にある極右の存在を非難して、あらゆる手段で人間の生活に攻撃を加えてきた政府が労働者の死亡を嘆くふりはできないと主張した。

その間にも、約5万人がデモ行進して数十件の銀行や店舗を破壊していたギリシャ第二の都市であるSalonikaでもさらなる規模の衝突が起きた。警察との衝突は数時間続いた。ニュース報道によればアナキストらが同市の労働者センターを占拠した。Patrasではおよそ2万人の抗議者らに合流するべくトラクターとゴミ収集車に乗った労働者らが駆け付け、市の中心部には炎上するバリケードが張られ、抗議者らと警察とのあいだで衝突が続いた。

Ioanninaでは抗議者らが銀行・店舗を攻撃し、警察は大量の化学薬品を使った。Heraklionでは一万名が緊縮財政に抗議してデモをしていると伝えられている。Corfuでは緊縮財政政策反対のデモに参加する抗議者らが群本部を占拠したと伝えられている。抗議者たちはNaxosのAdministrative Headquarters、Naoussaの市役所を占拠した。

アテネの暴動の結果、警察は、すべてのpolice work permittsを取り消したうえで、市中心部を完全に閉鎖し、複数のチェックポイントを設けて人の出入りを監視している。この記事を書いている時点でも市内では戦闘が続き、報道によれば警察はExarcheiaのアナキストによるスクウォッティング(占拠)を壊滅させるために動員をかけているとされる。

<以上>


嗚呼、ギリシャよ、お前がたけり狂う夜は、ぼくも「緊縮財政反対」などとは何の関係もなく、ただただドサクサに紛れ、銀行を破壊し、電化製品を略奪し、警察にゴッツイ礫をぶん投げ、「無謀なアナキスト!」と共産党あたりに罵られてみたい。

たとえばハイチでの地震後などには避難民の暴徒化〜鎮圧という図式がマスゴミによって誇張され、リベラルな人々は民衆の自生的秩序をもっと信用すべきだというメッセージを流そうとしていた。もちろんぼくも、警察発表や大手のメディアの報道は鵜呑みにするが民衆をこれっぽっちも信用できないような奴隷根性、出来事や他者との出会いの中で新たな社会が生成されることに適応できないかもしれないというシケた不安を「保守思想」とか言っていい気になっているようなゲス野郎どもの頭の悪さには激しい憎悪を持つものの一人であるが、無意味な破壊衝動やエゴイスティックな欲望が何かのきっかけで爆発するかもしれないということも決して否定しない。